工房での事前説明 <C2247>
戸塚様は午前中寺子屋ですが、義兵衛はそれには付き合わず工房へ一直線です。
■安永7年(1778年)5月27日(太陽暦6月21日)
昨日に続いて戸塚様の手先はこの里の村々を回る予定になっている。
そして主に各村の名主の家を訪問し、いろいろと事情を聞くつもりということで、昨夕の内に甲三郎様から通達が出されている。
戸塚様については、午前中は爺が寺子屋を案内し、午後は寺子屋組と一緒に工房に来る手はずだ。
義兵衛は午前中に金程村の実家にちょっと顔を出した後、工房で色々と相談をする予定で、昨夜の内に連絡を入れていた。
「義兵衛が戻りました。ちょっと顔だけ見にきただけですので、挨拶程度で。直ぐに工房へ行きます」
久し振りの実家のような感じではあるが、たった19日しか経っていないのだ。
父・百太郎が顔を出した。
「おお、元気でやっておるようだな。ところで、昨夜お館から『北町奉行所・同心の戸塚様からこの里のことを色々知りたいとのことで同心の手先が訪問するが、丁重にもてなし聞かれたことは正直に話をせよ。また、話した内容は直ちに届け出るように』とのお達しがあった。お前は何かからんでおるのか」
義兵衛は簡単に、御奉行様の詮議があり高石神社・元巫女の富美を月末に江戸へ連れて行くこと、里がどのような状況かを知りたく奉行所配下の同心が入っていること、知りたいのはおそらく神託のこと、という話をした。
そして、義兵衛に憑依した竹森氏のことは秘すこと、富美に聞こえる神託の一部が義兵衛に聞こえたに過ぎないという話で通すことを甲三郎様としていることを伝えた。
「お前が神託を受けたという設定は、直接聞かれるまではぼやかすとしよう。いや、この設定の件は甲三郎様とは示し合わせておる。工房については助太郎に任せておるので、設定のことは知らんはずじゃ。早々に確認しておいたほうが良いぞ」
「工房は物造りで必死なので、そういったことを考える余裕はないでしょう。突っ込まれても、判らないで済みそうです。時間があれば、母の顔を見に戻れるかもしれません。では、これにて失礼します」
百太郎が土間で手を振って見送ってくれた。
そして助太郎の工房に着いたが、色々なものの配置が結構変わっているのに気づいた。
また、まだ朝の早い内だというのに、工房が全力生産して稼動しているようだ。
「義兵衛様、助太郎様が奥で待っております」
確か細山村で一番後からこの工房へ奉公に入った娘だったか、名前が思い浮かばない。
先導されて工房の中を通りながら途中で工程を見ると、8組のラインが出来上がっているが、うち4組で一心不乱に作業している。
それなりの速度で次から次へと薄厚練炭を作り出していた。
奥の作戦室に着くと、助太郎・米・梅が待っていた。
「やあ、20日振りかな。皆、元気にやっていたかな。今生産量はどうなっているのかな」
まずは助太郎が口火を切った。
「やっと薄厚練炭の生産が軌道に乗り始めたところです。組を8個造り、午前中は4組で、午後は寺子屋組を入れて8組という形で、薄厚練炭を日産で5400個以上作っています。目標は日産6000個ですが、本来必要な日産4万個には1桁足りていないです。
それで、8月末までこの調子で作ったとしても64万個がやっとです。普通練炭に換算すると16万個といったところなので、本来の供給150万個にはやはり1桁不足します。夏場の日が長い今でやっとこの量ですから、日が短い冬場はもっと少なくなることもあり得ます」
次に米さんかと思いきや、梅さんが話し始めた。
「それで、今寄宿している8人が組頭になって作業しているのだけど、あと4人位までならどうにか組を作れるのよね。ただ、それで生産は5割増しにはならない。頭が必死で作業してという形になるから、1組が1刻150個作るという図式ではなくなるわね。ただ、目標は9000個。8月末までに普通練炭換算で24万個作る。今のやり方ではそれが限界。126万個は不足するの。
