老中・田沼意次についての神託 <C2227>
とうとう12月15日0時の投稿を1回飛ばしてしまいました。
甲三郎様は、いよいよ幕府本丸を攻めます。
「話を途中で遮って申し訳なかった。来年に亡くなる者についての御神託であったな。続けて話せ」
「はい、7月にご老中首座の松平右近将監(松平武元)様が亡くなられます。御歳67歳であり、これは止むを得ぬことかと存じます。
また、他のご老中の方々に関しては、その翌年の安永9年ですが、5月に板倉佐渡守(板倉勝清)様、10月に阿部豊後守(阿部正充)様が相次いで亡くなられます。更にその翌年の安永10年に松平右京太夫(松平輝高)様と、田沼様より先任されていらした3名のご老中が亡くなられます。こういった方々の入れ替わりの結果、ご老中首座となられた田沼様は誰に憚ることなく存分に手腕を発揮できる状況になるとのことでございます。
しかし、その田沼様とて悲劇が襲うと神託は宣わっております」
老中の動向を随分細かく説明しているが、恐らく里にいる間に富美の中に居る阿部から随分聞きだしたに違いない。
そして、将軍家の病気の話から老中の動向に焦点を合わせてしまった所を見ると、甲三郎様は覚悟を決めていたに違いない。
つい先程までは、田沼失脚のことを話さずに済む流れと思って安堵していたのはどうやら間違いだったようだ。
甲三郎様の話す内容に、曲淵様は驚いたように聞き返した。
「田沼様に一体何が起こるというのじゃ」
甲三郎様は、小さな声ではあるがはっきりと伝わるようゆっくりと話始める。
「まず、御嫡男の田沼大和守(田沼意知)様のことでございますが、天明元年、いや安永10年に奏者番となられ、安永12年には若年寄に任じられます。しかし、その翌年の安永13年4月に江戸城内での刃傷沙汰によりまだ御歳36歳ではございますがお亡くなりになるとのこと。この事件以降、単にそういった時期になったということかも知れませんが、田沼様の権勢に陰りが見られるようになるとの由でございます。
どうもお指図諸事万端に無駄や失敗が入り込み、まるで運気に見放されたように政治でこれといった結果や見通しが出てこなくなるそうでございます。
そして、とうとう田沼主殿頭(田沼意次)様は、安永16年のお上(将軍家治様)ご逝去の直前に失脚、ご隠居なされるとのことでした。
この安永16年の失脚は、田沼様の政治のなさりように反感を持つ者達が『田沼は上様の勘気を被った』と吹聴し、病床のお見舞いも出来ないように遮断・分断を謀り、あれほど支持して頂いていたお上と末期の面談も叶わぬまま、その死が秘匿されている間に老中を罷免されてしまう、とのことでございます。
この後老中に就かれたのは、反田沼派の主力と目されていた陸奥白川藩・藩主の松平越中守(松平定信)様ですが、田沼様憎しとばかりにそれまでに行われていた政治を、その内容の良し悪しにかかわらず全て引っくり返す所業に及ぶ、とのことでございます。
曰く『田沼様は老中首座になられてから、賄賂の多寡で政治を行い公儀を私しておった』と、このような噂をまことしやかに流すそうにございます。
そして、失脚された田沼様は、直後に加増されていた2万石の没収、大阪蔵屋敷財産没収、江戸屋敷明け渡し、御領地の相良城打ち壊しの上蓄えられていた金穀没収というご処分を受け、失意のうちに安永18年に御歳70歳で亡くなられる、とのことです」
一気に畳み掛けた甲三郎様の勇気に義兵衛は驚いた。
戸塚様はあまりにも細かな、その場に居て見てきたような話に、驚くべき内容に、顔を強張らせて固まっている。
曲淵様は、奥歯をギリギリと噛み締めて、唸り始めた。
「あと、たっ、たった、じゅっ、10年もないのじゃぞ。
今、老中・田沼様は幕府を真っ当に立て直す大仕事にかかりっきりになっており、言うこと全てが幕府の意志、そのものとなっておる。
今は皆が田沼様のご意向をいかに先取りし、下知されることを首尾よく済ませるか、気に入られるか、気に掛けて貰えるか、で幕閣のものは皆競っておるようにも見えておる。
