秋葉様からの帰り <C2277>
空になった大八車を引かせながら、向島・秋葉神社から深川・辰二郎さんの工房へ一行4人は戻っていく。
「辰二郎さん。秋葉様への寄進金額を改定する交渉をして頂きありがとうございました。これで、今年の内に払う必要があった現金をかなり節約することができました」
「おうよ。まあ、お前さんと話をしているとこっちも嬉しくなるんで、助けてやろうって気になるのさ。
焜炉の時もそうだが、七輪を量産するときの苦労を一番良く判ってくれるのは、今いる工房のメンツではなくお前さんなんだぜ。
それにしても焜炉供養祭りとは凄いなぁ。よく、そんなことを思いついたなぁ。
おやっ、もしかして、ずっと前から考えていたのかい」
辰二郎さんは突っ込んでくるし、安兵衛さんは一言も聞き漏らすまいと擦り寄ってくる。
「そうですね。着荷不良とか初期不良という言葉はご存知ですか。
物を買ってきてから使うときに被る不具合がいつ起きるかを踏まえた言葉です。
この2種類の不具合が多発すると、お客様はそういった性質を持つ物を買おう、という気が起きなくなります。なので、こういった兆候を捉えて、次に造る製品に早く対処を折りこむ必要があります。そのためには、不具合になった製品を合理的に回収する必要があるのです。壊れたら無料で交換します、という格好でなりふり構わず集めるということも時には必要でしょうが、そういった方法ではなく、壊れたものを回収する方法をずっと考えていたのですよ。それで思い着いたのが供養という形の祭りです。
廃棄品を集めて回るのではなく、廃棄品が集まる仕掛けなのですよ。言葉にすると、ちょっとの差でしかありませんが『集める』と『集まる』では、労力やお金の掛け方が全然違います」
義兵衛の説明に安兵衛さんは目を丸くしている。
「物にそのような状態を表す言葉があるなんて考えもしませんでした。それで『着荷不良』『初期不良』といった後はどうなるのでしょう」
この江戸時代では、概念はあってもそれを語る言葉がないのだ。
言葉があって、それを定義してからそれを追求する学問が始まり進むのだが、やはり言葉を考えるのは難しい。
「そうですね。その2つの『初期』状態を過ぎると『安定期』に入りますが、その時起きる不具合は『偶発故障』この場合ですと『偶発不良』ですかね、まあそういう言葉になります。この安定期が続いた後、想定されていた耐用期間を過ぎると『摩耗期』になり不具合が増えてきます。最後には全部の製品が何らかの不具合を抱えて使えなくなります。こうやって、期間と不良を示す言葉を決めると、何をどうするのが良いのか、ということを考えることができるようになります。
まあこんな風に、現れる事象を何らかの言葉で定義するというのは、とても重要なことなのですよ」
ちょっと首をかしげながら安兵衛さんは応える。
「先ほどの『集める』を『集まる』と1文字代えるだけの操作で全然やり方が変わるとか、物の壊れを使用期間に分けて○○不良という言葉で表したりとか、義兵衛さんは言葉に拘って、そこから知恵を絞るのですか。
なるほど、と、感心するばかりです」
辰二郎さんが割り込んだ。
「なあ、そうだろう。面白いだろう。知恵が付くだろう。だから、義兵衛さんと話をすると楽しいんだよ。嬉しいんだよ。そこの所、安兵衛さんも判ってくれるよな。
ところで、万願寺の喜六郎坊主に七輪10万個って話をしてしまっていたが、いいんだっけ。あいつは必要な情報が取れたので、奥へ引っ込んで銭を持ってきたんだよ。多分、今頃取り逸れた750両のことをグズグズ考えているに違いない。今回はいい感じで一緒に行ってやれたんで、及ばずながらも後ろ盾になってやれたが、次はどうでるかだな。
ええと、4000個分だったから、次の寄進は12日後の18日前後に行く予定か。ちと早いが、今日の話で800個の追加のポンをどうするのか、考え直すに違いないから、一緒に行ってやってもいいぜ」
これは頼もしい応援だ。
「ありがとうございます。とても勇気付けられます。
寄進は工房から卸す個数に応じて金額が決まります。定期的に寄進するとなると、年内にどれ位作るのかの見当は簡単につくでしょう。6~8万個と直ぐ判るはずです。なので、隠す必要はないと思っていました。
おそらく、満願寺の原井喜六郎さんは焜炉供養の祭りをする段取りを始めていることでしょう。ただ、料亭の座で宣伝することまで思いついているかどうか。そこへ働きかけるのが一番効くはずなのですが、まあ、順番がありますからね。
とりあえずは、料理比べ興業の準備をしている寄り合いで様子を探ってみようかと思います。実は、その寄り合いでも秋葉さんのための仕掛けを用意しているのですよ。その具合によっては、喜六郎さんを驚かせる位のことはできるかも知れません」
実の所、義兵衛は『仕出し膳料亭の座』の緊急寄り合いがどうなっているかを少し心配し始めていたのだ。
前回が5月20日に開催されているので、そろそろ半月経っており、毎月定期開催するならば、緊急寄り合いが行われ、行司の入札の段取りが出来上がっていないと日程的に苦しいはずなのだ。
そんな話をしながら歩く内に、辰二郎さんの工房に着いた。
入り口近くの空き地には、大八車4台に各200個、計800個の七輪が積まれて置かれている。
残りの200個は、この空になった大八車を待っていたようだ。
「ちょっと上がっていくか。土のことで、さっき妙なことを言ったではないか。そこいらを詰めたいのでな」
土のことで、妙なことを言っていたか、疑問を覚えたが、そのままついて座敷に上がった。
「いや、大したことではない。供養で戻ってきた焜炉はともかく、七輪については土を再利用できる可能性って言っていたじゃないか。
それで、奥能登の『地の粉』というのは、一回乾かした後の屑を集めて砕き土に戻したら、もう一回使えるのかな、と思ってな」
実の所、珪藻土を焼結させてしまったものを削った粉を再利用可能かどうかは全く知らない。
可能性と言っただけで、できる、と断言した訳ではない。
「申し訳ありません。口から出まかせです。本当に使えるかどうかは、この工房で試してみてください。
七輪の円筒内径の調整として、焼結前・焼結後にそれぞれ削っているではありませんか。その屑を混ぜても問題ないか調べてもらいたいのです。問題が無ければ、1個あたりおおよそ90文にもなる土が節約できましょう。七輪供養が始まると、焜炉より戻る数が多くなりましょうゆえ、今の内から秋葉様から引き取ったものをどう処分するか、研究しておいたほうが良いと思いました」
「そうすると、今ここで造っている七輪は焜炉よりも壊れやすい、ということですかな」
「運用構造的にそうなります。練炭を七輪の中に納める時に、七輪の内面と練炭の側面は必ず擦れ合います。擦れるということは、内面が削れるということで、1回毎はたとえ少量でも、100回・1000回と繰り返す内に、ここでは不合格となる水準にまで広がります。それでも使い続けると、七輪が壊れていなくとも燃焼時間が短くなるという現象になります。
焜炉は、火皿に小炭団を載せるだけなのでこのような壊れ方をしません」
その答えに納得したのか『これから大がかりな試しじゃ』と言って、義兵衛と安兵衛さんを放り出して工房に戻っていった。
残された二人は、椿井家の屋敷に戻っていったのだ。




