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松平越中守邸での馬受領 <C2269>

■安永7年(1778年)6月5日(太陽暦6月29日) 憑依117日目


 相変わらず、せねばならないことが山盛りの義兵衛だった。

 朝、家臣長屋に作られた倉庫に納められた1000個の七輪を確認し、そこから2個を持ち出した。

 そして、松平越中守(松平定信)様の屋敷へ馬を受け取りにいく4名の面々と一緒に出かけたのであった。

 屋敷の前では、安兵衛さんが待ち受けており、合流して都合6人の集団で移動する。

 途中で萬屋の前で皆を待たせ、義兵衛は店の中に入る。


「忠吉さん、事情は午後にでも説明に上がりますので、手持ちの練炭を6個ほど売ってください。これから、川向かいの越中守様の屋敷へ行かねばならないのです」


 義兵衛の焦っている様子を見て取った萬屋・大番頭の忠吉さんは、差し出したお金を受け取ることもなく、取り急ぎ普通練炭4個・薄厚練炭8個を整えて持たせて送り出してくれたのだった。

 そのまま一行は、日本橋南地区から八丁堀地区を隔てる楓川にかかる橋の中の松幡橋を渡りお屋敷の正門へ到着した。

 門番へ椿井家の者が来たことを告げると、門番部屋に通され、留守居役代理の宮久保弥左衛門様が来るまで待たされた。


「義兵衛殿・安兵衛殿はここでもう暫くお待ち頂きたい。間もなく御家老がここへ来られて自ら案内すると申しておりました。

 馬を運ばれる方はそちらの4名ですな。昨日に椿井様が指定された馬は直ぐ運んでいただけるよう馬房の準備を済ませておる。このままワシについて来て頂きたい。帰りは裏の通用門から馬と一緒に出ていくことになるが、皆様道は大丈夫でしょうな。

 ああ、皆様は義兵衛殿・安兵衛殿と一緒に帰る訳ではございませんので、ここでお別れですぞ」


 そう言いながら、弥左衛門様は4人を引き連れて門番部屋を出て行った。

 それと入れ違いに、昨日の御家老様が門番部屋に入ってきた。


「昨日は名乗り忘れておりましたが、陸奥白河藩の江戸家老・奥沢満太郎と申します。殿より『椿井家のものが見えたら話を聞きたいので座敷に通すように』と言い付かっております」


 こう言って部屋から義兵衛と安兵衛さんを連れ出し、本宅の座敷へ向かいながらしきりと話しかけてきた。


「御殿様は椿井様とのお話の後、部屋に戻られましたが、大層ご機嫌でございました。

 田沼様からのご伝言の内容をお教え頂くことは叶いませんでしたが、そのお話でご機嫌なのかを問いましたら『それだけではない。旗本ではあるがワシと似たような考えを持つものが居ることに感心したのよ』と申されました。してみると、上機嫌な理由はその後の話にもあったようですが、どうも私には見当がつかんのですよ。

『領民を大切にしている』という話がこの屋敷の良馬2疋に見合うものか、どう繋がっているのか、全く判らんのですよ。

 義兵衛殿はどう思われますかな」


 どう考えても、伝言の内容で舞い上がったところに領民を慰撫する御殿様の話を聞かされたため、バラ色に聞こえたとしか思えない。

 黙るのもどうかと思ったので、当たりさわりのない意見を述べてみた。


「恐れ多いことではございますが、私なりに思うところを述べさせて頂きます。

 このところ旗本の多くは、借財にあえいでおると聞いております。そのため、知行地を頂いている者も、表向きは『領民を大切にする』と申しても、実際に『では、そのために何をしているか』という所について、資財が無ければどうしようも御座いません。

 しかしながら、当家では財務が苦しい中、数十年も前から全ての領民に寺子屋で字を教え、算盤を習わせたことで、人材に厚みが出るようになりましてございます。そして、やっと財務が苦しい状態から抜け出したや否や、領民が餓えることがないように米蔵作りを実践しようとしているのでございます。綺麗事ではなく、実地で行っている事例をお耳に入れました事でお喜びになったのではございませんでしょうか」


