田沼意次様登場 <C2257>
■安永7年(1778年)6月1日(太陽暦6月25日) 憑依113日目
北町奉行所の敷地内に建つ曲淵甲斐守私邸で、家臣の安兵衛さんに奥座敷へ案内された甲三郎様と義兵衛は、主が来るのをじっと待っていた。
そこへ戸塚様が富美を連れて入ってきて、安兵衛さんが席を外すと甲三郎様に下座の端まで下がるよう指図した。
甲三郎様を挟んで左右に義兵衛・富美が間隔を空けて正座する。
「実は、お忍びで老中・田沼様がこちらに来られることと相成った。
今までに例のないことゆえ、御奉行・曲淵様も驚いておる。
別室で御奉行様が一通りの経緯を説明した後、こちらにお通しする予定であるが、意外に長くかかるやも知れぬ。
お見えになられたら、まずは椿井家家臣として両名・および富美の紹介を行なうが、その後は曲淵様の指図に従い粗相のないように致せ」
突然のことで、飛び上がるほど驚いた。
もたらされた内容の重要性に鑑み、自ら乗り出してきたものと思われる。
ピンチではあるが、対応さえ間違えなければ甲三郎様にはチャンスなのだ。
じりじりとした気持ちで1刻(夏場で約3時間)ほど動きもせずに平伏した姿勢で待ち続けながら、頭の中はどう対応するかで一杯となっていた。
日本史では評価はともかくとして江戸時代の所で必ず出てくる、あの田沼意次様と直接サシで向い会うことになるのだ。
チラッと横を見ると富美が小刻みに震えている。
多分、富美の中の阿部が暴れているのを必死で押さえ込んでいるに違いない。
かなりの時間が経過して、もう神経が持たんと感じはじめた頃、やっと廊下の軋む音がこちらへ向って近づいてきた。
押さえ込んでいた動悸が跳ね上がり、顔が上気するのが自分でも判った。
ススッと上座横の襖が開き、曲淵様に続いて田沼様が部屋へ入ってくるのを目の端に捉え、着座するのを耳で感じた。
「田沼様、ここに並んでおりますのが椿井家の拝領地に居ります者で、先ほどご説明させて頂いた関係者で御座います。
3人の真ん中に居りますのが、椿井甲三郎と申し椿井家の三男にして、この神託を町奉行所に届け出たもので御座います。
右側が椿井家家臣・細江義兵衛です。神託により村の殖産を行い、これによって飢饉の折に椿井家の拝領地で餓死者が出ないよう動いております。先頃、浅草・幸龍寺で行われた料理比べの興業も、出所を探ればこの義兵衛の案に行き着きます。
そして、左側に居るのが高石神社で巫女をしておった富美と申す者で御座います。今は椿井家の里の館で奉公人として働いております」
各々は曲淵様から自分が紹介された折、僅かに顔を上げそれと判るよう一層深く平伏したのだ。
曲淵様からの紹介が終わるのを待ちかねたかのように田沼様が口を開いた。
「さて、3名とも、もうそのように平伏しておる必要はない。顔を上げよ。今ワシは身分の枠を外して、この屋敷に来ておる一介の爺じゃ。こう言うと、横におる甲斐守が睨みよるが、そのままで居ると皆の目の色が見えん。顔を見ぬと、嘘を言いよる輩かどうかの見分けがつかんではないか。
己の才覚で、今は老中の身ではあるが、30余年前に家督を継いだ時は、高々600石取りの旗本に過ぎぬ。石高の多寡や身分を盾に意見を容易に述べぬ者や、折角の意見すら形式がなっておらんと端から拒む者も居るが、そりゃ間違っておる。
それに、代々引き継いだ禄を喰みながら何の働きも出来ん者は、幕府にとってはただの無駄飯喰いじゃ。無禄でも今の御公儀の財務を立て直す意見のあるものは、ワシが聞こうぞ。
さて、神託で公儀の行く末に大きく影響が出る内容があったと聞く。色々と曲淵から聞いてはおるが、まずは直接ワシに申してみよ」
この言葉をそのまま受け取ると、田沼様は年功序列ではなく実力主義で、虚礼廃止派ということになる。
江戸時代は、ひとつの見地からではあるが、身分の上下をわきまえることで安定している社会なのだ。
そこで実力主義を通すということは、一歩間違えれば秩序の破壊者の道を歩むことになるのだ。
今の話だけで、将軍・家治様という大きな後ろ盾を失ったときに、旧守派から総スカンを喰らい失脚する、というのは見えてしまった。
今の時点でもその異様に早い出世を妬む輩も多かろうし、田沼様の権威に頼って望みが叶えられなかった者は確実に恨み始めるに違いない。
なによりも、この体制のトップが世襲なのだから、実力主義を認めると将軍家の統治論理と相容れなくなるのだ。
再び富美の様子をチラッと見ると、今の言葉を理解したのか真っ赤に上気している。
富美が必死になって中の阿部を押さえ込んでいるに違いない。
さて、田沼様のこの発言は、上昇志向の強い甲三郎様にとっては好都合に思える。
曲淵様が異を挟まないのを確かめたかのようにして、甲三郎様が口を開いた。
「恐れながら、わたくし椿井甲三郎が申し上げます。
巫女の神託でございますが、2通りのものが御座います。
既にお聞き及びかも知れませんが、一つは地震や冷害など、おおよそ人がどうこうしたところで、どうにも出来ない、止めることができない神託で御座います。この神託はまず外れることはないものと見ております。
もう一つは、人の生死と地位に関するもので御座います。こちらは、人の意思で変えることができ、また変えたことでの影響が出るため、神託と異なる結果が出ますし、異なる結果が重なる程、起きる出来事が神託から外れていきます。
あと、重要なことは、この国に大きく影響する事柄しか神託を得ることができません。富美を確保しました時に、我々の椿井家のことについて神託を得ようとしましたが『そのような些細なことは知らぬ』とのことで、落胆した次第で御座います」
甲三郎様の最後の言い様に田沼様は声を上げて笑った。
「そうか。国の大事であればそれ相応の神託を得ることができる、ということか。ならば、上様や京の天子様のことが判るのは当然であるな。その上、ワシや息子の意知についての神託が出ておるということは、日の本の国としてワシ等は些細な者ではない、という証と考えても良いのか。
それではまず、ことの発端となった4年後の飢饉の神託の経緯から聞こうではないか。
富美、と申したな。そちからじゃ。何も恐れることはないぞ」
きっと自分と息子のことを真っ先に聞くであろうと推測していたが、流石に一国の宰相だけのことはあって、順序は責に相応しいものと感心した。
一方、指名された富美はグッと押さえ込んだ固い表情で、ことの次第を簡単に説明し始めた。
「高石神社で巫女をしておりました富美と申します。今は旗本・椿井家で奉公をさせて頂いております。
ことの経緯でございますが……」
富美は、14年前に神様から大飢饉の啓示を受け神楽で村民に告げたが相手にされなかったこと、神託を宣じることを封されたこと、そのため神様は義兵衛を使ってまず木炭加工での殖産で信頼を得させ、それを手始めに飢饉対策を進めようとさせ、その過程で神託を受ける自分が椿井家の甲三郎様に見出されたことを簡単に述べた。
「すると、木炭加工の殖産が成功したことが、大飢饉の神託が正しいということの証なのか。それだけで、他の神託も正しいと信じていることになるが、純粋に当たり外れという観点で見ると、木炭加工がたまたま当たったにしか過ぎぬように見えぬ。どうじゃ」
『どうじゃ』と言われても返す言葉がない。
甲三郎様は義兵衛の方へ向いた。




