戸塚様、工房視察終了 <C2250>
流石に核心を突く追求で、工房の本音が錯綜します。
義兵衛はこの繁栄が永続することでの影響を考え、一時的な収入であることを強調したのですが、その狙いが主要メンバである米・梅・春には伝わっていなかったのです。
工房の奥にある作戦室は、大層気まずい状態になっていた。
14歳の米さん、13歳の梅さんといった工房ではまとめ役となっている村娘が、二人とも真剣に義兵衛・助太郎に喰ってかかっているし、まだ8歳の春さんは目に涙を一杯に溜めそれでもキッと義兵衛を睨みつけている。
どこから見ても事前に打ち合わせてやれる芝居ではない。
そう、戸塚様の質問の対応をする内に、義兵衛は地雷を踏んでしまったのだ。
「おやおや、これは余計なことを聞いてしまいましたかな」
戸塚様はきっとこの状況を絶対に面白がっている。
いじわるな質問をして、その返答から工房の面々が本音でぶつかり合いを起こしているのだ。
もっともそれが各人の気性・器量といったものを見る材料になってしまい、戸塚様にしてみれば願ったり叶ったりという状況に違いない。
義兵衛が話す前に助太郎が釈明し始めた。
「この工房が世の中で必要とするものを潤沢に作り出すことが出来るなら、違う考え・選択もあるに違いない。しかし、今は秋口に必要とする150万個の練炭を実際作れない。せいぜい20万個だろう。この150万個が準備出来ないと、江戸で七輪と練炭が狙ったように売れず、米を買う銭が入ってこなくなる。すると、大飢饉に備えることができず、皆がひもじい思いをするのだ。平たく言えば、なにもかも義兵衛さんが言っている通りなのだ。
そして、今ここで作っている練炭は『いずれ』他所でも真似して作られる。しかも、もっと安い値段で売られる。
義兵衛さんは、今年は大丈夫だが来年は危ないと言っていたが、もう少しは、再来年位までは大丈夫だと思っている。
ただ、そのままでは先がないというのは、義兵衛さんと同じ考えだ。だからこそ、他所では作れない強火力練炭を量産する方向なのは午前中の話で納得したはずだ。
新しいものを産み出している限り工房は潰れない。だからこそ、皆が忙しい時でも自分は生産の手助けではなく、研究の手を緩めず色々と実験をしているのだ」
「それから、他所での生産について、この工房が手助けすることについて少し考えて欲しい点がある」
義兵衛も説得に介入した。
「今のまま放置すると、色々な所で無秩序に類似品が作られ、そこからより優位なところがのし上がってくるという状態が生まれることになる。そうなった時に、この工房の発言を挟む余地は一切無い。
しかし、こちらで選択した所に練炭作りの秘訣を教え、例えばそこに一定の権利設定ができたとしよう。そして、そこが市場で優位な地位を築けた場合、僅かではあるがこの工房が意見を挟む余地ができる。
確かに、この工房が市場を支配する期間は短くなるが、一定の影響力を残しておくほうが長い目で見て有利になるのではないかな」
義兵衛の意見に梅さんが鋭く突っ込んできた。
「その一定の権利設定、というのが曲者ですね。一定の影響力という話も具体性が無いじゃありませんか。それだけじゃ納得できませんよ」
戸塚様もこのやりとりを横で聞いていることを意識して、義兵衛はどこまで説明すべきか躊躇したが、ためらっている場合ではなさそうだ。
それに、どうせ調べればわかってしまうことだ。
「今はまだ確実ではないし、相手があって成り立つことなので、ここだけの話ということで聞いて欲しい。
小炭団の販売については、萬屋さんが小売を一手に引き受けた。それは、販売先が料亭という限られた範囲だったからなのだ。卓上焜炉との抱き合わせ販売したことは聞いているだろう。なので、料亭を中心に据えた興行で需要の喚起も行うことができた。
