井筒屋交渉・米の運賃 <C2241>
籾米の納入条件が米問屋さんから提示されました。
引き取りをせねばならないのですが、運び出す人手が足りないので悩んでいるのです。
秋口に椿井家で買い取る備蓄米500石について、井筒屋・伝兵衛さんは府中近郷村にある米蔵での引き渡し、および引渡し後10日以内の搬出を指定してきた。
ちょっと考えれば、人手が足らずとても難しい条件であることは確かなのだ。
必死で頭の中で条件を整理する。
まずは籾米の指定だが、これを変え玄米で受け取ることにすれば、保存性に欠け、鼠やコクゾウムシに蚕食されてしまうのは目に見えている。
そして500石を玄米の俵で受け取れば1250俵だが、脱穀をしていない籾米は嵩にして7~8割増しとなるため、俵の数が格段に増える。
伝兵衛さんは1800俵と言ったが、実際には多分2000俵位運び出す算段が必要だ。
そして2000俵は無理だが1250俵なら運び出すのが大丈夫、とはならない。
なので、籾米で貰うという条件は外せない。
この場で沈黙が長く続くと、了解したと取られかねない。
ここは双方の条件闘争の場なのだから、こちらも一番都合の良い話を提案して反論するのが妥当だろう。
「いえ、椿井家としては、こちらが指定した日に細山村にある館の米蔵に籾米500石を納めて頂きたい、というのが希望です。
館の米蔵で員数確認し、500石揃っていることで取引終了という様にしたいと考えています。どうでしょう」
伝兵衛さんは、おやっ、という表情に替わった。
「当方から説明した引渡し条件は、年貢米を買い付けている時のことを、逆に述べたまでです。
毎年秋口に椿井家が年貢米を当米問屋に下げ渡す段、番頭と手代が細山村のお館まで参りまして米蔵にあります米の質・量を確認し札を入れます。売買契約が成ると、当方の手で細山村の館・米蔵まで取りに行き運び出す、というのが年貢米を金子に変える時の在りようでした。時に、一定の期間内に搬出せねば困る、と申されていたのは椿井家様の家老の方でしたような。
当方とて商人でございますから、適正な費用を払って頂ければおっしゃる通り納めさせて頂きますが、いかがでしょう」
この話に義兵衛は困惑した。
確かに旗本という立場で上から目線で、なあなあで米問屋と付き合っていたに違いない。
「すると、椿井家の年貢米を細山村の米蔵で決済していた、ということだと……」
「はい、井筒屋が集積する場所までの運賃は見込んで清算しておりました。120石ですので300俵。人足を頼むと一人1日200文で、細山村と府中の運搬は人足一人で1日4俵程度が限度でございましょう。都合15000文、3両3分(=38万円相当)を清算時に充てておりましたよ。その分目減りすることは承知の上でございましょう。
しかし、義兵衛さんは細かい所に良く気づきますな。今まで対応頂いた方は、どなたも気にもされておりませんでした。いやあ、感心いたしますぞ。
それで、1800俵をご希望通りに細山村のお館までとなると、18両3分(=188万円相当)になりますな。勿論、府中近郷の米蔵で売り渡した籾米の代金に上乗せして頂くことになります。とは言え、年末までにご清算頂けるように帳面上付けるだけです」
これは驚愕の事実だった。
地廻りの米問屋が行う札差は、蔵前価格ではなく、そこまでの輸送費用が引かれている。
逆に購入しようとすると、蔵前の価格に利益を載せ、それに輸送費用を載せるのが常識になってしまっている。
府中と細山村の間のどこかに、比較的長期に渡って借りることができる大きな蔵はないだろうか。
そうすると、府中からそこまで人足を使って運び込み、あとは村の定期便の経路を工夫し、時間をかけて運び込めば良い。
義兵衛は、久しく忘れていたが、大丸村の芦川家の事情を思い浮かべた。
『小作人も含めた全員を3年目の秋まで食いつなぐことが必要。
端境期で最低でも200石は蔵に溜め込む。
米が備蓄の最低基準に達するまで米では支払えないが、不作でなければ秋以降なら大丈夫』
