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浜野安兵衛さん同行の名目 <C2262>

■安永7年(1778年)6月3日(太陽暦6月27日) 憑依115日目


 お屋敷では昨夜の祝宴の影響が残る中、緊張して硬い表情の甲三郎様が2名の供を連れて西丸・田沼邸へ向かった。

 義兵衛もほぼ同じ時刻に単身で萬屋へ向かう。

 萬屋では、いつものように奥の茶の間で卓上焜炉・小炭団販売の作戦会議をしていた。

 作戦会議といっても、2ヶ月も毎朝やっていれば、販売・在庫状況の確認と仕入れ見通しの意識あわせ位で形骸化している。

 だが、これをたしなめねばならない千次郎さんもお婆様も、うわの空なのだ。

 丁稚に案内されて義兵衛が入ってくると、千次郎さんの顔に生気が戻ってきた。


「義兵衛さん、先月の24日以来でございますな。8日もお目にかかっていなかったことになります。里から戻ってくるなり、北町奉行所へ行き、それきり戻ってこないという噂を聞いたときには、心臓が止まるほど驚きましたぞ。

 椿井家様は贔屓ひいきのお客様でございますので、御用聞きの丁稚はちょくちょく出入りしております。そこからの話でございますよ。

 29日、30日はとても厳しく警護されており、当日は御用聞きも門前払いでしたが、一体何事だったのでしょう」


 いくら質問されても、これは説明できない。

 しかし、今の結果であれば説明しても良いのかも知れない。

 そう思った時、丁稚が新たな来客を告げた。


「北町奉行所・同心の戸塚様と御一緒に、北町奉行所・曲淵甲斐守のご家中の方で、浜野安兵衛様がお越しですが、如何致しましょう」


『事情は後ほど』とし、この席へ同席させることを千次郎さんにお願いすると、間もなく両名は茶の間に現れ、安兵衛さんは千次郎さんへ初見の挨拶をした。


「奉行から、細江殿の護衛をすることを仰せつかっております。ここ数日の間だけと聞いておりますが、基本はどこへ行く場合でも付いて参りますので、お見知りおき下さい。

 私がいることで話し難いことがある場合は都度先に申し出てください。また、聞いてしまったことで、どうしても漏れては困るということがあれば、言って頂ければ私の胸の内に留め、黙っております」


 なるほど、用心棒という形にすれば同行しても何も怪しまれることはないし、意見を求められることもない。

 実際、安兵衛さんは腕がたつ人のようだ。

 そして、江戸市中を取り締まる権限を持っている御奉行様からの直接の指図であれば、どこからも文句は出ないし、出るはずもない。

 しかし、こうなると秘策は語れないので、厄介なことになってしまった。

 強いて席を外すことを求めると、それだけでよからぬ相談をしていると見られてしまうのだ。


「椿井家では、御殿様の弟君の甲三郎様が本日より田沼家に仕官することとなりました。今頃、西丸・田沼邸に着いている頃と思います。仕官にあたっての条件・待遇などは良くは判りませんが、一昨日に奉行所で述べた御公儀の財務改善施策について、採用する方向になったことに伴ってのことと思っております」


 義兵衛はあたりさわりのない説明をするしかない。

 それだけで色々と察してほしいものだ。

 忠吉さんはともかく、どうやら千次郎さんとお婆様は判ってくれたようだ。


「ところで、秋口に販売する練炭について、里では今薄厚練炭を多分10万個在庫として持っています。小炭団と同様に登戸村の店に卸していきたいのですが、この扱いについてどの程度まで萬屋さんが発注なされるのかの見通しがないので、まだ運んでいません。

 このあたりを詰めておきたいのですが、どうでしょうか」


 千次郎さんは少し考えていたが、おもむろに口を開く。


「例の萬屋の位置づけを変える話とつながっているだけに、卓上焜炉や小炭団と同じ扱いは難しい。七輪と練炭の売れ行きがどうなるのか。義兵衛さんがからむ以上、成算があるのは判るのだが、普通練炭換算で450万個の需要という目算が1桁違ったら破滅です。そちらへの売掛金の清算は年末で良いのですよね」


 お婆様があきれた顔で千次郎さんを見ている。


「売掛金について、年末で回収する金額はせいぜい2000両までです。残りは萬屋さんの帳面に載るだけで、複数年で徐々に回収していきます。差額は萬屋さんで運用して頂くという話は以前申した通りです。

 需要予測は1桁少なく見積もるのは当然で、萬屋さんの店だけで小売りできるのはそのあたりが上限と見ています。

 練炭の売先は、非常に幅が広くなると見ております。今回の卓上焜炉で料亭と確実に伝ができておりましょう。そこへの売り込みで練炭45万個、薄厚練炭だと180万個分は捌けると思いますよ。

 位置づけを変えることなく、その程度の商売はできます。しかし、残りの400万個は他の薪炭問屋を巻き込まねば捌けませんよ。そのために、商売の位置づけを変えるようお願いをしているのです」


 判っているのだろうが、いざそこへ踏み出すとなると躊躇ためらう気持ちは判る。


「10万個の薄厚練炭、小売り65文で1625両。卸値は45文なので、1125両の売掛金ですね。あと七輪ですが、薄厚練炭100個が七輪1個あたりの秋口からの使用量として、1000個の準備ですね。1000文小売りで700文が卸値。175両の売掛金となって、合わせて1300両ですか。萬屋の儲けは全部捌いて575両。

 よろしゅうございます。まずは登戸の店へ薄厚練炭80万個を卸してください。あと七輪もとりあえず1万個萬屋で引き取りましょう。手配をよろしくお願いしますよ」


 自前で捌ける分量は受け入れてくれたようだ。


「練炭は順次運び込みますが、重量がありますので、運搬が難しいのです。実は、工房から登戸に送り込む人手が足りず、そこの補強に時間がかかっております。数量や到着予定は、その都合になりますので別途お知らせします。七輪については6月7日から6日毎に1000個運び込むという段取りでどうでしょうか」


「それで問題はありません。それで、七輪・練炭の売り捌き方は一緒に考えて頂けるのでしょうか」


「もちろん協力させて頂きます。七輪・練炭は飢饉対策の資金を得るための大きな機会です。ここで頑張らないと、折角焜炉や小炭団で得た利益を吐き出すどころか借金まみれになってしまいます。椿井家としても、言っては何ですが大博打なのですよ。

 もっとも、大博打になっているという話は御殿様にはしておりませんので、気づいているかどうかまでは判りませんがね」


 義兵衛が批判的な口調で御殿様のことを言うのを聞いて戸塚様が言う。


「確かに、500石の旗本でありながらお役についておられぬというのは、いかがかとは思いますが、そのようなことは口にされないほうが良いと思いますよ。ここだけの話としてもですがね」


 ところが、お婆様が口を挟んできた。


「いや、椿井庚太郎様は絶対判っておる。先日、ご挨拶にお屋敷に訪問させて頂いたが、話の要所要所でおぼろげに微妙に表情が変わり、内容の可否・好悪といった気持ちがやんわりだが読み取れる。それでいて返答はわざと外したりして言質を取らせん。あれはかなり手練てだれの者とわたくしは見ましたぞ。

 大博打で失敗した時の算段くらいは考えておるわい、という顔じゃった。悪い言い様ではあるが、博打で少しでも有利にするためなら、義兵衛を萬屋でこき使え、という感じではあったのぉ。実際そのような発言もあった。

 わたくしは、あの返答には思わず喜んでしまったわ」


 何か両方の味方に裏切られたような気がして、呆然とした義兵衛だった。


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