それで、今作っている練炭の小売について、その相手は料亭どころでなくかなり広いと考えているのは知っているよな。
そうすると、小炭団のように萬屋さんの所だけで対応するのは、もう手一杯で難しいというのは感覚として理解して貰えると思う。この工房で150万個作れないのと同様、萬屋さんだけで150万個の練炭を捌くのは難しいのだ。
それで、今独占卸しの契約をしている萬屋さんに、商売のやり方を変えるように持ちかけている。萬屋さんに、薪炭問屋を構成する問屋全体に対して練炭を卸す立場になり、それぞれの問屋が得意とする顧客に小売するという形にならないか、ということを持ちかけているのだ。どこかの産地で作られた練炭を江戸市中でまとめて売るには、必ず薪炭問屋を経由する必要があり、その元締めに萬屋さんがなるように仕向けている。そうすると、生産量や小売量を萬屋さんが管理することができるようになる。つまり、こちらにも見えてくるようになる訳だ。
すると、ここの工房がかかわった産地、つまり練炭の製造方法を教えた所で作った練炭に教授料を上乗せして、持ち出した費用を回収することができるようになる。そして、この費用の多寡が練炭に対する影響力の一環となる、という魂胆なのだ。
そういったことで理解してもらえるかな」
噛み付いた梅さんは理解してくれたようだ。
だが、横にいた戸塚様にもしっかり聞かれてしまった。
「ほう、練炭1個の小売価格は200文ということを萬屋さんから聞いている。全部で150万個の準備。すると、小売換算で7万5千両。七輪でも結構な商売と思ったが、これは凄い商いになりそうだ。
それで、この工房で150万個の内20万個か。小売換算1万両。これもなかなか凄いぞ」
ぼそっと呟く声が聞こえて背筋が凍った。
『工房に大人を入れない魂胆』という質問だけで、馴れていないということもあり、これだけのことを引き出されてしまったのだ。
助太郎も顔を引きつらせている。
冷静になったのか、米さんも固い表情になっている。
雰囲気を変えるしかないと判断し、義兵衛が声をかけた。
「まあ話はここまでにして、工房の説明をさせてください。米さん、案内をお願いします」
原材料の木炭を貯めている倉庫、粉炭製造場、粉炭練捏場、成型場、計測場、乾燥倉庫、検査場、製品貯蔵庫を順に見て頂く。
米さんの説明は的確で澱みはない。
まずは春さんよりまだ幼い6歳程度の子供が、工房の内外で忙しく原材料やお盆、容器などをチロチロと運んでいる様子に軽く驚いている。
また、練炭成型場では8組の列で続々と薄厚練炭が産み出されている所、組長がみな村娘で4~5人が並んで作業する後ろから細々とした指導していることにも驚いている。
仕事の邪魔はすまいと思っているのか、声は掛けず、また動線上にも立ち入らない。
こうして一通りの見学を終えた。
「丁寧な案内、ご苦労。工房の実態がよく判った。
午前中の寺子屋でも感じたが、椿井家の拝領地の子供等は皆勤勉なことに感心した。寺子屋では女子に教養は不要かと思っておったが、工房での在り様を見ると、肝心要の所は皆娘が組長になって仕切っておるではないか。
作業の指示書や製品の計数・記録など、読み書き・算盤といった基礎がきちんとできることが、いかに重要なことか良く判った。
そういった底力をこの里は元々持っておったからこそ、新しい試みがすんなり立ち上がったものと見える」
戸塚様は所感をそう述べて工房の視察を終えた。
義兵衛はこのまま工房に残りたい気持ちではあったが、後ろ髪をひかれつつ、戸塚様と一緒に館へ戻っていったのだった。
ヒヤリとする結果にはなりましたが、一応視察は終わりました。
戸塚様が上司である曲淵様にどう報告するかは、胸先三寸といったところでしょうか。
次話は翌日・28日のこととなります。




