料理比べ前後 <C2222>
料理比べが開始されました。
料理比べが始まると、裏方の仕事は一挙に増える。
行司の前に並べられた膳の内、焜炉のものについては火を入れて回る。
試食用の取り皿をかなり沢山配り、結果を記す帳面を配る。
目付役の各々にそれぞれの膳がどの料亭のものかという答えを書いた紙を配り、行司の振舞いに注視してもらうよう留意を促す。
目付席にある八百膳特製の仕出し膳の焜炉に火を入れる。
控え室に配膳した仕出し膳の卓上焜炉にも火を入れて回るなど、一番混雑する状態となった。
廊下で見学する観客100人への御握りの配布とお茶の用意などあっててんてこ舞いになっているのだ。
その中で、行司となっている瓦版版元のお供=瓦版屋の8人は、矢立を手に客殿の廊下に散り、行司や目付の控室に突撃して聞き取りをしているようだ。
義兵衛は、椿井家の控え室にいる甲三郎様の動向が気にはなっているが、とても足を運ぶことができない。
広い客殿内は食膳の良い匂いが漂い、シンとした中でただ食器のぶつかる音や咀嚼・啜り込む音がやたら響いている。
開始から半刻程経過した時点で、南町奉行・牧野様が膳の順位付けを終え、料亭の器当てへと進まれた。
牧野様から順位付けした帳面を受け取り、それぞれの投票箱へ碁石を入れていく。
客殿内の掲示板に碁石の個数を掲載すると、廊下の観客は喝采した。
そして、この数字を中庭の掲示板にも掲載すべく、小坊主が客殿から駆け出していく。
牧野様の席に残された膳は控室に持ち運ばれ、そこでお供の方によって折詰めされたり、その場で食したりと処置される。
料亭の器当てもあっさり終わらせた牧野様は、小坊主に案内されて一度控室に戻り、そこから宴会場の別棟に案内される運びなのだ。
だが、牧野様は廊下に出た瞬間、恐れを知らぬ瓦版屋に囲まれて質問攻めにあっている。
江戸時代ではあるが、芸能人の出待ちと同じ格好になってしまっており、それでも武家としての威厳を示しながら控室にたどりついていた。
次に審査を終えたのは、瓦版版元さんと八百膳・善四郎さんだった。
この結果に従い、掲載されている順位表を更新する。
得点を示す碁石の数を、得点の少ない膳から更新していき、順位の入れ替わりが判る都度、観客はどよめいている。
歓声が大きくなり過ぎる前に『静粛に』の団扇を丁稚が振って示すが、繰り返すうちに抑え込む加減を制御することに、だんだん長けてきたようだ。
次いで商家代表の奈良屋・重太郎さんも審査を終えて退出し、それから大関料亭の主人2名も退出したが、残っている4料亭の主人は真剣勝負という表情で、膳仕出し膳の全部を試し尽くしているように見受けられた。
審査を終えた行司と武家側目付はすでに別棟に移り、感想会を始めている頃合いとなった。
そしてやがて一刻にもなろうとする頃、やっと料亭の行司全員が退出した。
最後の2人の審査結果は直ぐには反映させず、それまでの掲載をあえてゆっくりさせて時間調節している。
このあたりも、興業の裏方としての演出である。
最終集計が出た時点で、料理比べ終了の合図である大太鼓を鳴らし、続いて千次郎さんからの順位発表となった。
「まず、9料亭の番付表で順位が低い順から述べると、
神明町・車屋、大門町・海老亭、吉原町・海老専、両国町・草加屋、茅場町・立三河、亀戸町・巴屋、柳橋町・かめ清、天神町・松金屋、松村町・酔月櫻、
先に公表している料理番付ではこうなっておる。
今、10名の行司による審査の結果を集計したので、同じく順位が低い順に報告する。
吉原町・海老専(7位から2席降格)、神明町・車屋(9位から1席昇格)、大門町・海老亭(8位から1席昇格)。
この3料亭は三段目同士での競い合いであったが、それぞれの差は僅差であった。