確か、芦川貫衛門さんと貫次郎さんの二人が同じようなことを言っていた。
まだ多摩川の洪水の影響を抜けておらず、秋口でどうにか備蓄の最低基準、ということは芦川家の米蔵に結構余裕はあるはずだ。
500石全部が入らない場合は、円照寺の蔵を借りることも出来るだろう。
いや、寧ろ芦川家のことは隠し、円照寺を表に出して境内での引き渡しというのが妥当のように思える。
「まず、確認したいことがございます。
府中近郷の蔵で引き渡される籾米の価格ですが、蔵前で購入する価格に比べると、府中・蔵前の間の往復輸送費用分は無い扱いになっておりますでしょうか」
「まあ、その理屈通りではありますな。それゆえ、蔵前から見て府中以遠の籾米になるのは判りましょう。そして、値段は蔵前での札差価格に店としての利益を載せ、蔵前・府中の輸送費用分を除いた価格になります。蔵前・府中の輸送は、多摩川の船便ゆえ、人足を雇う費用に比べれば、そこはかなり安価になることは間違いございません」
少し苦りきった表情になりながらも伝兵衛さんは丁寧に説明してくれた。
府中で多摩川の船着き場、と言えば是政村が最短であり、それは大丸村の対岸になる。
船便費用を下りで見積もり、儲けを膨らますの位のことは、やんわり指摘した上で見逃しても良いだろう。
近隣の籾米を集積するのであれば、輸送費はかなり押さえ込まれるはずだ。
とりあえず、円照寺指定でどうなるかを確認してみよう。
「船便での輸送は、下流から上流方向だと苦しいでしょうな。ましてや青梅から木材流しが始まる季節でございましょう。
ところで、府中近郷の米蔵ではなく、そこから多摩川を越えた反対側に大丸村があり、そこの円照寺の境内を納地としたら、いくら割り増しとなりましょうか」
「そこに何か伝でもありますのかな。
1800俵の輸送の中で、多摩川の渡し賃がかかりましょうが、それを入れて大目に見ても4000文、つまり金1両もあれば充分でしょうな。
どの村の籾米を割り付けるかは、米の出来栄えによる。なので、まだどうとも言えません。とりあえず引渡し条件は今日はこの程度として、細部はもう少し時期が迫ってからに致しませんか。
籾米を確保する村からの拠出配分によっては、府中ではないところに集積した方が良いかもしれません。そういった事情もあって、今ここで決めないほうがよさそうです。値段も同じ理由ですね。
ところで、義兵衛様はこの夏の天候はどう思われますか。いつもの年より涼しいように感じております。この分では、例年より不作になろうかと心配しておるのですよ。不作なら米価も高くなりましょう」
確かにその予感はあるが、一般的な世間話としてならば問題は少なかろう。
「私も不作になりそうな気がしています。実は、この秋の収穫が不安なのですよ。
昨年は普通の出来でしたが、今年が不作だと来年の秋の収穫期まで村の食料が保つかどうか。
それで本当に不作となったら、来年の端境期に里で餓える人が出ることになりますので、準備を急がないといけませんね」
井筒屋での話はこれで終わったのだが、義兵衛には大丸村内で籾米を500石も一次預かりしてもらう場所を探す宿題が残ったのだ。
そして、そことの運輸ルートについても同様に考えねばならないのだ。
最後に伝兵衛さんは、料理比べの目付として参加できたお礼を述べ、ついでに次回の料理比べの情報を探ろうとした。
「次回の料理比べはどうするかについて、近々仕出し料亭を集めた座の緊急の寄り合いがあるそうです。詳しいことは、萬屋・千次郎さんが寄り合いの仕切りとして出席されておりますので、こっそり聞く位はできるかも知れません。
今回の興行で参加された方は楽しまれたのではないかと思いますが、興行側としてはいろいろ反省点があって次回はともかく、その次からは抜本的に興行方法を見直しするかも知れませんね」
これ以上長居をすると碌なことはなさそうだ、と、井筒屋を辞去した義兵衛だった。
とりあえず最初の交渉は終わりましたが、早くも冷夏による不作の予感です。
次は翌朝の出立から始まります。




