次の計画を練ろう <C223>
薩摩芋、出ます!
でも、この時点1778年では、青木昆陽先生は没しています(1769年)。
古ぼけた小さな摩利支天像を義兵衛の横に置いた書見台に載せた。
「木炭加工が思兼命様のお知恵によるものだ、ということはよく判りました」
早速、百太郎は設定を使って話しかけてくる。
このような設定は早く慣れるに限るが、肝心の義兵衛が戸惑っていてはどうしようもない。
「木炭にかかわる掛売り金で、この村の年貢分の35両(350万円相当)は充分賄えるように思われます。
それはよく判りますが、その後はどのようなことをお考えなのでしょうか。
お教えください」
『義兵衛さん、これは設定に慣れるための練習でもあるので、宣託を聞いたという風に答えましょう。
秘訣は、要点だけをいかにも聞きました、という風にまず伝えることです。
そして、続けていかにも自分はこの言葉をこう解釈しました、という感じで話すと、それらしく聞こえると思います』
「思兼命様は、米作偏重は避け寒冷に強い救荒食物を植えよ、と申されております。
思うに、年貢米を作るため水が使える耕作地は、裏作で一部麦も作りますが、概ね稲作だけを行っています。
そのため冷夏や旱魃が襲ってきて稲が不作という状況になると、食べるものがほとんど収穫できなくなることになります。
なので、稲作を目一杯するのではなく、雑穀と呼ばれる粟・稗・麦・蕎麦・黍も植えよ、ということだと思われます」
『義兵衛さん、なかなか良いではないですか』
そう褒めると満更でもない、という思いが伝わってきた。
百太郎の表情を見ると『してやったり』という顔をしている。
普段目にしない父・百太郎の表情に驚いたのか、義兵衛は口を開く。
「こんな感じでいいのでしょうか。
付け足したところ、偏重が拙い理由や雑穀を植えるところ、も実はほとんど竹森様・思兼命様から聞いたものなのです」
百太郎は素に戻り話かけてくる。
「最初にしては上出来だが、間と視線を大切にしよう。
質問を聞いてから、すぐ答えるのは変に見える。
思兼命様が質問の言葉を聴いて、考え、宣託を下す。
それを義兵衛が聞いてから、質問した人にその内容を伝える。
義兵衛は宣託が来るまで、思兼命様の方、摩利支天像から早く言葉が来ないかなとチラ見する。
そして、やおら宣託が来るので、摩利支天像へ平伏する。
それから質問者に向き直り、内容に応じて厳しい顔を見せて宣託を伝える。
ついで、表情を和らげ、付け足す内容を述べる。
まあ、演技指導はこんなもんだ」
辻売りといい、どこでこのような修行をしたのか、感心してしまった。
「ところで、先ほど聞いた内容のことで教えてくれ。
雑穀を植えるとなると、色々考えなければならない。
今年はまだ冷夏という訳でないのであれば、思い切り米を作って、備蓄を増やすというのもあるだろう。
まずは、種も準備しなければいけない。
植えるにしても、どの時期に何をどれだけどの畑に、という所を詰めなければならない。
村の田は、上田はほとんどなく、中田、下田が多い。
これを勘案して、最大収量になるよう持っていくことを考えて指導する必要がある。
このあたりのことは、どう考えればいいのだろうか」
『百太郎さん、俺は単に未来の知識を若干知っている一般人で、全部のことを見通せるとか、判断できるという訳ではないのですよ。
思兼命は方便の設定ですよ。
皆川広照の家臣になった百太郎さんが、篭城中の足軽の指揮方法を聞かれても困るでしょ。
できるとすると、火縄銃の取り扱い方指南ぐらいでしょう』
ここで釘を刺しておくことが重要と感じたので、義兵衛さんの口を借りて直接話す。
ただ、この方法は義兵衛側の負担も大きいし、俺もとても精神力を使う。
「どの時期に、どの畑に、何を植えるかは、その指示も含めて専門家である名主さんが考えるべきこと、と言われています。
ただ、救荒食物としてこの地域にはまだ広がっていない薩摩芋・馬鈴薯という新しいイモ類の導入は是非図りたい、とのことです。
薩摩芋は、飢饉対策作物として幕府自体が後押している関係で、お殿様経由で小石川薬園の青木昆陽先生を紹介頂く方向を考えたい。
馬鈴薯は、甲府勤番支配配下の中井清太夫さんが栽培を奨励していると聞いているそうです。
イモ類の導入については、木炭の水車の目処がついてからでも間に合うと見ています」
「おおよその見通しは判りました。
年貢米を出さなくて済むようにした後は、自由度が増した田畑を使い飢饉対策を打つ、ということですな。
そして飢饉が7年続くことを見越した上で、その采配を名主に任せる、ですか。
なるほど、一番近道を進んでおられると思います。
新しいイモ類の栽培については、水車の後にするということは孝太郎を中心に据えた対策という配慮ですな。
お殿様とからむ部分があるので、有難い話です」
百太郎は、今聞いた内容を自分なりに当てはめて解釈することに一生懸命になっている。
「今、村の中をどうしていくのかをお考えのことと思いますが、これを進めるにあたっての問題は実は外にあります。
実際に飢饉が始まったとき、金程村だけ7年間もヌクヌクと暮らせるとお思いでしょうか。
少なくとも、お殿様配下の村である細山村と、万福寺村の一部はこの対策の恩恵を分けるべきと指示するでしょう。
椿井家だけが何の問題もなく飢饉を乗り切れる、ということも難しいと思います。
あと、川崎宿の助郷も、裕福と見れば要求を吊り上げ、米を寄越せと言ってくるでしょう。
7年続くとして準備した備蓄米は、7年目より早く無くなることを覚悟した対策を含んでいなければなりません。
短期対策だけでは乗り切れないものもあります」
この指摘は百太郎にとって不意打ちだったようだ。
先の指摘と合わせて、これも名主が対策を考えることだと気づいて、頭をかかえこんでしまった。
「飢饉対策の取り組みは、広い視点で孝太郎とも相談して決める必要がありそうだ。
確かに、この村だけでなく、細山村も、万福寺村も何も対策をしなければ飢饉の影響を受ける。
ならば、飢饉対策を同じように進めさせねばならないが、さすがにそこには関与できない。
白井与忽右衛門さんと椿井甲三郎さんへの献策をせねばならないが、そのためには、まず飢饉が来ることを信じてもらう必要がある。
ならば、義兵衛に憑依したことを伏せて、この依代のことを伝え、この村が変わることを以て、思兼命様の恩恵とするしかない。
まずは、その方向で進めて、摩利支天像を取り上げられないように抵抗することで時間を稼ぐか」
「予言めいたことで言えることは、安永7年の師走、つまり来年の年末に、京都におわします帝がお隠れになることです。
しかし、あまりにものことなので、口に出すことは憚られます。
他に知っていることでは、天明3年4月、今から5年後に上野国吾妻の浅間山が噴火します。
この噴煙・塵灰は広く関八州に降り積もり、飢饉を一層酷いものにします。
これは飢饉になってからの出来事なので、思兼命の権威を上げることにはなりますが、飢餓を避けるために使うには遅すぎます」
とりあえず、考えられる材料は出した所でその日は暮れた。
この材料をどう使おうが、それはもう百太郎に任せたのだ。
そして、今後の行動を信じてもらえたのか、義兵衛の軟禁は解けた。
ジャガイモが困りものです。
ブックマーク・評価をよろしくお願いします。




