三軒茶屋から和泉村まで <C2243>
三軒茶屋から歩きながらの三人の会話です。
登戸まで4人で同行する恰好になってしまった。
ただ、戸塚様の手先は一緒に歩くのではなく、少し距離を置いて後からついて来るので、3人で固まり小声で話しながら歩いている。
「戸塚様、義兵衛さんは、実のところ何も隠してはおりませんよ。もし隠していると言うのであれば、金程村でも聞くことになりましょうが、大飢饉の御神託のことなのでございます。萬屋さんのところで事情をお聞きになりましたでしょう。大飢饉のことは萬屋主人・千次郎さんが緘口令を敷いておりますので、外からは何か事情があってそうしているのだ、という風に見えるだけでございます」
加登屋さんが援護してくれるが、戸塚様の狙いは、里の様子で他の村と違っている点を調べたい、ということなのだ。
果たして、戸塚様は言いなおした。
「義兵衛のことはワシなりに理解しておる。であるからこそ、義兵衛を支える村・工房・寺子屋のことを正しく知っておきたい。
加登屋とて、工房のことなどは気にはなるであろう。
工房ではどのような陣容で小炭団や練炭を生産しているのか。金程村の稲は、木炭の材料となる木は、一体どうなっているのか。村人は何を思って日々を暮らしているのか。飢饉の神託のことをどれだけ信じているのか」
義兵衛は正直ギクリとした。
村人が、神託のことをどう受け止めているか、考えたことが無かったからだ。
工房の作業に村人が協力的なのは、収穫した米を年貢として差し出さずに済むという話だからであって、それも練炭を大々的に売り始めた頃にそうと認識したに過ぎない。
5月の初旬に里帰りした折に大歓迎してもらっていた時も、工房の面々が席の半分を占めており身内ゆえの贔屓という風でもあった。
「そうですな、確かに工房ということでは、いつも荷を工房から炭屋へ運んでくるのは年端のいかない子供達ばかりでしたなあ。登戸村に小炭団を運んで来ると、いつも加登屋で昼弁当を注文してくれるので、お得意さんですわ。色々と村のことや工房のことを小声で内緒話ししているつもりでしょうが、こっちに中身は丸聞こえです。
そういった話をまとめて考えると、義兵衛さんは別格でしょうが、工房の中で一番偉いのが助太郎さんでしょう。なので、荷を運んで来るような子供達だけで工房を回しているのじゃないか、と疑っているのですよ。大人達は一体何をしているのか、と気にはなりますが、それを詮索しても為にはなりません。
それよりも、ワシにとって気になっているのは、この深川製の七輪ですよ。以前にこの加登屋にご提供頂いた七輪とは随分違って見えます。木枠で囲ってありますが、外殻なしで強火力練炭をそのまま使えるのでしょうか」
3人がそれぞれの思いを都度言葉にするため、グダグダになってしまう。
「戸塚様、工房については助太郎が全体を管理しており、配下に何人かの責任者を置き、そして作業をする人を割り付けています。助太郎の指示が受け入れられやすいように、助太郎より年下を選んで工房に入れています。実態は、工房を見て頂ければ納得されると思います。
それから、深川製七輪ですが、工房の目論見では『大丈夫なように作った』とのことですが、試験用に渡した強火力練炭が2個しかなかったため、耐久性までは試せなかったそうです。なので、この試作品を村の工房に持ち込んで色々な観点で試験するつもりです。
こういった事情があるため、申し訳ないですが、今回は加登屋さんにお渡しできる七輪は御座いません。
ただ、6月初旬には最初に製造される七輪1000個が椿井家の江戸屋敷に届けられます。御殿様は先日の御褒美として、この七輪の中から2~3個を下賜されることになると思われますよ」
実は、御殿様は紳一郎様と相談し『深川製の七輪ならば加登屋は受け取るに相違ない。6月4日に納品される七輪より数個を褒美として与えよう』ということで下賜は既に決まっており、後は、いつ・どこでといった細かい所を詰める段階に入っている。
