御殿様を評価 <C2271>
越中守様は、御殿様のことを聞いてきた。
さて、これはどのような意図なのだろうか。
義兵衛が困った顔をして黙っていると、越中守様は話しかけてきた。
「昨日、椿井庚太郎殿より里をどのように治めておるのかを聞いたが、治める側の話ではなく、それを側で見ておる者からどのような主人に見えておるのかを知りたいのじゃ。
実は、椿井殿は旗本の中で知られた存在ではない。凡庸との噂もあるようじゃ。聞いた内容との落差が大きいので、そのあたりのことを知りたいのだ」
そう言えば、御家老様が『領民を大切にせねば、が御殿様の口癖。領地の民を労わるよう働く領主の話は嬉しかったのだろう』と言っていたことを思い出した。
『他の旗本とは違う考えを持って治めている』という話に実態が伴っているのかを知りたいのと、旗本の中で抜きん出て見えない理由を知りたいに違いない。
そこで義兵衛は思い切った説明をすることにした。
「いささか長くなりますが、お聞きください。
まず、我が主人は領民をとても大切にされる方でございます。
それは、おそらく先々代の殿様より始められた椿井家が全費用を負担する寺小屋での皆学制によるところが大きいのではないかと考えまする。
まず、細山村と金程村の全村、万福寺村と下菅村の半分、計500石が主人の知行地でございますが、これは神君家康公より直接拝領・賜ったものと寺子屋では常々聞かされております。神君より預かったこの里を大切にするということは、そこを治める主人にとっては、そこで暮らす領民を慈しむということに考えが至るのは当然でございましょう。
そして、主人の命により村の子供は皆寺子屋に通うこととなっております。私も6歳から通いましたが、幸運にも師範に気に入られ年限の10歳以降も時々寺子屋に通い、四書五経の一部や国学を部分的ではありますが学んでおりました。
この寺小屋皆学制は先々代様から始まったように聞いておりますが、里の童が武家から小作まで出自を問わず、また男女も問わず、おおよそ40~50人が一堂に集まり5年も共に学ぶのです。そう致しますと、それぞれの者の学問上の優劣や人としての性根・信用というものが自ずと見えて参ります。流石に、民草と武家とが同列での評価では御座いませんでしたが、それでも人物の大小は見えてくるものでございます。
主人も寺子屋に通っておりました時に、子供心なりにその辺りのことは感じられたのではないでしょうか。そして、自分よりも秀でた人はそれなりに居る、ということを理解されていたのでしょう。
また、寺子屋で一緒になるのは、自分の歳上5歳から下5歳までの領民ですから、おおよそ領民の2割と直接接する機会があり、その後でも折に触れ寺子屋の師匠・師範と語れば聡い子供の有無や見分け方なども知ることができ、少なくとも里の者の3割とは自由な形で直接お話をされております故、その中から有能な人材を汲み出すことができるのでございます。
こうやって、一旦知己となってしまった150人程の領民を惨く扱う訳はございません。
我が主人は前領主の嫡男として、こういった者達を含めて差配していくべき立場を、どこかの時点からか意識されたのでは、と存じます」
義兵衛はここで一旦話をきったが、越中守様はその先を早くと急かした。
「それで本題に入りまする。主人は統治者として大変優れた方ではございますが、憚りながらその実芯は怠け者で、統治に当たっても楽をすることを常に求めていると、私は見立てております。
ただ、御自身が楽をしたいために、問題に応じてそれに秀でた知恵や努力を惜しまない者を里の中から必ず見出し、丸投げ致します。この楽をするために必死で人を育て、必死で人を探すのでございます。
また、問題の本質を見誤ると、丸投げしたことが仇になりますので、かなり深く問題を考えていることについては、私のような浅学のものは全く及びません。その上で、手持ちの駒から問題の本質を解決するのに相応しい者を探しだしております。
根本を解決するに至らない場合や、そもそも人物が見つからない場合、問題が致命傷にならないよう最低限の手当で先延ばししているように感じております」
義兵衛はここで、逸話を一つ紹介した。