それが、そんな大木然とされている田沼様が、実は風前の灯で、まるで消える直前に一際明るく光るようなものでしかない。そう神託は述べておるのか。田沼様の権勢は、そんなに脆いものなのか。
このような行く末のことを聞いてしまうと、ワシは今聞いた神託を田沼様に相談すらできぬではないか」
この反応を甲三郎様は予期していたようで、更にゆっくり・はっきりと語り始めた。
「私も巫女から田沼様の行く末について、最初に神託を聞いた時は誠に驚きました。上様と老中・田沼様のお二方、供に次を任す御嫡男を失い、政治に勢いがなくなってしまったのは致し方無いものと思います。
しかし、巫女と神託の内容について、その後に起こることについても細かく色々聞いているうちに、今であれば、根本的にこういった状況が起きないような対策がとれるのではないかと思うようになりました。それは、この先で反田沼派の旗手として目されるようになる白川藩主・松平越中守様(松平定信)の処遇でございます」
曲淵様は身をさらに乗り出し、甲三郎様の頭を抱きかかえるほどに近くまで寄ってきて、一言も聞き逃すまいとする構えになっている。
一方、甲三郎様は里で阿部から充分過ぎるほどの情報を聞いて整理してきたようで、余裕を持って対峙している様子が見て取れる。
先を促すように、曲淵様は首を細かく縦に振った。
「後に反田沼派の旗印となりかねない松平越中守様を、田沼様の政治に加担させるよう取り込んでしまうことです。そして、御輿として祭り上げてしまうことができれば、更に良いです。
具体的には、田沼様に口添えを頂き、今空席となっている御三家・田安家の御当主に戻って頂くのです。その折、白川藩主と兼ねていても問題はないと考えます。
もちろん、一ツ橋家や上様、奥からの反発はあるやも知れません。特に、将来将軍家の血筋を独占し兼ねない一ツ橋家は、このことを知ってか知らずか、反発の度合いが高いのではないかと思っております」
曲淵様はこの意見中の一部に疑問を覚え、すかさず質問をしてきた。
「一ツ橋様が将来の将軍家の血筋を独占、というのはどのようなことなのじゃ」
甲三郎様はこのことを説明することを予期しており、懐深くに忍ばせていた紙挟みから一枚の系図を取り出し、曲淵様の前に広げた。
それは、里で作った将軍家の系図から関係する所を抜き出して写したものだった。
「この系図は、幾つかの神託の内容を巫女に細かく問いただし、その結果をまとめたものでございます。
もちろん、上様の御病気、嫡男権大納言様の落馬事故については無為のまま御神託の通りになっていることが前提なので、今回のことで手が打たれると変わってしまうものと思います。しかし、この系図を見て頂くと、松平越中守様を田安家に戻す必要性が見て取れるのではないかと考えた次第です」
甲三郎様は系図を指し示しながら、要点を説明していった。
戸塚様も曲淵様の肩越しに図を覗き込んでいる。
「むふぅ、確かにこの系図通りになる、ということであれば、そのような意見もあろう。
だが、その神託が確かに本物か、という確証はなかろう。まだ起きておらぬことばかり故、巧みに作り上げた話というようにも見える。実際、上様が亡くなり、一ツ橋家から養子に入った豊千代様が次期将軍に成られるということは閾が高い関門も多く、盲目の者が針に糸を通すというよりも難しいことであろう。
八代将軍吉宗様が紀州徳川家の4男でありながら将軍に成られたようなことも無いではないが、そのようなことが何度も起こるとは思えん。
このままほって置くならば、そちの言う神託通りになる、ということははなはだ疑問である」
何のことはなく、ここに来て話が振り出しに戻ってしまったのだ。
「証拠」これは厳しいのです。曲淵様が信じないものを、その上の方が信じる訳ないのです。
次話は、このあたりの展開です。
<困ってしまったきただ>
この展開がどうもスムーズでなく不自然になってしまっていて、書いては止り消して戻してを繰り返しています。後に想定している筋への影響が大きく、この書き直しでもう何日も費やしてしまい、とうとうストックが無くなってしまいました。
心機一転するため、深川の霊巌寺・松平定信墓所へお参りに行き、エタらないよう祈念してしてきました。




