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松平越中守様へお目通り <C2267>

 御家老様は、各人の大小をここにそのまま残すよう指示した後、お目見えする座敷へ案内した。

 座敷では御殿様は下座に座り、義兵衛と安兵衛さんはその後方に控えた。

 ここは格がものを言う世界であり、松平越中守様が絶対の世界なのだ。

 しばらく座敷に控えていると、先ほどの御家老様が座敷の横の襖を開け、越中守様が入ってきた。

 越中守様は着座すると、家老に向かい指示をした。


「この部屋の周囲へ誰も立ち入ることがないように人払いせよ。お前も呼び立てるまで近づいてはならぬ。

 それから、椿井殿。そちの後ろに控え居るものは、語るのに問題無い者か」


 松平越中守様、後世に寛政の改革推進者と言われる松平定信様はまだ御歳20才の若者である。

 にもかかわらず、薬籠の家紋を見て話が尋常ならざる事を察しているに相違ない。

 まだ将軍家と同じ扱いで西丸に暮らしていた16歳で、陸奥白河藩へ養子として送られることが決まった直後、田安家当主であった兄・治察はるさとの突然の死去。

 当然、養子縁組は解消され田安家を継げるもの、と誰もが思っている状況で、結局は養子縁組解消もなく、肝心の田安家は当主が空席のまま存続するという異常事態、通常の家であれば取り潰しになるという状態がもう4年と随分長く続いているのだ。

 ならば、白河藩主として公儀でそれなりの役に就き、ことの次第をただすべき、と開き直り考えているに違いないこの時期なのだ。

 そして、様々な思惑を全て拒んできた大きな壁であった老中・田沼からの内緒話という符丁なのだから、どんなに用心してもし過ぎることはない、という姿勢は良く判る。


「この者達は私の家臣ですが、ここに至る事情を詳しく知っており、同席しても差支え無き者でございます」


 端正な顔立ちの越中守様がかすかに頷いた。


「良い、ではもそっと近く寄れ。大きな声では話せぬことじゃろう。そこで這いつくばっておっては、声が聞こえん」


 そう言い放つと、越中守様は立ち上がり、上座からスタスタと部屋の真ん中まで来て座り直し、手招きした。

 御殿様は深く一礼すると、その姿勢のまま部屋の真ん中まで器用に滑って進んでいった。

 義兵衛と安兵衛さんは、御殿様から何の合図もないため、その場で平伏したまま控えている。

 しかし、御殿様の姿を目の端でしっかり捉え、合図があり次第側へ摺り寄る準備を済ませていた。

 座敷の真ん中では、御殿様がする話に越中守様が頷く様子を見せている。

 機嫌はすこぶる良いようだ。

 御殿様から、手の平を斜め後ろに出し小さくクイクイと動かす合図が見えた。

 二人揃って御殿様の左後ろにくっつくようににじり寄ると、やっと声が聞こえるようになった。


「この者は、細江義兵衛、浜野安兵衛と申し、今後田沼様からご連絡がある場合はこの屋敷に派遣致す予定の者です。今回のように留守居役代理殿へ取次を求めますので、よろしくお見知りおきください。

 また、越中守様から内密の御連絡をなされる場合は、薪炭問屋の萬屋から向後毎日御用聞きに丁稚を寄越しますので、こちらに今お渡しした当家・椿井家の家紋が入った印籠をお渡しください。それが符丁となってこの者かその代理と判るもの、あるいは私自身がこちらの御屋敷へ伺います。文でこと足りる場合には、印籠を添えて丁稚へ渡して頂いても結構でございます」