それで、ここに来ているからには、何らかの解決方法を持ってきたのでしょう」
相変わらず強い、いや芯が見えてきた梅さんだ。
一応考えたことはあるが、今はまず先に言うべきことがある。
「そういったことより、先に言わねばならないことがある。実は、江戸の北町奉行所から戸塚様という同心が手先2名を引き連れて椿井家に来ている。名目は、先頃お館で奉公に上がった高石神社の巫女を江戸に連れていく時の護衛なのだが、実際はこの里の状況を色々調べまわっているのだ。今日の午後、同心の戸塚様が寺子屋組と一緒にこの工房にやってくる。色々と皆に聞きまわる可能性もあるが、この工房を切り盛りしている助太郎、米さん、梅さんに細かく聞いてくることがあると思っている。
まず、気をつけて欲しいのが、神託のことだ。最初にこの工房で練炭を造り始めた面々には、私が神託を受けて飢饉対策として木炭加工を始めたという話をしている。その程度ということで、済ませてもらいたい。細かい話の内容は忘れたということにしておいてもらえると、甲三郎様や各村の名主達と齟齬を来すことはないと考える。神託関係は全部高石神社の巫女に引き受けてもらうつもりなので、そのつもりで対応してほしい。
それから、工房についてはやましいことは何一つないが、金銭関係については助太郎ひとりで対応して貰いたい。助太郎以外の人は『物については判るが値段については意識したことが無い』ぐらいの答えを返すことに留めてもらいたい。生産している物についての説明は、存分にしてもらって構わない。助太郎は、金銭については実績と現状の目標位なら説明しても良いが、本来の150万個計画のところには言及しないで欲しい」
3人にはだいたい伝わったようである。
「あと、今日は江戸で作ってもらった七輪を持ってきた。
奥能登で採れる『地の粉』という断熱性に優れた土と漆喰を混ぜて使っている。なので、側面から漏れる熱の量が少ないのが特徴だ。木の格子枠で囲むことで、積み重ねが5~6段でき保管しやすい。一応、このままでも強火力練炭が使えると言ってはいたが『色々試すだけの練炭がなかったのでこちらで試してもらいたい』ということだった」
各人が七輪を1個ずつ手に取って仔細に調べている。
米さんが質問してきた。
「練炭が収まる所の内面がやけに滑々(すべすべ)しているのですが、どうやって作っているのでしょうか。材料の土のこともあるのでしょうが、自分たちではとてもこのように滑らかに、しかも硬く仕上げることはできません」
米さんは練炭を出し入れしながら練炭の滑りと内面の強度に感心している。
「特殊な土に漆喰を混ぜている。外側と内側では漆喰の混ぜ具合を変えているそうだ。練炭の入る内面は極少しだけ小さめに作り、焼く前に削り、焼いた後に磨くように削るそうだ。
土台部分と練炭が入る部分を分けて作り、焼く前に合体させている。土台には『地の粉』は極少量にして節約している。量産のためにこういった工夫を、細かいものも入れると結構重ねていて、それでいて1000個を8日の期間で作れるそうだ。また、9月の売り出しまでに5万個の生産を委託している。凄い量だが、辰二郎さんの工房では4班に分けて2~3日毎に1000個作り出すことができる、と聞いている」
「なかなか凄い工房のようだな。これは一度見てみたい。
ところで、七輪は5万個準備できたとして、先に梅が言ったように練炭のほうは、今のままでは普通練炭換算で24万個を準備するのが限度なのだ。売り出しの時に七輪1個に練炭5個ではどうにもならないだろう。せめて倍は準備できないと、七輪も売れないだろう。そこは、何か考えがあるのか、もしあるなら聞かせてくれ」
どうやら難しい話を切り出すしかないようだ。
工房では、頑張っても普通練炭24万個相当という話で、対策を迫られているのです。
そこで話す内容は、次話になります。




