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巫女との対面と『頂きます』 <C2246>

戸塚様と会話してつないでいた義兵衛ですが、甲三郎様が元巫女の富美を連れて部屋へ入ってきます。

 義兵衛が戸塚様にした説明について、座敷に入ってきたばかりの甲三郎様が異を唱えた。


「椿井家はお上より拝領したこの知行地を大事にしており、殖産に励んでおります。細山村では新田開発も進んでおり、2年後からは米の植え付けをする予定でございます。実質的には50石ほどの加増の見込みで、作付けが安定すれば幕府に届け出る予定です。

 それから年貢米のことですが『定免法で定めた通りに米を集めておったのでは、不作の折に食べるものがない。代わりの物で年貢の一部を代行させて欲しい』という村人の声に沿ったものです。それで薪炭問屋へ木炭を売ったお金の分、年貢米と相殺することを了承しておるのですよ」


 甲三郎様の説明を聞いて『米を媒介とした御恩と奉公という制度自体を否定するのは、まだご法度』ということに思い当たった。

 鎌倉時代ではないので『御恩と奉公』ということではないが、土地そのものではなく、土地から派生した米が支給対象というところまで来ていれば、銭でのサラリーというところまであと一歩なのだが、これを理解できる人材はまだそう多くないに違いない。

 椿井家の実態としては、工房の生産収入が米生産を大きく超えてしまっていることから、すでに貨幣経済に舵を切ったとも言えるのだが、これを公に認めてしまうのは先に注意されたことと同じことなのだ。

 従って、まだ米を主体とする政治まつりごとで構築された体制の中で異端視されるのは得策ではない。

 ともかく、甲三郎様の説明に戸塚様は頷いたのだった。


「こういった事情は古くからの経緯がからんでおりますので、追って説明させて頂きます。

 それより、高石神社で巫女をしていた富美を連れて参りました。ご挨拶を」


「今はこちらのお館で奉公させて頂いております富美と申します。私は旗本・椿井家の下女でございますが、月末に江戸で北町奉行様から直々にお話があると聞かされ、大層驚いております」


「ほほう、元巫女様ですか。御神託を聞けるとか。これは是非色々と経緯を聞かせて頂きたいですな」


 甲三郎様は、富美を見出した経緯、40両で引き取ったこと、寄り代の神像をこの屋敷内に祭っていることなど、富美の外回りについて説明をした。

 富美は重々言い含められているのか、挨拶の後は、ただただその場に伏しているだけで顔を上げもしない。


「経緯やこの屋敷での扱いについては、良く判りました。

 神託については、御奉行様も聞きたいことがありましょうから、おいおいと、ということにさせて頂きましょう」


 どうやら、切りが良い所になった様である。

 そこへ、手先の2名が戻ってきた。


「今しがた細山村と金程村、万福寺村を駆け足で廻りましたが、ここは登り下りが多いところでございますな。

 斜面だらけで、田は少なく、急峻な斜面は雑木林となっており村の全貌が見通せませぬ。村を結ぶ道は結構踏み固められておりますが、山間を横に辿ろうとすると注意せねば泥濘ぬかるみはまってしまいます。案内がないと、この里の山間は身動きとれませんな」


「小川に沿って田が拓かれていますが、一枚の大きさは小さく、少しの落差を作って畦をこさえております。水は上の田から下の田へ順番に落とすようにされていて、水を無駄にしないようかなり工夫されています。ただ、水がこれだけ有効活用されているということは、旱魃に弱いことの裏返しではないか、とも思われます。水源の湧き水を確保できるように、山側はきちんと管理されているようでした」


 勝手なことを言っているようだが、見て判ることではあるが、かなり正鵠を得ている。

 特に、旱魃に弱いというのは卓見で、そうならないように坂濱村・百村・矢野口村の境界に位置する山の雑木林は水源林として管理されているのだ。

 こういったことを素早く見抜いて報告できるというのは、やはり手先になっている人は尋常な人ではなさそうだ。


「さて、今日はここまでとして、明日は朝には寺子屋、昼からは工房を訪ねてはいかがでしょうか。寺子屋についてはここにおる爺・細江泰兵衛が、工房は義兵衛が案内いたします。