 義兵衛の返答に御家老様はしきりに頷いている。

 座敷まで来ると、義兵衛は中に入るように促され、安兵衛さんは御家老様と一緒に隣の部屋で控えるように言い付かった。

 座敷の下座の一番端に座り込み、横に七輪と練炭の包みを置いた。

 そして、平伏して待っていると、襖を開けて越中守様だけが入ってきて、上座ではなく座敷の真ん中に座った。


「昨日のことで聞いておきたいことがある。ワシだけに聞こえるよう、真ん中まで来い」


 どうやら、人払いまで済ませており、田沼様や巫女の件を洗いざらい話すしかないようだ。

 しかし、まずは義兵衛の横に置いてある包みに目が行ったようで、それをまず聞いてきた。


「その横にある包みは一体何じゃ」


 義兵衛は、包みを解いて、七輪2個と普通練炭6個と薄厚練炭8個を取り出して前に押しやりながら座敷の真ん中まで進み、指さしをしながらその機能をざっと説明した。

 暖を採る道具で、練炭1個あたりの燃焼時間はほぼ一定で、普通練炭であればほぼ一夜(約8時間)に渡り熱を発すること。

 薄厚練炭であれば、これがおおよそ1刻(約2時間)の燃焼時間となること、重ねれば時間が延びること、などなどである。


「寒くなり始める秋口に、この七輪と練炭を薪炭問屋から売り出すことを考えております。ここで得た利益で、椿井家の里は米蔵を建て終え、そして長期保存に向く籾米を蓄えます。籾米は米問屋からも買い入れる手はずでございます。

 昨日のご説明の折、実物をお目に掛ける事ができますれば良うございましたが、遅ればせながら本日持参した次第でございます。

 この七輪と練炭は献上させて頂きたく、よろしくお納めください」


 とりあえず時間は稼げたので、田沼様・巫女のことをどう説明するのかを決めることが出来た。

 越中守様は七輪と練炭を手に取って、横から・上からとクルクル廻しながら眺めていたが、やがて元のように置き、それを脇に避けた。


「では、ありがたく頂いておこう。後で家老を呼んで使ってみよう程に、それまでは居れ。

 さて、今聞きたいのは、田沼邸に確保されている巫女のことじゃ。隠し立てすると承知せぬぞ」


 義兵衛は、巫女にまつわる一通りの話、田沼様・曲淵様にそれぞれ知られているであろう範囲を想定して概要を説明した。

・今年の春に自分に神託が下り木炭加工販売をし、まず実績を積んだこと。

・次いで大飢饉が来る神託が下されたこと。

・里には義兵衛に先行して同じような神託の噂があり、その出元が今回田沼邸に引き取られた高石神社の巫女であったこと。

・本来の神託を扱う巫女が見出されたことから、義兵衛には神託が下されなくなったこと。

・飢饉の時期に浅間山が大噴火し多くの影響が出るという神託があったこと。

・そういった神託を宣る巫女は、田沼様が保護し世間から隔離した方が良いと判断されたのではないかと推測されること。


「しかし、飢饉や噴火をる巫女というだけでは、こうまではなるまい。ましてや、あの田沼じゃ。その程度のことで、ワシを今更田安家の当主に戻そうと動く理由はない。義兵衛は神託を受けたこともある当事者ゆえ、何か知っておろう」


 どうやら、越中守様は勘が鋭いようで、恐い顔をして詰め寄ってきた。

 さて、どこまで本当のことを言っても良いものか、ここは正念場だ。

 ゆっくりと話をしながら考えをまとめるしかない。


「先ほどの説明の中には、恐れ多くて含めなかったものがあります。それは、外れる可能性が高い神託のことで御座います」


 越中守様の恐い顔が少し緩み、早くその先を話せとばかりに目が動き、問いかけが来た。


「神託が外れるというのはどういうことかな」


 そこで、義兵衛は甲三郎様が田沼様にした『当たる神託と外れる可能性がある神託の違い』を説明した。

 特に、飢饉が起きることは防げないが、領民が大勢餓死することは人の生業なりわいなので備えることで避けることができる、ということを追加して説明した。


「それは了解するが、具体的な外れる可能性がある神託があろう。

 お前の言う人の生死・地位に関する神託を聞こうではないか」


 ここから先が最初の関門だ。


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