田沼意次様への説明 <C2258>
飢饉対策を始めるに至った経緯・神託内容と結果から、他の神託も全部正しいと考えることの是非を田沼様は聞いてきたのだ。
甲三郎様は答えに窮したのか、義兵衛をチラ見してきた。
こうなると、義兵衛が答えるしかない。
「恐れながら申し上げます。椿井家・拝領地の金程村で暮らしておりました細江義兵衛と申します。今は椿井家に仕官しており、家の財務見習いをしております。
先ほどの富美からの説明にございましたように、今年の2月に神様からの啓示を受け木炭加工を手掛けさせて頂きました。
浅間山の噴火や冷夏による不作は天災だけに、人の力で抑えることができぬことと考えております。従い、起きた後のことを想定しての対策をするしかなく、そのために必要なことに手を出しております。
この手出しの結果、天災以外の神託は実際にその通りとはならない可能性があると考えます。
つまり富美の申す神託通りのことが起きる保証は、今はもうございません。
従って仰せの通り、たまたま当たりという様に見えてしまうかも知れません」
義兵衛はここで一息入れた。
「しかし、富美の伝えた神託は今後起き得る可能性を示しているものとして、参考にする価値はあると信じております。
4年後から起きるであろう大飢饉の神託について、まだ確定したものではありませんが、単年での不作は数年に1回の頻度で起きており、余裕がない村はこの不作でも皆が餓えるのでございます。神託を契機に、複数年に渡る不作でも村人が飢え死にしないように備える、ということが重要なのでございます。
どの神託も同じで、その通りになるという可能性を示しているとお考えになれば良いかと存じます。私は残念ながら良い結果となる神託は聞いておらず、災害・厄災のものしか伝えられておりませんが、避けることができないことは起きた時にどうすればよいかを考え行動したいと考えます。事前に避けることができるものであれば、まずそれを避けることの対策を考え行動すればよく、避けきれなかったときにどうすれば良いかも併せて考えておけば良いと愚考いたします。
こういった姿勢について、神託を信じていると仰るのであれば、その通りにございます」
義兵衛は神託の内容は一切語らずに、対応をどう考えれば良いかの原則を提示することで逃げようとしたのだ。
「今回の富美の神託はその扱いで良いのかも知れんが、世の中には荒唐無稽なことを神託と称して唱える者も大勢おるぞ。逐一それに対応するというのは御公儀と言えども難しい。詐欺紛いの内容も多かろう」
おそらく田沼様の下へは様々な予言紛いの陳情が届けられるのだろう。
その経験から、いかにも当然に見える義兵衛の言う原則を実際に実施することの困難さを指摘してきた。
「見分け方は意外に簡単でございます。どの予言も『なに』が起きるという事は予言の主体・願望に直結することですから述べられています。しかし、本当に肝心なのは『いつ』『どこで』なのでございます。
問い詰めても、これがきちんと整っていない予言は『いかさま』に近いと判断して良いと考えます。例えば『○○の日は近い』という言い方です。どの程度近いのかを一切語らないのであれば、対策の緊急度を判断できず、結果として放置・無視して良い案件となります。
私が聞いた富美の神託は『いつ』『どこで』『なにが』がきちんと揃っており、かつ、外れる可能性にまで言及されており、正当に扱うべき案件かと考えております」
「うむ、義兵衛はよう判っておるの。
それで、まず上様と世嗣・権大納言様のことであるが、俗に言う江戸患いという病にかかると聞いておる。
『精白米ばかりを食さずに、食材として豆類を多用した食事をせよ』との話を曲淵より聞いており、その旨台所役人にすでに申し付けておる。
