幸龍寺客殿・料理比べの始まり <C2221>
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さて、5月20日幸龍寺の料理比べが始まります。
■安永7年(1778年)5月20日(太陽暦6月14日)
料理比べの朝、義兵衛は浅草・幸龍寺の客殿内にある小部屋、本日の事務局控え室、で本堂から響く読経の声で目覚めた。
昼頃に始まる興業準備のため、多分早朝から各料亭からの食材の搬入が始まるに違いないと踏んでの寝泊りなのだ。
ちなみに、異議申し立てがあった料亭と、審査のため前後の順で比較するため仕出し膳料理を供する料亭は次の通りである。
<西・十両>
天神町・松金屋の異議に対し、上位の松村町・酔月櫻、下位の柳橋町・かめ清との勝負
<東・幕下>
茅場町・立三河の異議に対し、上位の亀戸町・巴屋、下位の両国町・草加屋との勝負
<西・三段目>
大門町・海老亭の異議に対し、上位の吉原町・海老専、下位の神明町・車屋との勝負
もっとも、十両・幕下・三段目の区別はなく、9料亭が判らないようにして公平に扱われるため、この中で番付け最下位・三段目の神明町・車屋が最上位・十両の松村町・酔月櫻より高い評価を得ることだって起きる可能性は充分ある。
瓦版の料理番付に異議を唱えるということは、それなりの自信がある証であるし、新しい料理を産み出した可能性もあるのだ。
かといって、ここで比べられる料亭も手を拱いているはずもなく、打診されて出てきた以上は自分の所の仕出し膳に工夫を重ねているはずだ。
そして出場を打診した時に断った料亭は、次の番付では順位を下げられることに違いない。
こういった番付を巡る動きが、色々な料亭に活気をもたらすことを八百膳・善四郎さんは判っていたのだろう。
早朝の幸龍寺に一番最初に現れたのは勧進元の八百膳で、それから示し合わせていたかのように、大関の武蔵屋・坂本、関脇の平石・大七、小結の百川・島村の料亭の板長と丁稚達が現れ、一気に賑やかになった。
勝負の対象ではない料亭、つまり行司役の料亭は、安心して準備ができるに違いない。
義兵衛が見守る中、搬入を指揮するそれぞれの料亭の板長は、自分達の控え室にいろいろと道具を運び込んでいる。
八百膳は目付役への仕出し膳、大関・関脇の面々は、お供が滞在する控え室への配膳である。
小結の2料亭は、一般見学の者へ出す塩握りのオニギリをここで作るため、まだ湯気の出ている大きな御櫃をいくつも持ち込んでいた。
会場となる客殿の中には様々な料理の出す匂いが混ざり始める。
この山が一息つく頃、今度は審査される9料亭が食材の持込を始めた。
この9料亭の仕出し膳については、八百膳から提供される器への盛り付け直しが入るため、それなりの作業が発生する。
控え室は多少大きめのものをあてがってはいるが、それでも喧騒は防げない。
貸与している器についても、予備を事務方の控え室に確保しており、破損に備えていた。
客殿の中は準備が進んでいる一方、幸龍寺の境内では多くの参拝客が溢れかえってきていた。
見学の百人を抽選する会場である中庭への誘導は、締め切り(開始半刻前:1時間前)の1刻前(開始1刻半前:3時間前)からとしていたが、それより更に1刻も早い時間(開始2刻半前:5時間前)で既に人が集まり始めていたのだ。
「先着順ではございません。中庭に案内した方の中から抽選で選びますので、早く中庭に入場したからといって見学できる訳ではございません」
中庭入り口前にある台に上がった小坊主が大声で何度も説明を繰り返すが、これが返って人を寄せ付けるようになっており、寺の門を潜った人は足早に中庭に通じる境内の一角に群がり始めたのだった。
境内のざわめきを気にした義兵衛は客殿を離れ中庭前に様子を確認しに行った。
