加登屋、江戸へ登場 <C2220>
料理比べ興業の前日です。サブタイトル通り、助っ人の登場です。
■安永7年(1778年)5月19日(太陽暦6月13日)
竹森氏が義兵衛に憑依してから、101日目が経過していた。
連日客殿での指揮・進行を行う千次郎さんを補佐し、かつ夜はこれで対策ができているかの検討と、不具合があった場合の切り替え策の立案と指示案策定で、ほぼ2連徹となっていた義兵衛は、流石に疲れて萬屋の2階で寝転がってしまっていた。
おおよそ考え得る限りの不具合ケースの叩き出しとその抑止、抑止できなかった場合の回避プランへの誘導というイベントの切り盛りをする作業は根気がいる作業で精根尽き果ててしまっていたのだ。
ただ、幸いなことに、この江戸時代、時間が多少延びることには寛容な社会であったので、問題が起きた時に影響が拡大しないようにある程度時間待ちすることが許容されているのだった。
ともかく、ぐったりしているのは千次郎さんも同様で、この様子に気の毒がったお婆様は、とりあえず料理比べ興業が一服するまで練炭の話・新しい商売方法の話はしないように配慮してくれているようであった。
そして、興業前日の最終確認と荷物搬入の指揮は千次郎さんだけが出かけ、ぐっすり寝込んでいた義兵衛はそっとしておかれたのだった。
昼直前に階下のドヤドヤとした物音でやっと目が覚めた義兵衛は、すっかり寝てしまっていたことを思い出し飛び起きた。
「うわぁ、寝過ごしたぁ~」
あわてて階段を降りる義兵衛に、忠吉さんは声をかけてきた。
「大丈夫ですよ。今日は何の問題もないので、明日に備えて休養しておいてくだされとの言伝を主人から預かっております。
それよりも、珍しい方が参っております」
階下のドヤドヤの正体は、登戸村の加登屋さんと支店番頭の中田さんであった。
「これは、義兵衛様ではございませんか。萬屋でお泊りでございましたか。
明日が料理比べの本番でございますから、大方そのような仕儀でございましょう。先だってから萬屋の大事はどれもこれも皆が義兵衛様の仕込みでございますから、おおよそそうなりましょう。誠に勿体無いことでございます。
ところで、登戸からの荷はきちんとついて居りましたでしょうか。柳行李は絶対に揺らさないで欲しいと助太郎さんの依頼でございましたから、船頭にきつく言い聞かせておりました。
小炭団については150万個全部送りきりましたよ。
ただ、これは登戸でも商売になるということで、金程製焜炉と小炭団を契約とは別枠で仕入れて店に出しておるのですよ。小炭団もなんと1万個も店においてあります。
加登屋さんから道具を買うなら中田の店ということで紹介を頂き、結構繁盛しております。夏場でも売るものがあるというのは、嬉しいことです。ああ、皿についても、鍛冶屋さんが面白い意匠のものを作っており、一緒に売り出しております。義兵衛様に感謝することしきりでございましたよ。鍛冶屋さんがよろしくと言っておりました」
中田さんは、義兵衛の顔を見るなり息もつかず話掛けてくる。
主に毎日通ってくる工房の輸送班から聞く里の様子、江戸輸送手配にまつわるゴタゴタ、登戸を通る人から聞く江戸市中で流行り始めている焜炉料理の噂など、とりとめもない状態なのだ。
焜炉料理の話になったとき、やっと加登屋さんが口を挟んだ。
「料理に関する瓦版の噂が登戸にも響いてきております。
川崎、小杉、高津、府中といった街道沿いに話が広がっていると青梅から来る筏流しの者が教えてくれるのですよ。それで、瓦版に出ている登戸の料亭が、この加登屋のことと判ると皆喝采するのです。すっかり有名人になって、小料理屋の繁盛すること夥しく、もう笑いが止まりません」
