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松平越中守様、神託内容を一部知る <C2270>

 松平越中守様から、人の生死・地位に関する神託について、知っている中身を話すよう促された。

 余計なことは言えないため、甲三郎様が北町奉行・曲淵甲斐守様に話した内容の範囲で説明するしかない。


「それでは、私の聞きました神託の概要をご説明申し上げます。何度かに分けて聞きましたそれぞれの中身を頭の中で合わせておりますので、巫女様が語ったものとは多少違って聞こえるやも知れませぬが、それはお許しください。では、これから先起きる順にお話致します」


 とは言え、最初に山があるのでどうせ止められるに違いない。

 果たして、来年2月に家基様が鷹狩りの帰路に落馬しその影響で亡くなるという神託を紹介した途端、雷が落ちた。


「無礼者!そのような恐れ多いことを申すではない!」


 越中守様が義兵衛を大声で怒鳴りつけた瞬間、横の襖が開いて御家老様が部屋に踏み込んでき、続いて後ろの襖も大きく開いて刀を持った家臣・若党3人が飛び込んできた。


「まてい!!」


 怒鳴ると同時に一歩後ろに飛んだ越中守様が、大きな声で制止の指示を即座に発してくれたから助かったものの、もう一瞬遅ければどうなったか判らない。

 真後ろの家臣は太刀を上段に構え、左右の家臣は袈裟懸け・横薙ぎにそれぞれの型通りの姿勢のまま、太刀の動きを止めていた。

 神託の中身を話せと迫られた挙句、白刃で囲まれた義兵衛は、ただただ小さくなってひれ伏すばかりであった。

 御家老様に続いて座敷に飛び込んできた安兵衛さんは、この様子を見て凍り付いている。

 この様子を一歩飛び下がって見ていた越中守様はハタと気づいたようだ。


「ああ~、済まん。話にちょっと驚いただけだ。大事ない。皆、部屋から出て襖を閉めよ」


 義兵衛にしてみれば、ちょっと驚かされたどころの騒ぎではない。

 何度も聞き・話したことで、たかが神託と軽く考えてしまっていたが、中身は将軍家の命運がかかった話なのだ。

 流石に、お漏らしまでには至らなかったが、冷や汗が全身から噴出している。

 越中守様の指図で一同が引き上げ、襖が閉められて静寂は戻ったが、襖の向こうには何人もの家臣が刀の柄に手をかけ息を潜めて詰めていることが良く判った。


「義兵衛、神託の内容を明かせと申したのはワシじゃった。聞いたのが、あまりにもの内容で、つい大声を出してしもうた。

 話を続けよ。ただ、このような話が続くと頭が痛いわい」


『やはりこうなるのか』という思いと『まだここまで伝わっている訳ではなかったのか』という情報漏洩の試金石に使えそうだ、という思いを持った。

 義兵衛は懐紙を取り出すと額の冷や汗を拭い、汗が引くまで深呼吸を何度か繰り返した。

 そして、多少落ち着きを取り戻してから、さらに慎重に、より小さな声でゆっくり諭すように話すことにした。


「家基様についてのこの御神託は、田沼様はすでに御存知で、こうならない様に対策を打っております」


 そして、義兵衛は北町奉行所内の曲淵邸で行われた会見で知った対策の概要を説明した。


「この対策の結果、御神託にあった日での鷹狩り帰路での落馬事故ということ自体は起きず、間違いなくこの神託は外れましょう」


「それを聞いて安堵した。何もせぬようであれば、ワシがなんとしてでも鷹狩りに同行して、神託の惨事を抑えるしかないと思ってしまったぞ。それで、その後はどうなる」


「家基様に関する御神託は外れまするが、次いで、来年の安永8年(1779年)・己亥つちのとい10月末に京におわします天子様がまだ御歳22歳ではございますがお隠れになられます。元々御病弱であらせられるため、残念ではございますが、これには手の打ち様がございません。不遜甚だしくはございますが、おそらくこの神託は当たりとなりまする。

 この結果、元号が安永10年(1781年)4月に天明元年と改元されるとの由。この天明が災いの元号でございます。

 そして、天明2年から天明8年までの7年間に渡って冷夏や洪水などによる稲の不作がおきるとのことでございます。中でも、天明3年浅間山大噴火の影響は大きく、田に火山灰が積もって米が全滅する所も多発するらしゅうございます。浅間山から流れ出た溶岩に沈んだ村も出ると聞き及びましてございます。