続いて、波乱のあった十両・幕下である。
亀戸町・巴屋(4位から2席降格)、茅場町・立三河(5位と同席)、柳橋町・かめ清(3位から1席降格し、幕下に敗退)、両国町・草加屋(6位から3席昇格し、十両に勝利)、天神町・松金屋(2位と同席)、松村町・酔月櫻(首位維持)。
幕下の両国町・草加屋が工夫を凝らした結果、十両の柳橋町・かめ清より上位に立ったのは見事なり。
それぞれの料亭がどのような料理を出し、審査の票点がどうなっていたかは、瓦版にて公開するので、数日お待ち頂きたい。
これにて、本興業は終了する」
少し締まらない感はあるものの、客殿内での公表は終わり廊下で観戦していた100人は指示に従い中庭へ誘導された。
料亭主人、行司、目付けも退場した客殿では、八百膳丁稚と審査対象料亭による片付けが始まった。
当初100人を選び出すときに3728人もいた中庭の群衆は、おおよそ2000人程度に減ってしまっていたが、大きな掲示板で更新される審査結果を熱心に見入っていた。
その掲示板も行司8人までの結果が掲載されている状態で止めている。
そこへどやどやと客殿で見学していた100人がやってきて、中庭の料亭名と膳の紐付け結果である得点を確かめるため見上げている中、台の上に上がったお坊さんが最終結果の発表を行い始めた。
「それでは、客殿内の行司審査結果を掲載しまするぅ~」
中庭の掲示板の得点が書き換えられると、その都度観客は大声を出して喝采していたが、すべての掲載を終えるとお坊さんは終了を宣言し、掲示板は一番後回しにして中庭会場の撤収作業を始めた。
そして、観衆はなんの騒ぎを起こすこともなく三々五々散っていった。
表向きの料理比べの興行自体はこれで終わったが、義兵衛にとっての大仕事はここから始まるのだ。
「甲三郎様、御奉行様とのつなぎは如何な首尾になりましたでしょうか」
目付役として割り振った控え室は、椿井家の隣が北町奉行・曲淵様となっているため、敷居となっている襖を少し開ければ顔合わせはできるのだ。
「うむ、最初は同心・戸塚様に挨拶と色々な話をし、つい先程お奉行様へのご挨拶を無事済ませることができた。『明日午後一番に、呉服橋内の北町奉行所・私邸を訪ねて参れ』とのお言葉を頂いておる。
戸塚様から聞いた所、どうやら、里でのことやお前のことで色々聞きたいことがあるそうじゃ。飢饉の噂の話はその一つに過ぎんようだな。
戸塚様も同席するということから、明日は供として一緒に来るようにせよ。
ここでの後始末は、萬屋に任せても良いのであろう」
興業の後始末をきちんとすることが千次郎さんにとって重大事であり、瓦版への記載内容も含め方向をきっちり定めるのに2~3日かかると踏んでいた義兵衛にとって苦しい状況に思えるのだが、そこは斟酌されていないようだ。
ここはできるだけのことを済まし、明日午後を充てるしかない。
「はい、お供させて頂きます。ただ、この興業の後始末の目処をつける作業が待っておりますので、明日朝にお屋敷へ戻るということでご容赦願います」
甲三郎様は深く頷くと、諭すように言った。
「興業の後処理が今後の動きを見据え重要なことは判っておるが、明日の会談もそれに劣らず将来に向け重要な話となるであろう。決して無理を重ねるではないぞ。お前のことじゃ。昨夜も碌に寝てはおらんのであろう。任せられるところは、思い切って任せるのじゃぞ」
義兵衛はこの言葉に平伏し、それから別棟で行われている宴会の様子を確認しに控え室を後にしたのであった。
飯テロを期待しておられた皆様、申し訳ございません。
義兵衛は忙しくて料理を観察しているヒマも無かったのです。
次話は別棟での宴会・感想会風景です。両国町・草加屋のことが焦点となります。




