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1日早い江戸行き <C2253>

■安永7年(1778年)5月29日(太陽暦6月23日)


 昨日は、助太郎と一緒に実家の父・百太郎に会い、籾米購入の経緯と大丸村で米蔵を借りる算段について相談をし、その後工房へ行き練炭作りで改善すべき作業内容の確認、強火力練炭の工夫についての説明を聞き、深川製七輪の試験について打ち合わせを行い、強火力練炭を10個程登戸経由・萬屋さん経由で深川の辰二郎さんの工房へ送り込む手筈を確認するなど、大忙しの夜を過ごした。

 そうして、やっと夜明け前に館に戻った義兵衛であった。


「義兵衛か、出立にはどうにか間に合ったのぉ」


 爺・泰兵衛の繰り言のような文句を聞きつつ、館の庭に引き出された馬を真ん中にした隊列の一番最後の組に入った。

 隊列の中には奉公人の女性が3人いる。いずれも富美と似た年恰好だが、富美は女主人に従う付き添いという風情に仕立て上げられている。

 戸塚様の手先と椿井家の中で使い番となっている2名は、すでに先行して出立しており、各所で色々と手配して回っているようだ。

 甲三郎様と戸塚様と手先、御殿様であれば槍持ちの所槍を持たず先触れとして同行する家臣2人で、計5名の第一陣。

 女性陣3名に家臣2名で、計5名の第二陣。

 飼葉を山と積んだ馬と馬子、それに荷物を担いだ人足風情だが屋敷で馬の世話をする者が4名で、計5名の第三陣。

 その後に人足よろしく荷を背負った家臣3名に義兵衛の計4名の第四陣と続く。

 一行は先行手配で出立済の3名を含めると計22名にもなり、椿井家としては大集団となっている。

 御殿様を正式な陣容で送る場合は10人程度だが、江戸で馬を購入することに備えた陣容と、富美を連れて行くための列を交えた格好になっているため、このように大規模になってしまった、とのことだ。

 人数が多い割にはさくさくと隊列は進み、まだ朝という時間には登戸村に着いた。

 その川岸には、少し大きめの屋根付き平底船が待機しており、馬1疋も入れて一行19名がまとめて乗り込み和泉村側へ着いた。

 和泉村では驚いたことに女駕籠が用意されており、駕籠かき2名も待機している。


「これは、今年奉公に上がったばかりの娘が、いかに女中頭の娘とは言え破格の扱いではないか。もしや、あの娘は殿の御妾様ということか。甲三郎様も出立を1日前倒しにするとは、御殿様から催促でもあったのであろう」


 義兵衛の属する第四陣のおさは訳知り顔でこうつぶやいた。

 事情を知らぬ者はこの呟きに『なるほど』と納得した表情をしている。


「しかし、ちと大仰過ぎやしませんかね」


「そうかも知れんが、江戸で馬を買って増やすという話がある。御殿様の金回りが良くなったとも聞いておる。わしらもその恩恵を受けることがあるやも知れん。江戸まで気張って荷を運ぼうぞ」


 第四陣は下端したっぱの集まりで、こういった面々から噂話が広がるのだ。

 女駕籠仕立てで、御殿様の妾を送り込むという話であれば、いかにもありそうで都合が良いのかもしれない。


「『問題が起きたため、元巫女は行方知れずになりました』などと平気で報告はできません。武家屋敷内でのことであれば、取り調べようもありますが、道中警護を任じられた身にもなってください。『これだけのことをしても、賊に身柄を奪われました』なら、まだいい訳の仕様もあります。道筋を変えることさえ考えたい位ですが、さすがにそこまですると逆に変に思われます。なので、まずは予定を1日繰り上げて、30日の帰還を予定している者の虚をつくしかありません」


