白井家での相談 <C228>
「内容がくどい」と書いているほうも思いますが、省略しすぎると伏線まで消えたりします。
伏線だけ残すということもあるのでしょうが、それだと味気ないし困っています。
百太郎が切り出す前に、喜之助さんの言葉が入りこんだ。
「ところで、この木炭から練炭を作って売るというところに、細山村も入れてもらえませんか。
村の中に水車用の水路を一つ作るにしても、人手を借りる位なら、練炭作りも人が足りないのではないですか。
細山村でも新しいことも試したいのですよ」
ある程度想定はしていたが、この時点でもう「絡ませろ」ということなのだ。
何か金儲けにつながる、という予感がするのだろうか、練炭作りのノウハウを手っ取り早く教えろという風に聞こえる。
確かに、大量生産なら人口が多い細山村のほうが向いている。
細山村は、お殿様代理の椿井甲三郎様が開墾を熱心に推奨しており、昔と比べ田が増えてきている。
昔は190石の村といっていたが、年貢米の話しからすると、今は取れ高が260石ほどに増えているに違いない。
増えた取れ高だけで、金程村の石高と同じというのは驚きだ。
そして今、細山村には勢いがある。
練炭の試作が終わったら、製造部分は細山村に任せて、金程村は研究で続けるということもあるかも知れない。
いや、同じ企業体じゃないのだから、このやり方では金程村にお金が落ちない。
飢餓対策の拠点となる金程村がまず万全としてから、範囲を広げないと「庇を貸して母屋を取られる」という状態になってしまう。
合同で生産すると、美味しいところを細山村に持っていかれてしまうので、応えるのに難しい申し出なのだ。
だがここで偽った所で、金程村の練炭生産の実態は、寺子屋組みの子供達から筒抜けになるに違いない。
義兵衛が口を開く。
「今金程村の中で練炭製造に向けた体制を作っているところです。
ご指摘があるように、金程村では練炭作りでも人手が足りないのは確かです。
しかし、肝心の練炭をどの程度の品質でどう作るか、まだ試行錯誤している状態です。
ありていに言えば、今回持参したような試作品をどんどん作って、試しているところです。
これで売る・卸すといった水準の練炭が作れるようになった時点でお力をお借りしたい、ということでどうでしょう」
まあ、今初期投資が必要なところなのだという印象を与えることができれば、参入圧力を下げることができるだろう。
その意味で、間違ったことは、嘘は言っていない。
事前に打ち合わせた説明分担を超えていたのやも知れないが、百太郎が言葉を継ぐ。
「まあ、今のところは時期尚早ということです。
水路工事が終わって水車が稼動し始める頃には多少目処がつくかもしれません。
練炭は、義兵衛ではなく、大工のところの息子・助太郎が中心になって推進することを決めたばかりで、まだ中身が何も固まっていないのです。
まあ、今春は練炭売りも様子見、秋祭り以降に木炭窯が本格化する時期に、またご相談ということでどうでしょうか」
これは嘘です。
中身が何も固まっていなくて水車設置はないでしょう。
まだ練炭を手で触って調べていた与忽右衛門さんが言う。
「まあ、そういうことでいいでしょう。
水路のお手伝いは、事前に人数といつからかということを喜之助に言って頂ければ大丈夫ですよ。
それにしても、田を一枚潰すなんて大胆ですなあ。
練炭の試し売りでも、よほど目処があるのでしょうな」
百太郎の嘘は承知で、与忽右衛門さんは更に練炭のことを聞きだそうとしている。
与忽右衛門さんのほうがやはり一歩上手という風に見えてしまう。
「登戸村で、懇意になった小料理屋がありまして、卸を通さずに練炭を高く買い取ってくれそうなのですよ。
それで、ここに色々と試作品を送り込んで、評判を確かめていこうとしているのですよ。