そして、受付開始時間を半刻程早めるよう寺側の興業監督担当の御坊様に進言した。
まだ刻限前ではあったが、順次半券を受け取り中庭に入ってもらう。
中庭には、抽選台を直接見ることが出来る場所にあらかじめ100人が入って座れる位の大きさで区切った区画を20枠用意しており、半券の番号に応じて決められた20枠に人が入りこんでいく。
そして、その外側に念のため20枠の区割りだけは用意している。
どれだけ人気があっても流石に4000人には達しないという読みであるが、これが難しい所なのだ。
もし4000人を越えると、その外側に群がってもらうことになる。
大き目に作られた掲示板は、入場できる100人の番号を掲載するために設けているが、興業が始まると実況中継の板に早変わりし、中庭に入った人に状況を知らせる役割を果たすのだ。
さしたる混乱もなく、中庭への誘導が始まったことを見て取ると、義兵衛は客殿に引き返した。
「義兵衛さん、ワシ等はどこで控えておればよいのでしょう」
事前準備のため混乱を極めている客殿に加登屋さんと中田さんがやってきた。
萬屋関係者は事務方として下座の入り口に近い所に控え室が用意されているので、そこへ案内する。
とは言え、進行を行うための道具で溢れかえっており、足の踏み場が無くなっていた。
やっとのことで座布団を2枚引っ張り出し、そこへ座ってもらう。
「加登屋さんは、開始前に客殿の下座にある席に着いてもらいます。お呼びしますので、その時にでてください。中田さんは、ここでそのままお待ち頂くことになります。千次郎さんは、司会進行で出ずっぱりになりますので、こちらに居るようなことはありません。興業が終わり撤収の時にいろいろ手伝ってもらうことになりますので、それまではこの賑わい振りを見学しておいてください」
少し経ち、中庭での抽選のどよめきが客殿まで響いてきた。
開始まであと半刻程となり、仕出し膳の準備があらかた終わったような状況になった時、客殿の真ん中で審査される料亭主人たちと行司の料亭主人が集まってきた。
「加登屋さん、千次郎さんがお呼びです」
控室から客殿中央まで加登屋さんを連れ出すと、料亭主人たちは一斉に驚きの声を出した。
「この料理比べには、進行を行う萬屋への助っ人として、登戸村からわざわざ加登屋さんに来て頂いた。仕出し料理の座を立ち上げる時に紹介しておりますが、卓上焜炉を使った料理の先駆者として今日しっかりと見てもらうので、よろしくご承知おき頂きたい」
千次郎さんの紹介の挨拶に、加登屋さんが調子を合わせた。
「加登屋でございます。座の立ち上げを協議した日からさほど経ってはおりませんが、新しい料理道具を得て皆様々な工夫・趣向を凝らして研鑽されていることと思います。こういった場は、他の店の工夫を知る良い機会であり、勝負の結果に一喜一憂するのではなく、謙虚になって学んでいかれることをお勧めしますぞ」
こういった事前の挨拶を終え、それぞれ決められた席に座っていく。
見学する100名の観客は廊下に張り付いており、そこへ団扇を見せて静かにすべき時の合図を教え、何度か練習をさせた。
こういった喧噪が収まると、義兵衛は、御武家様と商家の控え室に順に合図を出し、小坊主に案内された各人が決められた場所に順次着席していく。
各自の席の前には出来たての仕出し膳がずらりと並んで、食される時をいまや遅しとばかりに湯気を立てている。
『どぉ~~ん、どぉ~~ん』
腹の底から震えるような大太鼓の音が響き渡り、司会の千次郎さんの挨拶・料亭の紹介・競技内容の説明を終えて料理比べが始まった。
相変わらず進展が遅くて申し訳ないです。
やっと審査開始です。9料亭の名前を書き出しました。
それぞれの料亭の由来を調べるとなかなか面白いものがあります。