 そして、この飢饉の7年間はとりわけ、陸奥国を中心に影響が大きく、弘前藩・盛岡藩・八戸藩・仙台藩などで多くの餓死者が出るとの事にございますが、これには各藩の失政も絡んでおる、との御神託で御座いました。

 また、江戸市中でも米不足から米価が高騰し、天明7年(1787年)5月には、江戸や大阪といった町で商家への打ち壊し騒動が起きる、とのことでございます。

 7年もの長期間に渡る稲の不作・飢饉が起きるという神託は、天災なので外れることはございませんでしょう。しかし、それにより領民が餓死する・町で商家の打ち壊しが起きるということは人災なので、力のある者が努力すれば防ぐことが出来ると考えております。結果として、この神託の後半を外れにするというのが私の希望でございます」


「それで、ワシの陸奥・白河藩はどのような惨事となったかの神託はあったのか」


「それが『周囲の藩の領民が飢餓で苦しむ中、白河藩は分領の越後から米を送らせ、また大阪で米・雑穀などを買い集め領民に配給することなどの事後策を的確に行い、一人の餓死者も出さない』とのことでございます。

 巫女様は神託で、越中守様がこのような実績を上げることをのりたまいまして、田沼様に越中守様の登用を強く働き掛けたので御座いましょう」


 この言葉に、越中守様の顔はほころんだ。


「そうか。老中が動いたのは巫女の進言によるものだったのだな」


「はっ。僭越ながら斯様な仕儀となりましたは、我が主・椿井庚太郎と弟甲三郎の配慮、先を見通した采配が今のようになる切掛けとなっていると存じまする。

 さて、今暫し神託のことを申し上げたく存じます。

 こうした天明の飢饉が起きている中、病に倒れられた上様(将軍家治様)は、天明6年8月に50歳という御歳でお隠れになると巫女様は神託を宣給のりたまいましてございます。

 ただこの病については『俗に言う江戸患いが極端に進んだものであり、食事の中身を変えることで防ぐことができる』と巫女様は続けて語られまして、すでに田沼様が台所役人に詳細を指示しておるように聞いております。

 おそらくは、この療法が功を奏して天明6年にお隠れあそばされるという神託は外れとなる可能性が大で御座います。

 しかしながら、もしも、万が一この神託が当たってしまい、畏れ多くも上様が儚くなられる様なことになりますと、田沼様はご老中の座を追われ失脚なさるとのことでござります。この失脚は、後ろ盾となった上様がお隠れになったということが主要因ではございますが、飢饉の対策が遅れ、多くの民衆や武家から反感を持たれ、支持を失ったことも大きい要因となりましょう」


 義兵衛は、その後に越中守が老中になって寛政の改革を担うという話は隠した。

 ことここに至っては、もはや未来で流れている歴史知識は役に立たない、と判断したからだ。


「うむ。そうすると、ワシが領民を誰ひとり餓死させなかった、という神託で、まだ発揮しておらぬ実力を見込まれたのか。そして、白河藩ではなく、この国の全ての民が餓えることがないよう働けという訳か。飢饉対策を担うことで、この政治まつりごとへの反感を減らし、支持するものを増やすことになるのか。強いて言えばワシが田沼を助けるということだな」


 実際には老中・田沼様の思いは違うと考えられるのだが、結果として飢饉で民が飢餓に陥らなければ良い。

 天明の大飢饉を前に、田沼意次と松平定信を立てた呉越同舟で良いではないか。


「はっ、巫女様はその通りのことを申しておりました」


 幸い、将軍がお亡くなりになった後の後継は聞いてこない。

 一橋家の血脈で将軍家を乗っ取るというたくらみを打ち砕くという件は話さずに済みそうだ。


「これで皆判った。田沼が動いたのは、そのような裏があったのか。

 それはそうと、義兵衛は椿井庚太郎殿をどのような人物と見ておるのか。自分の殿のことゆえ言い難いとは思うが、これも包み隠さず述べるが良い」


 どうやら、昨日上機嫌となった話を語った人物が、家臣からどう評価されているのを聞きだそうとしているようだ。

 話が思わぬ方向に進んでいる。


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