まあ、博打ですね。
これで米が一息できるのなら、深田にかかっていた所の耕作を止めるくらいのことを考えているのです。
深田は負担が大きいですから、ここを別な作物で補えるのなら随分助かるというものです」
深田は、水はけの悪い沼のような田で、農作業時は腰まで水に漬かるため効率も悪いところなのだ。
年貢米を作る必要性から、収穫量も悪い下田でも手を掛けざるを得ない田なのだ。
百太郎は話しを練炭から切り替えていく。
練炭よりも関心をもたざるを得ない田の話しに、与忽右衛門さんの興味が移る。
とりあえず、練炭から話題がそれ、ホッとした。
義兵衛は、与忽右衛門さんがもはや手遊びしていた練炭を受け取り、献上するようにまとめた籠に納める。
「実は金程村で、米以外の作物を育ててみようということを考えているのです。
その候補として、以前お上が奨励していた薩摩芋を考えています。
今回、薩摩芋栽培を奨励していた江戸小石川にある薬園へ、種イモを分けて頂くためのお願いをします。
それで、その嘆願書を作っておりますが、お殿様にこれの添え状を頂ければ、門前払いされなくて済むと思ったのですよ。
持参の練炭は、まあこの手数料ということで献上するのですがね」
「うう~ん、薩摩芋、ですか。
そう言えば若い頃、20歳くらいの時かな。
薩摩芋を栽培せんか、という話しをお館で聞いた覚えがありましたぞ。
30年ほど前のことでしたかな。
薩摩芋のことをよく覚えてられましたな。
これは、百太郎さんの発案ですかな」
ここでもし義兵衛の言い出したことだ、なんて正直に喋ってしまうと大変なことになる。
どこでこの話を知った、なんて追求されるのは拙い。
どう誤魔化すのか、百太郎。
しかし、そのような話が昔あったなんて、昨日は全然言ってなかったですよね。
「まあ、そういった所ですかな。
ただ、前回のお目見えで義兵衛は思ったより強く印象付けられてしまったのだが、その反面孝太郎の影が薄かった。
なので、今回のお願いは孝太郎からという風にしたいと考えておりますのじゃ。
こいつもそろそろ嫁でももらって家を固め、名主を継いでもらわないと困ると思っている。
ただ、優柔不断なところが多くて、親の目から見ても物足りない。
せめて、お殿様の覚えでもよくしておこうと思っておりますのじゃ」
百太郎、ナイスです。
息子の嫁取りという話ならば、白井家でも喜之助さんがもうじき標的になる歳だ。
関係ない訳はなく、後は、あそこの娘・こちらの娘がどうだ、という大人の話しでもう村経営の機微にかかわる話はない。
もっとも名主家の嫁が経営の機微に関わらないということではなく、その器量が村の経営にズバリ影響するという面ではこれ以上重要な話はないのだが。
ともかく、腹の探りあいといった緊張した話ではなくなったのは確かだ。
与忽右衛門さんと百太郎の話が盛り上がっているところに喜之助さんが声をかける。
「そろそろ、お館へ参られたほうが良いのでは。
甲三郎様が待たれているのでは、と思いますよ」
話しに夢中になって、目的を忘れるところだった。
前回同様、喜之助さんも入れて5人揃って白井家の座敷を離れ、お館の庭へ向う。
「白井家はお館の隣でいいですなぁ。
喜之助さんも、お殿様代理の甲三郎様に裏でしっかりとお仕えできているご様子。
新田の開墾もますます進んでおられるご様子とお見受けする。
孝太郎にも見習わせたいですよ」
道々、腹の探りあいの会話が始まる。
俺は残念なことに、そういった腹芸には向いていないんだよな。
なので、そっぽを向いて、ただただ背負い籠の練炭に気を使う。
儲け話には一枚噛みたいもの、勝ち馬には乗りたいもの、白井さんのそんな気持ちが伝わればいいのですが、なかなか難しくて苦労してます。




