登戸道行での遭遇 <C2242>
いよいよ里帰りです。加登屋さんと一緒に登戸まで帰る約束ですが......
■安永7年(1778年)5月26日(太陽暦6月20日)
江戸に残した大きな宿題は、萬屋さんがらみのことばかりである。
萬屋の商売方向の変更は、大枠同意されているがまだ仔細に詰めていない。
そして、お願いしている練炭の生産委託先の選定がある。
ことの次第を紳一郎様には報告がてら相談してはいるが、条件の複雑さから頭をかかえるばかりなのであった。
だが、ここで一度里に帰らねばならないのだ。
一番の狙いは、富美・阿部の江戸入りのための準備なのだ。
準備せねばならないのは、曲淵様がその上に報告する内容について、現況と矛盾が無いように詰めることで、いくら時間があっても足りないハズだ。
それから、秋口の練炭の件では助太郎とかなり込み入った相談が必須だ。
そして、大丸村の米蔵が使わせて貰えるかの確認もこの機にしておかねば、米問屋との交渉が進まない。
懸念事項だらけで、重たい気分のまま屋敷の門を出ると、早朝にもかかわらず加登屋さんが待っていた。
「加登屋さん、朝早く来られたのであれば門番に一声掛けて頂ければ宜しかったものを。お待たせして申し訳ありませんでした」
「いえいえ、義兵衛さんと帰りの道行きが楽しみで、おちおち寝てられませんでした。
背中にあるのは、一昨日見た七輪でございますな。せめてワシにも登戸村まで持たせてくれませんか。
正直、深川で作らせた七輪も気になって仕方ありませんでした」
義兵衛は背中の包みを解き、七輪を1個抜き出して加登屋さんに手渡しながら話した。
「門の前で立ち話するより、まずは登戸村に向けて出立しませんか」
荷を素早く作りなおし、支度を整え歩き始めた。
外目には若い武家に従者という格好で、6里(=24km)の道を、昼前には多摩川の渡しに着く予定で急ぐ。
夏場の極軽装であるが故か、加登屋さんが結構な健脚であることが幸いしてか、どんどん進む。
登戸までの道行きの半ば丁度3里の所に三軒茶屋があり、ここで大山街道から外れ津久井往還道に入る。
加登屋さんと茶屋で一服していると、その茶屋にひょっこりと北町奉行・同心の戸塚様が顔を入れてきた。
「あれ、戸塚様。ここは江戸市中の外。珍しいところでお目にかかりましたね」
ここ三軒茶屋は、朱引き・墨引きといった江戸市中を示す範囲から半里(=2km)程度離れているのだ。
ちなみに、大山街道(国道246号線)で道玄坂を過ぎて旧山手通りと交差する神泉町交差点までが江戸市中になる。
従い、三軒茶屋は町奉行が関与する土地ではなく、奉行・同心が出歩く範囲ではないはずなのだ。
不審を覚えた義兵衛の声に戸塚様は明るく答えてくる。
「義兵衛さん、突然ですが御奉行様の指示で『椿井家の知行地での御用』という趣旨で細山村・金程村へ伺うこととなりました。
30日に巫女様と一緒に江戸へ戻られるのでしょう。一番重要な御用は、その折に巫女の供をせよ、ということなのです。
それで同じことであれば、金程村にあるという工房や寺子屋など、独特な運営をしている椿井家の知行地を見に行きたいと御奉行様に申し上げたところ、是非その目で確かめて来いと言われました。
実は昨日、八百膳の寄り合いで千次郎さんから『26日から30日まで義兵衛さんは里へ戻っている』と話しているのを聞きつけてから急ぎ手配しましたゆえ、事前にご連絡できておらず失礼しました。
ご一緒しようと思って急いで来ましたが、ここで追いつけてよかったです。
細山村のお館へは、昨夜の内に手先を走らせております。5日間もご一緒ということで、よろしくお願いしますよ」
声が明るいため深刻な事態には見えないが、これは奉行所による事前査察と考えて間違いなさそうだ。
義兵衛の中の竹森氏は、軽いパニックになっている。
こういった想定外の事態になると、義兵衛が主導権を握り外目には冷静な行動が取れるのだ。