登戸で起きた騒動を面白おかしく話す加登屋さんの様子を見聞きして、興業に追い込まれていた気持ちが晴れていくのを感じた。
『できる限りの準備は済ませたし、あとは一緒に祭を楽しむしかない』
「それで今回、料理比べでワシが必要という連絡を頂き間に合うようにやって参りましたが、一体何をすればよろしいんで」
加登屋さんにしてもらいたいことまでは書いていなかったので質問は当然だ。
「料理比べ興業の進行役を千次郎さんが行っています。そして、私も裏方の仕事をしております。
勧進元は八百膳さんで何人もの丁稚を出してもらっておりますが、他所目から、特に料亭の主人から見れば素人の薪炭問屋が仕切っているように見えてしまいます。
そこで、卓上焜炉料理で萬屋が繁栄する要となった登戸村の凄腕料理人が後ろ盾になっているところを本番では見せつけて頂ければと考えた次第です。興業の事務方としての重しです。
萬屋店頭での実演販売の様子や、仕出し膳の座を立ち上げた時の加登屋さんの挨拶・立ち振る舞いはもう江戸中の伝説ですよ。炙り料理の披露でどれだけの料亭が感謝しているか判りません。特に、向島の料亭料理人は、加登屋さんの指図に逆らうなんてことはこれっぽちもできようはずもありませんよ」
義兵衛の言いように顔を赤らめる加登屋さんだった。
「いや、全部義兵衛さんのしたことではありませんか。ワシは弾除け然として居っただけですよ。少しでも恩返ししようと出てきたら、また恐ろしいものを目一杯背負わされるのですな」
「それで、お願いの件がいくつかあります。
料理比べで出される料理をよく観察しておいてください。八百膳さんが一番確実に中身を把握されるとは思いますが、全部を話して頂けるとは思っておりません。料理に疎い萬屋としては、実際どうだったのか、を客観的な目で知っておきたいのです。あと、料亭亭主の様子も見ておいてください。
それから、これは萬屋さんの興業とは別件で、全く個人的なお願いです。椿井家で以前焜炉料理の披露をして頂きましたが、もう一度料理を披露して頂きたいのです。目新しいものがあればとても良いです。多分、今回の興業で珍妙なものも含めて、これはというものも出されると見ています。そういったものも含めて、興業が一段落した時に、椿井家で開催をお願いしたいのです。22日を予定していますが、それまで、江戸に逗留して頂くことはできますか」
義兵衛は先だっての若君の要望を叶えるべく、仕組んでもいたのだ。
「興業の料理・主人の観察は出来る限り協力しますが、見ているだけなので限界はありますぞ。あと、江戸逗留は10日程であれば大丈夫でしょうから、椿井の御殿様への披露は問題ないでしょう。ああ、材料なんかは八百膳さんに頼むことになるのでしょうな。まあ、そちらは話してみますのでお任せください」
そこから先は、また里の・登戸の評判で話が盛り上がっていった。
夕刻になり、千次郎さんが戻ってきた。
「これは加登屋さんではございませんか」
義兵衛が加登屋さんに来てもらった経緯・狙いを説明すると、千次郎さんはこの対応をひどく喜んだ。
「これは確かに仰るとおりでした。自分視点で目先のことばかり考えておりましたが、それぞれの料亭がどのような目で進行・事務方を見ているかというところが抜けていました。ありがとうございます」
今度は、千次郎さんから仕出し料亭の座のことや、料理番付、料理比べ興業の評判など、加登屋さんと中田さんに説明して盛り上がっていった。
しかし、義兵衛は翌日の興業に備え夜は幸龍寺に泊まることと決めており、話の途中で抜けざるを得なかった。
皆に挨拶して萬屋から幸龍寺へ向う義兵衛を見送る千次郎さんだった。
こうして、それぞれの興業前日は終わっていったのだった。
いよいよ明日が料理比べです。