事前に伝えるのは不味いのかも知れないが『七輪が欲しい』と目で訴えられてはこう言うしかない。
「それは有り難いことで御座います。
ところで、深川製の七輪はどのような値段で卸す予定でしょうか。金程村の工房で作った七輪は1個1000文で小売する、でしたよね。同じような値段で小売りなさるとすれば、萬屋さんへの卸値は700文といった所でしょう。1000個全部を卸すと175両の売り上げですな。相変わらず、義兵衛さんは凄い商売をなされる」
加登屋さんの話に金銭のことが含まれていたためか、戸塚様が食いついてきた。
「萬屋さんが3割の利益を得る商売ですか。1000個売って萬屋は75両の儲け。義兵衛さんは全部でどれくらい売れると踏んでいるのか、気になりますね。卓上焜炉は料亭相手の商売だけで大体1万個売れたようですが、七輪はどこ向けに捌く御積りでしょうかな。料理番付や料理比べといった卓上焜炉で見せたように、七輪を売り捌くためにどのような仕掛けを考えているのかも気になります」
どこまで本当のことを話せばよいか迷う所なのだ。
萬屋さんの所だけでの商売ではないのだが、妙に吹っ掛けてもしょうがない。
「七輪は暖を取る道具なので、至る所に売れると考えています。なので、5万個は売るつもりで準備しています。ただし、本当に定価で売り切れるかというと、そうは思っておりません。萬屋さんも生産した5万個全部を卸されても困ると思います。多分、最初は1万個を椿井家から卸してもらい、後は売れ行き次第になるのでしょう。小売りの定価が1000文固定とすれば、もし七輪が流行らなくて全数不良在庫の場合は椿井家へ1750両の借財を抱えることになりますし、逆に全数定価で捌けると750両の儲けとなります。
残りの4万個は椿井家で卸し元という恰好で屋敷の中に抱え込むことになります。製造元への支払いが結構な金額になるため、売れなければ大変なことになります。でも御殿様は私を信じて任せてくれています。
製造元は深川の辰二郎さんという職人で、卓上焜炉を作ってもらっている所です。それで七輪の製造元への支払いですが、使っている土が、奥能登の特殊なもののため値段については一律幾らと決まりませんでした。なので、都度制作にかかった費用を提示してもらい、妥当な金額を支払うという恰好になっています。作成に使う土の値段が結構高くて変動するので、そういったことによる不都合は椿井家で担うことにしました。だいたいの目安の値段は取り決めましたが、これを言うといろいろと不都合がありますので、値段の説明は、ここでは出来ないです。
あと、七輪を売り込む方法は、今一生懸命考えているところです。
今が冬の季節なら一発で有難みが判るはずですが、生憎これから暑くなる季節です。9月に売り出しを始めますが、最初のところが勝負でしょうね。売り出しの時点で、需要が喚起される方法を考案せねばなりません。それから、練炭も今のところ3種類もあるので、どう違いを見せるのかも重要です」
「うむ、細江殿のことだから萬屋がどうこう、ということではなく、年内にでも七輪5万個を売り捌く魂胆であろう。1個1000文じゃと、全部で12500両の銭が集まるということになる。これが、椿井家、萬屋、辰二郎工房の3箇所に分配されるのであろうが、おおむね4000両ずつ得るという算段であろうか。それでも凄まじい金子が集まって来ることになる。
ここだけの話だが、全部で1万両を越える金子が出入りするともなると、これはもう尋常なことではない。間違いなくお上からの詮議があろうな。仔細に聞かれることもあろうゆえ、要所要所に手を打つことを怠ってはならんぞ」
ありがたい忠告を耳にする頃には、登戸村に行くための渡し船が出る和泉村に到着した。
戸塚様に七輪商売のことを説明する代わりとして、全部で一万両が動く商売があると目を付けられる、という有力な情報を得ました。
これをどう生かすかは、まだまだ先のこととなります。
さあ、多摩川の河原まで来ました。次話で登戸村に入ります。