 こういった戸塚様のぼやきとも言える甲三郎様への進言を聞いている義兵衛は、ここまで大げさな偽装をするのか、という思いがしている。

 しかし、戸塚様の『この道中は決して安泰ではない』という考えに従い、こういった次第になっているのだ。

 義兵衛もかなりの飼葉を背負い、第四陣の先頭に立って馬の後を追うのだった。

 道中、特に変わったことも起きず、昼過ぎには江戸屋敷に到着した。

 第三陣・四陣の9名が、綺麗に清掃された馬小屋に馬をつなぎ、小屋の納屋に飼葉を積み上げた。

 馬小屋は5疋入れるように整備されている。

 そればかりか、屋敷の中には新顔の者が何人かいる。

 義兵衛は、どういった経歴のものが入ってきたのか、まだ若そうな者をひとり捕まえ、小声で聞いてみた。


「申し、私は椿井家の家臣、細江義兵衛でございます。貴殿はなにゆえこの屋敷におられますのか」


「ああ、義兵衛様でございますか。私は北町奉行・曲淵様の家臣、浜野安兵衛と申します。義兵衛様であれば、事情を説明しても良いと聞いております。

 実は、御殿様から10人の同僚とともに、この屋敷で3日間ほど警護につくよう命じられております。今回、里より参られた方の顔は先程だいたい覚えましたので、これで怪しい者は区別できると考えます。周囲の屋敷にも、数名の者を張り付けましたので、この屋敷を襲うには結構手間がかかりましょう」


『あれれ、そこまで大げさにすることですか』


 驚いた義兵衛は、養父・紳一郎様を探して事の次第を確認した。


「先日、甲三郎様が北町奉行所・曲淵様に色々とご説明した内容の一部が、どこぞに流出したことが原因と聞いておる。内容や流出先までは聞かせて貰えんかったが、お前は見当がついておるかも知れんのぉ。ワシはあえて聞かんほうがよさそうじゃ。

 それで、6月1日に里に居る証人との面談をするために明日連れてくることになっておると聞いていたが、まさかその予定を前倒しして来るとまでは思わんかった。さらに、この警護者の追加じゃ。御殿様には直接話が行っており了解しているということで、止むを得ん次第じゃ。この屋敷が賑やかになった、位に思っておればよい。

 先程確認したら、富美を明日の昼間に奉行所に連れていくということで、屋敷内から女駕籠に乗せて運ぶと聞いた。聞き取りは6月1日になるが、前日の30日昼から曲淵様のお屋敷で預かるそうじゃ。このことは、まだ屋敷のほとんどの者は知らんし、誰にも教えてはおらぬが委細承知しておいて貰いたい」


 この江戸近郊でも道中の襲撃を警戒する必要があるというのは驚きの事態だし、屋敷への襲撃などということも聞いたことも無い。

 しかし、北町奉行様がそう心配するほど、漏れた内容と先は危ないものに違いない。


「ありがとうございました。事情は判りました。御殿様からの下知を待ちます」


 いろいろと推測はできるが、ここで口にするのははばかられる。

 万一の可能性を考えるなら、確かにこの厳重な警戒も判る。

 おそらく想定される所には、何らかの動きがないかを偵察する者も出ているはずだ。

 この段階で義兵衛が迂闊なことを言う訳にはいかないことは判っている。

 なので、この件はさておき、家臣長屋の一角に設けて貰った七輪置き場を確認しに行く。

 2部屋と聞いていたが、3部屋分が、それも大きい部屋が割り振られていた。

 しかも、重量物ということから、床はそっくり取り外されて平らでしっかりした土間になっている。

 どの部屋も間口2間(約3.6m)、奥行き3間(約5.4m)あり、8寸角(約24cm)で高さ1尺(約30cm)の木枠を持つ七輪であれば6段積みだと一部屋1680個は収納できる。3部屋でおおよそ5000個はここに貯めることができることになる。

 取り外された床は、そのまま馬小屋の拡充に使われたとのことで、大きい部屋が選ばれたのには訳があったのだ。

 そして、だんだん具体化してきた七輪・練炭商売に安堵したのだった。


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