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初めての御用聞き <C2273>

■安永7年(1778年)6月6日(太陽暦6月30日) 憑依118日目


 義兵衛が萬屋の店へ向う途上、気が付くと安兵衛さんがすぐ横に並んで声を掛けてきた。


「今日は萬屋さんで丁稚修行からですか。これは楽しみです」


 そして萬屋さんの暖簾を潜りそのまま茶の間に向うと、忠吉さんが丁稚向けの着物と萬印の前掛けを渡してきた。


「ほれ、今日から新入りの丁稚じゃ。モタモタせんと早よ着替えんかい。そっちの年長の坊もじゃ。あと、今回限り本物の丁稚を付けてやるから、早速行って来い。炭の注文をしっかり獲ってくるのじゃぞ。

 注文が取れたら、手代と一緒に薪・木炭など運んでもらおう。なに、萬屋の薪炭倉庫は同じ八丁堀じゃ。大したことではあるまい」


 とても楽しがっている様子で、帳面と矢立を持たされ、店の裏口から放り出された。


「事情は大番頭から伺っております。歩き方や声掛け具合など、私の様子を見て聞いて、真似してください。

 しかし、丁稚姿が良くお似合いでございますな。これで、商人の歩く様子に変われば大方の人は間違えますぞ。

 ああ、そちらの安兵衛さんと申されましたか、随分と歩き方が違います。もっと、小股で、力をいれず……」


 小声で本物の丁稚さんに指導されながら、松平越中守様の裏門に来て声掛けをする。


「ちわ~ッ、萬屋で御座います。薪や炭で御用はございませんでしょうか」


 すると、裏門が少し開き、義兵衛の顔を確認すると、一行3人を裏門横の番小屋に招き入れた。


「話は聞いておる。今朝けさは当家よりの用は何も無いが、そちらからは何かあるのか」


「はい、10日に当家の主人が訪問させて頂きますが『前回同様にお忍びの格好で来たほうが良いかの確認をせよ』と申し付かっております」


「それだけならば、邸宅内に入るまでもあるまい。留守居役代理の宮久保様へ確認して参るゆえ、ここで待たれよ」


 門番の一人が走り去り、残ったもう一人の門番が段取りを説明してくれた。


「どちらかに御用があり、御家老・留守居役などと話をせねばならぬ場合は、ここで変装を解き、用意しておる武家装束に着替えて頂いてからワシ等が邸宅の裏玄関まで案内する。裏玄関からは、留守居役代理の宮久保様が案内される。建屋内では宮久保様の指示に従って行動されたい。

 御用が終わったら裏玄関に控えておる者がここまで案内するので、また着替え、薪炭商人として屋敷を退去せよ。

 よいな」


 本物の丁稚は門番小屋の中が珍しいのか話も聞かずキョロキョロとしている。


「はい。それで、私が参れませぬ時は、代わりにこの安兵衛が、それも難しい場合は、ここにいる丁稚が御用伺いをすることになりまする。何か話さねばならない御用の場合は、この丁稚が萬屋に戻ってから、当家で話が通じる者を呼んで来る格好となります。当家で事情を知るものが不在で手当てできず、対応する主人も不在で、それでも急ぎの案件という指定がある場合は、北町奉行所の同心・戸塚殿あるいは御奉行様ご自身が見えることになっております。同心の戸塚殿はご存知でしょうか」