そして『権大納言様(家基様)が来年2月の鷹狩りで落馬し、それが原因でお隠れになる』と申す件は、落馬を直接原因とし、そこに至るまでの2月・新井宿・鷹狩り・帰路騎乗というそれぞれの4要素から2個は消す組み合わせとし、普段でも騎乗の折には服装や供を考慮することで対処を考えておる。特に騎乗は、鷹狩りだけということではないので、馬場にて訓練して頂くことと相成っておる。
これでどうじゃろうか」
これには甲三郎様が答えた。
「今得ております神託に照らしますと、充分なご対応ではないかと考えます。これにより、将軍家に関する神託は、結果が変わることになると思われます」
田沼様は続けた。
「次に、ワシと息子の意知のことじゃ。ここにおる曲淵は、神託のことと申して容赦もなく言いよったわ。最初はワシも茫然とし、ついで曲淵に怒ってしまったが、今は冷静に受け止めることができよう。ただ、どうすれば良いかは一向に見当がつかん。
何か策があれば申してみよ。富美とやら、神託では何と出ておるのじゃ」
何の意図があるのか、答えを甲三郎様ではなく、富美を直接指名してきた。
「恐れながら申し上げます。
まず、田沼様のお屋敷に居られる方々の中で、田沼様へのお取次ぎをなされる方についての懸念でございます。
こういった方々は、不相応な饗応や金銭の受け取りを行うなど容易に私腹を肥やすことが出来る立場にございます。無事にお取次ぎが出来、お口添えでことが成就された場合は、お礼の先渡しということで怨恨は起きません。しかし、賄賂を贈ったにもかかわらず、お取次ぎをなされなかった場合やことが成就されなかった場合、後をきちんとされておかねば贈った方からの怨恨が生じます。そしてその怨嗟の声がお取次ぎの方だけに向くのであればまだしも、主である田沼様に向うことを懸念いたします。従い、お取次ぎされる方のご様子は充分に注意し、不相応の賄賂を事前に受け取ることがないよう御指導頂く必要があります。これは、大和守(田沼意知)様のお付の方も同様でございます。
それから、田沼様の後世での悪評で御座いますが……」
この一言に田沼様がピクンと反応した。
「ワシの悪評とはどういうことじゃ。聞いて居らぬぞ」
田沼様は富美の話に被せるように割り込み、曲淵様の方を向いて顎をしゃくった。
「申し訳御座いません。田沼様の後を襲い老中となられた松平越中守(松平定信)様が『田沼様が老中・首座になられてから、賄賂の多寡で政治を行い公儀を私しておった』と喧伝した、ということは申し上げましたが、その後の影響までは聞いておりませんでした」
こうなると義兵衛が乗り出すしかなさそうだ。
「申し上げます。越中守様は、折角の統治能力がありながら田沼様への怨恨からそれまでの施策の良し悪しを問わず全て反故にし、悪評を喧伝してしまうとのご神託でございました。この結果、田沼様は幕府の財務改善に貢献なされておりましたが、その功は知られることがなく、新田開発の失敗や賄賂にまみれた政治を行ったと、後世には伝えられるとのことでございます」
田沼様は憤然とした表情を見せた。
「思わず遮ってしまったが、富美の話が途中であったな。確か悪評についての策じゃ」
「はい。大変失礼ではありますが、越中守様から待遇について昔から色々と申し入れをされておりませんか。
『無当主となってしまった田安家に出戻りし、田安治察様の後を継ぎたい』とか、『陸奥白川藩主のままであれば、せめて若年寄りに推挙頂きたい』といった類でございます。おそらく、多くの進物とともに申し入れされたのでは、と存じます」
富美の中にいる阿部は絶好調なのだろう。
『暴走だけはするなよ。甲三郎様と話した内容に沿って進めておくれ』
義兵衛は思わず咳込んだ。
松平定信様は、この時点(1778年)では従五位下上総介(1775年叙任)です。そして、天明3年(1783年)に従四位下越中守となります。その意味でこの話の中では「上総介様」とするのが正しいのですが、ややこしいので、この小説では始めから越中守ということで進めさせてください。