 御殿様のこの紹介に合わせて深く礼をした義兵衛は、越中守様から『顔を見せよ』との声に顔を上げ、思わず目を合わせてしまった。


「ほほぉ、良い面構えをしておる。まだ若いようだが、歳はいくつじゃ。ああ、直答してよい。どうせ今後は、老中からの伝言を直に伝える者に選ばれておるのじゃろう」


「はい、私は齢16にございます。お察しの通り、連絡を担当せよ、との御指名を頂いております」


「椿井殿より薪炭問屋の萬屋・丁稚の御用聞きを窓口にすると聞いたが、そちが丁稚に化けるのか。また、萬屋とどのような関係となっておるのじゃ。

 ほれ、市中で評判となっておる例の料理比べの件じゃ。萬屋や奉行はまだしも、そこでは旗本・椿井家が特別扱いとなっておろう」


 いきなり答えるのが難しい問いが飛んできた。


「何も隠すものは無いゆえ、そのまま説明するがよかろう」


 御殿様は気楽に言うが、全部を話すと長くなってしまうだろう。

『これはきっと御殿様に試されているに違いない』

 義兵衛は、ポイントを絞った説明を試みた。


「恐れながら申し上げます。椿井家の里では冬場に木炭を作り毎年萬屋へ卸しておりましたが、この春に木炭を加工してから萬屋へ卸すことを思いつきましてございます。この加工品が小炭団で、卓上焜炉の燃料となるものにございます。

 小炭団の販売をより確実にすべく、卓上焜炉を流行らせるための方策を萬屋と考え、八百膳を巻き込んで先のご質問にありました料理比べを実施したのでございます。この関係で、料理比べの時に目付役の枠を頂きました。

 おかげ様で焜炉料理は評判になりまして、萬屋や当家は利益を得ることができ、萬屋も含む商家からの借財を完済することができ、また、里も今より少しは豊かになる目処がついた所で御座います。

 こういった経緯があるので、萬屋には多少無理を聞いてもらえる関係となっております。可能な限り萬屋の丁稚姿で裏門より御伺いすることになりますが、本物の丁稚が御用聞きすることもあるかと存じます」


「簡潔で実直な物言いに、感心したぞ。若いのに良くできておる。

 椿井殿、木炭加工して里を豊かにすると聞いたが、御領地はどうじゃ。そこではどのような施策をしておる」


 どうやら義兵衛自身は地雷を踏まずに済んだようだ。

 だが、御殿様へ思わぬ負担を掛けてしまうこととなった。

 確かに、松平越中守様は陸奥白河藩11万石の藩主であり、領国の経営としてどのようなことをしているのかを聞きたいのだろう。


「東照宮様が江戸開闢された折、我が先祖が今の里を拝領致しました。以降、拝領時の気持ちを忘れず、この里の領民を慈しむよう治めております。そのため、旗本の身ではありますが、里に館を設け一族郎党はそこで暮らし、公儀のお勤めに必要な者だけが江戸屋敷に詰めるようにしております。

 先々代が『この寒村を生かすには人が重要』と申しまして、出自・男女を問わず6歳から10歳までの者は皆寺子屋で、読み・書き・算盤を習わせております。我が子とで例外なく、小作の娘などとも一緒に5年間は里で仕込むのでございます。この結果、義兵衛のような若者を見出みいだして取り立てることができるようになりもうした。

 結果として、義兵衛の手掛けた小炭団の販売では多少の利益を得ましたため、これを元手に飢饉対策のための米蔵を里に設け、民が餓えることがないよう備える所存にございます。

 また現在、木炭加工として、小炭団に続き秋口より練炭なる製品を村の工房で作っております。ただ、生産された練炭を江戸へ運び出すのに難儀しておると聞いており、新たに馬を揃えて小荷駄隊を作り対応する予定でございます」


 事情を知る義兵衛には無難な説明と思われたが、越中守様には幾つかひっかかる言葉があったようだ。


「なに、飢饉対策で米蔵・秋口の練炭・馬を揃えて小荷駄隊じゃと。よう判らんのぉ。

 さて、どこから話を聞こうか。何、この後は何もないので時間はある」


 どっしりと構えられてしまった。


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