 ここで夕餉を一緒に頂きませんか」


 甲三郎様の説明に戸塚様は聞き返した。


「こちらこそ、ご厄介になります。ところで、細江泰兵衛さんは義兵衛さんとどのような関係になるのでしょうか」


「細江家は昔から椿井家の重臣として仕えてくれた者で、爺・泰兵衛の息子が江戸に居る紳一郎なのです。ただ、この紳一郎には子が居らずこのままでは家が絶えてしまうことから、金程村の名主の次男で先ごろ召抱えた義兵衛を養子に致しました。なので、爺は養祖父ということになります。

 義兵衛は聡い者ゆえ、椿井家を盛り立ててくれるものと期待しております」


「そうですな。江戸でいろいろと人知れず活躍しておるのを知っておりますよ。目の着け所と頭の回転の良さが群を抜いており、料理比べの寄り合いでは、千次郎さんの知恵袋などと噂しておるのですよ」


 こうまで目立つつもりは無かった。


「いえ、戸塚様。滅相もございません。困った時に、ひらめくように良い考えが浮かんでくることがあるだけです。具体的な形にしていくのは、皆さんの知恵と経験があってのことで、私ごとき者が一人ではとてもあのような興行を打てるとは思えません」


 どうも義兵衛自体も疑われている感じがする。


「戸塚様、我が里では先代の命により、6歳から10歳までの子供は身分・男女を問わず寺子屋で読書・算盤などを習う触れを出しております。殿様の子はもとより小作の娘でも通わせ、同じ年齢の者を最初は一緒の部屋で学ばせます。義兵衛は優秀・明晰ということで抜きん出ておりまして、11歳を過ぎても寺子屋通いを続けておりました。里の中からこういった優秀な人材を掘り出すには、寺子屋の制度は実によく機能しております。明日、その目で是非お確かめください。

 それより、そろそろ夕餉にさせて頂いて良いでしょうか」


 爺がこう切り出してくれたことで、義兵衛に対する怪しい雰囲気は多少薄らいだ。

 そして、爺の案内で富美を除く6名が奥座敷へ移り、戸塚様・手先の計3名と、甲三郎様・爺・義兵衛の3名が向き合って箱膳の前に座った。


「何分田舎なもので、このようなものしか準備できませんが、どうぞ召し上がってください」


 爺の言葉通り1汁2菜、沢庵と里芋煮つけに山盛りの丼ご飯である。

 ご飯自体も麦を混ぜた玄米飯で、精米だけの江戸のご飯とは格段に味は落ちる。

 さて、食べ始める時だった。

 義兵衛は両手を合わせ小さな声で『いただきます』と唱えて頭を下げた。


「それですよ、義兵衛さん。甲三郎さんも泰兵衛さんも合掌してその呪文を唱えるようなことはありません。実は、この里の風習かとずっと思っていたのですが、どうやらそうでもないようです。食べ終わる時も同じように何か唱えているではありませんか。それは一体何なのでしょうか」


 義兵衛の中の竹森氏は、当たり前と思っていただけに、この指摘に驚いた。

 確かにこのような仕草をする場面を見ないが、なんとなく決まりが悪いので竹森氏が義兵衛に強いた習慣なのだ。


「ええと、食べるということは、米や野菜と言えども命あるものの先行きを自分が生きるために亡くさせた訳で、それに対する言い訳じみた言葉で『頂きます』を唱えてから食べ始めます。

 食事が終わった時は『ご馳走様』と唱えますが、これはこの食事を用意して下さった方々が一生懸命動いて下さったことへの感謝の言葉です。

 ちょっとの思いつきで始めてみたのですが、これが結構しっくりくる感じなので、無意識のうちにするようになってしまいました」


 諸説はあるのだろうが『つまんねぇやつだなぁ』くらいのチコッた回答に思える。


「ふ~ん、そういったものなのかなぁ。ちょっと面白い考えですな。真似しても良いでしょうかな」


 戸塚様は義兵衛の真似をして、合掌し『頂きます』と小声で唱えた。


「なるほど、これから食ってやる、という風に気持ちを切り替える呪文、ということで、これは流行りそうだ」


 冷や汗が出たが、どうにかごまかせたようだ。


爺のナイスアシストで雰囲気が変わると思ったのですが、いつものクセで馬脚を現しかけます。

「いただきます」「ごちそうさま」の風習が全国に広がったのは、どうも昭和に入ってからのようで、一説には「学校給食の普及」に関連するということですが、これには諸説あります。

次話以降は、翌日の出来事(工房関係)で4話構成の予定です。



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