 義兵衛の方も更に連絡の手はずについて細かく説明をし、門番は内容を理解・了解したようだ。

 その内に屋敷内に向った門番が戻り『6月10日の訪問は前回同様とし、3人で来るように』との返事を貰った。

 そして、今朝の御用聞きが終わり、裏門から出ると向き直り声を揃えて挨拶をした。


「また、明日朝に御用聞き致しますので、今後とも萬屋を御贔屓にして下さい」


 深く一礼をして萬屋へ戻っていく。

 萬屋の裏口から店の中に入ると、お婆様と番頭の忠吉さんが待ち構えていた。


「義兵衛様、いかがでございましたか。明日よりお一人でも出来ましょうか。しかし、その丁稚姿はうれしゅう御座います。そのままこの店で番頭になりませんかなぁ」


 お婆様が前と同じ冗談を言う傍らで、大番頭の忠吉さんが目を白黒させている。

 万一そのようなことになったら、大番頭さんは義兵衛の下働きをするしかないことを想像しているのだろう。


「はい、番頭という冗談はともかく、丁稚の変装は結構面白かったです。これから毎日できるというのも、楽しみです。

 さて、私や安兵衛さんがこちらに来られない時は、椿井の屋敷から使いを出しますので、先ほど同行して頂いた丁稚さんに御用の有無だけ聞いてきてもらうようお願いします。その返事を持って、使いは屋敷へ戻る手筈となっています」


 丁稚衣装を脱ぎ、着替えながら義兵衛はそう説明をした。

 そして、茶の間に戻り、昨夜の動きなどを千次郎さんに伝えた。


「小炭団が売れ続けており、追加で10万個必要なこと、卓上焜炉もあったほうが良いことなどを文に記し、里の工房を仕切る助太郎の所へ、今朝の定期便で送付しました。幸い、里には10万個の取り置きがあると聞いているので、それを回すでしょう。

 ただ、普段であれば、里を取り仕切っている甲三郎様に事情を知らせ、大人を動員してもらって荷運びの手配をするのですが、甲三郎様が不在のため少し時間がかかるかも知れません。登戸支店の番頭・中田さんの所まで届けた後は、中田さんの手腕で運ぶこととなりますので、こちらにも連絡しておいて下さい。ついでに、練炭の扱いについても、最終的にどれくらい登戸から江戸へ送るのかをはっきり伝えておいてください」


 千次郎さんは了解してくれた。


「それで、卓上焜炉の販売についてですが、今でも50個1組販売のままでしょうか。

 そろそろ耐用回数を越えて破損するものが出てくるのではないかと思っています。料亭からは、破損した焜炉を買い換えようとして、数個欲しいという要望が出ているかと思っているのですが、どうでしょう」


 これには忠吉さんが答えてくれた。


「火を扱う道具なので、どこへ売ったかを店で管理しております。特に数量が出る深川製は、焜炉の裏に刻まれた記号と一緒に記録を付け続けています。それで、こういった背景もあり、基本は1個毎のバラでの販売はしておりません。数個だけ欲しいという料亭には『いつかは壊れるものなので、予備を持つように』と指導して1組購入頂く形としております。ただ、その分、小炭団を結構オマケとして付けますので、結果としてお互いに得した気分で取引できています。

 値段は、萬屋製・深川製で当初の予定通りの価格で出しています。ただ、金程製だけは入手困難ということで『どうしても』と無理を言う客にそれなりの値段、実は1個500文、で即金のバラ売りをしています」


『おや、金程製は小売200文というはずなのに、500文で売るということか。確か、7割協定だと、1個について210文の上乗せになる。これは、いい資金源になりそうだ。深川製の1個160文の焜炉を登戸に送り、金程製と交換すればよさそうだ。中田さんの手元に200個ある、とか言っていたよな。もし江戸で売れば25両の売り上げで、15両も身入りが増える』


 どうやら義兵衛は悪い顔になっていた様で、千次郎さんが忠吉さんを睨んで空咳をした。


「ああ、済みません。『金程製の卓上焜炉は登戸村の支店で200個確保している』と以前聞いたので、取り寄せることが出来れば品薄を多少でも解消できる、と思ったのですよ」


 義兵衛は黒い思いをネジ伏せ、笑顔に戻して明るく説明をした。


「そうですか。ではそれも直ぐ寄越すように伝えましょう。

 それから、2階の金庫から今日必要とされる現金を出し、小分けして包んでおりますので、このままお持ちください。金額は昨日聞いた通りにしております。

 安兵衛様、260両(=2600万円)もの大金を義兵衛様が持ち歩くことになりますので、しっかり護衛をよろしくお願いしますよ」


 義兵衛が現金の包みを受け取り懐にしっかりとしまい、安兵衛さんがしっかりと頷くのを見てから、千次郎さんは義兵衛・安兵衛を表へ送り出したのだった。


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