『戸塚様は卓上焜炉の許認可を巡る動きの時から関与しており、体制側の中から見れば味方に近い存在という認識。秘さねばならない事情である大飢饉の神託も、もう事前に聞かせている。
ただ、戸塚様の基本姿勢は自然に見聞きするで、今まで詮索するような感じではなかった。なら、一体何が知りたいのだろうか』
「椿井家の知行地は、かなり貧しい村々ゆえ、見た所であまり楽しいものではありませんが、甲三郎様のことですから精一杯の歓待をすることでしょう。どういったことを御調になりたいのかを事前にお教え頂ければ、道行きの間に私が予め事情の説明はできますが、いかがでしょう。
しかし、ここで問答するより、先を急ぎませんか」
「では、そろそろ一緒に出立致そう。ああ、手先も1人同行するが気にせんで良い」
戸塚様は同心としてのお役目が上手くできる様に何人かの手先を雇いいれているようで、今回は先行の1名と合わせて2名の手先を引き連れている、と歩きながら説明してくれた。
「それで、今回は調べという程のことではない。御奉行様からは村のありのままの様子を見てこい、と言われておるのよ。
察するに、根っこは皆小炭団のこと、特に利益のことであろうか。ワシも萬屋で話を聞いた時に1個300文の値で売っておった卓上焜炉にばかり目が行っておった。しかし、萬屋の茶の間に腰を据えて商売の流れを見ておると、萬屋の儲けの主体は薪炭問屋だけあって燃料となる1個8文の小炭団というのが透けて見えてくる。焜炉が売れると、そこで使い消費する小炭団が後からの分も入れると全部で何十倍もの量が捌ける、という理屈がだんだん呑み込めてきた。
確かに萬屋はこの夏場でも売り上げが伸びておろう。江戸市中から面白いように銭を吸い上げておる。
お上はこの卓上焜炉の流行で料亭の売り上げが伸びており、それが皆仕出し膳の座に紐付いておることを把握しておる。
おそらく座には冥加金を申し付けることを考えておろう。
だがお上として見えるのはそこまでで、料亭がはやるほど、仕出し膳の座の料亭が儲かるほど、実は萬屋の小炭団の商売がはやって大儲けする、という図式までは見えておらん」
義兵衛は一応指摘だけはしておくことにした。
「しかし、その小炭団は安価な類似品が他の薪炭問屋から出始めており、萬屋さんの一人勝ちという格好ではなくなりつつあります。
焜炉も秋葉神社様が直接販売を始めるように聞いており、卓上焜炉・小炭団は萬屋さんの寡占はもう崩れかけておりますよ」
「うむ、そういった動きがあることは知っておる。だが結局は薪炭問屋の座というくくりで見れば、今まで売り物がなかった時期に新しい売り物ができた、ということであろう。薪炭問屋の賑わいということで理解すれば良いと思っておる。
それよりも気になっていることがある。有り体に言えば、そち等が見せようとしないものが知りたいのだ。
興行や商売で表に見えないようになっているのが椿井家であり、金程村にある工房であろう。意図したかどうかは判らんが、誠に巧みに隠れておる。実物を見れば金程ということだけは判るが、料理比べの興行や瓦版でも、大本の所が一切表には出てこん。料理比べの目付役に任じられたのも、事情を仔細に知らぬものが見ると訳が判らんだろう。そして実際の興行には細江殿が深くかかわっておるのを主催側の者は皆知っておるが、なぜか世間では八百膳の善四郎や萬屋の千次郎が一生懸命という風になってしまっておるし、実際の料理の中身となると、ほらこちらに居る加登屋が仕切っている風に見せておる。
ここまで見えないと、かえって何か別なものがあるように思ってしまえるのだ。『百聞は一見に如かず』と言うではないか。何を隠しているのか、隠そうとしているのかをこの目で見てこいということなのだ」
いつしか、知る人ぞ知る義兵衛になってしまっていて、それがかえって変に見えてしまったようだ。
戸塚様が同行することになりました。これは大変です。
次話は、登戸までの道行きでの会話?となります。