「寺子屋の師範からの又聞きではございますが、主人は礼記に記載された一節を大層気にかけていたそうにございます。
礼記・王制編、『國無九年之蓄曰不足、無六年之蓄曰急、無三年之蓄曰國非其國也』。これは確か『国に9年分の蓄えが無いと不足という。6年分の蓄えが無いと危険である。3年分の蓄えが無ければ国と言ってももはや国の体ではない』ということでしたか。
理想はその通りでございましょうが、椿井家としては日々の暮らしを賄うために、いつしか借財漬けとなって、里では3年の蓄えすら危ない状況でございました。今、木炭加工でゆとりが出たことを知ると、家の財務に関しては、百姓の出である私を信頼して取り立てて頂き、かなりのところを任せて頂いております。そして先日、椿井家の積年の借財を完済でき、次に6年分の蓄えを整えることに向け努力しているところでございます。私のような若造でも、これはと見込まれたのだと思いますと、毎日決死の覚悟で主人の意を形にすべく頑張っているのです」
「なるほど、椿井殿が領民を大切にしていること、人を見つけて手当することに長けていることは、よう判った。その統治にも、きちんとした考えがあることが良く判った。のんべんだらりとその日を暮らす旗本や御家人が多い中、なかなか出来ないことをしておる、ということが見えてくる。
しかし、それほどであれば、もう少し頭角を現してもよさそうに思うのだが、どうじゃ」
さて、どこまで言うべきか義兵衛は迷った挙句、個人の意見と注釈して話すこととした。
「私はお城で過ごす主人を見たことはございません。また、登城のお供などもしたことはございませんので、上司やご同僚の方々とどのように接していらっしゃるのかを全く存じません。なので、これから述べる姿は見当違いの所があるやも知れませんし、私の想像ということでご理解ください。
先に、主人の芯は実は怠け者で、御自身が怠けるために必死で努力している、と申し上げました。
その努力の方向は、問題を突き詰めて、適任者を探して、もしくは育て作って丸投げするという形です。それで、お城での御用となると、丸投げが許されないものではないのでしょうか。始終ご機嫌をとりつつ成果を求められるようなお役であるということであれば、上手にこれを避けておられるのかと思われます。『出る杭は打たれる』とも申します。『何を好んで火中の栗を拾う真似をせねばならんのか。まずは、祖先が神君家康公から頂いた領民の安寧を図るのが先じゃ』というお考えなのかと拝察いたしました。
それで、お城では必死で凡庸を演じておられるのではないかと存じます」
我ながら上手い言い訳と思っていたら、反論が来た。
「ならば、先の料理比べで武家側目付として立ち会ったのは、如何であろう。あの一件で、椿井殿は妙な立場になってしもうておるぞ。もし、凡庸を演じておるとしても、あのような目立つことをしては元も子もあるまい」
「はい。あのような大事になるとは思っておりませんでした。元は行司役が割り付けられておりましたものを、傍観するだけの目付役にまでに下げましたので目立つことはあるまい、大丈夫か、と思っておりました。次回以降の興業について、どうするのかは考えていく必要がありまする。とは言え、仕出し料理の座は、裏で椿井家が深くからんでしまっており、もはや抜け出すことは叶わないと思っております」
汗だくで必死に気を集めてする説明に、一応納得頂けたようだ。
「椿井庚太郎殿とゆっくり話をしてみたいと改めて感じた故、5日後の10日午前にでも当屋敷へ出向くよう伝えてくれ」
あらためて宿題を頂き話は終わった。
それから、越中守様や御家老様を含めた目の前で七輪に火をつける実演をして、やっと越中守様から解放された。
本来なら、七輪・練炭を大いに売り込むところだったのであろうが、白刃の真下で縮み上がったことや御殿様への面談要請など、精神的に疲弊してしまっていたのだ。
今日のことを御殿様に御報告せねばならないことを思って頭を悩ませるあまり、七輪を見せるのは大成功であるにもかかわらず、いつもの切れが全くないまま、茫然と屋敷を出た義兵衛だった。
安兵衛さんが引っ張るようにして萬屋まで連れて行ってくれなければ、行き倒れになっていたかも知れないほど消耗していたのだった。