萬屋で練炭生産の相談 <C2214>
萬屋で料理比べの準備状況を聞かされます。そして、萬屋の将来に向けてを考え始めます。
深川の辰二郎さんに作ってもらう七輪に使う珪藻土のことも充てができたことで、意気揚々と、しかしながら工房への支払いをどうするかを悩みながら義兵衛は日本橋へ向かった。
夕刻になってやっと萬屋に戻ると、千次郎さんとお婆様が首を長くして待っていた。
「遅くなりました。やはり七輪は深川の辰二郎さんの所で作って頂くことになりそうです」
簡単に言うとこうなってしまうが、実はこれから先が神社との交渉や量産方法など長い道のりなのだ。
千次郎さんとお婆様は、互いに話の主導権を握ろうと同時に話し始めたが、お婆様が競り勝った。
「今日、本町の町年寄・樽屋藤左衛門さんに御救い米のことで話を聞いて頂けるということで訪問したのですが、話半分で例の料理比べの話になってしもうたのじゃ。要約すると『ワシに行司役をさせろ』ということになるかの。
瓦版で、千次郎が商家側代表として行司役をするということを見ておったそうな。それで、千次郎と代わらせてくれと迫ってきよった。
うちの千次郎では『まだまだ色々な料理の経験が足りんじゃろう』と言い立てて来るので、実はすでに奈良屋・重太郎さんに交代したこと、今回はもう色々と決まってしまっており、どうにもならんことを説明して納めてもらった。
ただ、いくつか明日出る瓦版で書かれる予定を話してしもうたのじゃ。
次回からは商家側の行司役が1名から3名に増えることと、増えた2席は公開入札で決めるということじゃ。
そして、今回の興業で、新たに目付け席を設けることもじゃ。商家側の目付けは八百膳さんが決め、武家側の目付けは曲淵様が御決めになることじゃ。予備1席があることを話してしもうたら、藤左衛門さんは早速八百膳さんに使いを出しておった。
後から千次郎から聞いたのじゃが、この使いはどこまでも善四郎さんを追いかけたようで、町年寄りの権威にモノを言わせて押し込んでしまいよった。
まあ、こんなところじゃ」
「婆の話はさておき、善四郎さんと幸龍寺へ行き興業内容の確認を住職とした後、一緒に詳細内容を当番の寺社奉行・太田備後守様へ御報告に参ったのだが、結論から申すと備後守様の手の御家来を武家側の目付け役として押し込まれてしまったのだ。
代わりに、興業の開催は先日変更した内容で問題無いとのお墨付きを頂けましたよ。
問題が起こるとすれば、明日の瓦版で書かれる目付けに追加があることだが、これはもうしょうがない。
版元は、鼻息も荒く強気で空前の2万枚を刷り上げており、臨時に読み売りを雇って市中一斉に売る準備を済ませているそうだ。
2万枚と言えば、全部売り切れれば20両(=200万円)の売り上げにもなる。4月の湯豆腐騒動以降、日本橋の版元も、ここ一連の料理にまつわる瓦版で大儲けしておるのだ。料理比べの行司にも祭り上げておるゆえ、見たまま・聞いたままを次の版木にするだけで評判間違いなしになるだろう。料理比べを記事にしようとしている他の瓦版屋とはもう大きく差をつけているのです。
瓦版の版元は萬屋に感謝することしきりなのですよ」
千次郎さんは、しきりと瓦版の版元への影響力の大きさを誇示しているが、義兵衛は寺社奉行とのやりとりが気になった。
寺社奉行・太田備後守様は遠州掛川5万石の大名であり、40歳と若いが奏者番兼務のまま3年前に松平伊賀守様に代わり奉行職を拝命されたお方なのだ。
経緯から見て、老中・田沼主殿頭(田沼意次)の息がかかっていることは間違いない。
北町奉行の曲淵甲斐守様も田沼派に違いなく、どうやら町奉行経由以外にも寺社奉行経由で意見を伝える道が開けた感がある。
意見を取りまとめる都合から義兵衛が確認をした。
「すると、結局目付けは商家4人・武家4人で当日の予備は無しですね」
「いや、善四郎さんがやはり予備席は必要ということで、各1席を加えて全部で10席分用意することになった。
『行司10人、目付け10人で丁度良いということになる』と言っていた。八百膳さんとしては、目付け席に向けて10膳分の仕出し膳を準備するそうです。
なので、目付けは10人になると見ておいて欲しい」
ひょっとすると、いや、間違いなくあと2人分の予備がある目付席に誰かをねじ込まれてしまうだろう。
そう思っていると、お婆様が話を切り替えてきた。
「料理比べ興業の話はここまでじゃ。
千次郎、萬屋の先行きについて考えたことがあろう。義兵衛様に聞いてもらうのじゃろう」
「義兵衛様、まだ具体的にどこから手をつければよいかは見えておりませんが、萬屋・主人として薪炭問屋の指導的立場になり、家業を盛り立てていきたい、という思いを確かにしました。薪炭問屋の株仲間が繁栄するよう下支えしていく覚悟を固めています。
そこで、具体的に何から手をつければよいかを考えているのですが、取っ掛かりが思い浮かばないのです。
昨日言われていた『木炭の等級付け』についても、木炭についての知見がある薪炭問屋の専門性を活かして、というところから導き出されたものとは思いますが、これを地道にしたところで株仲間からどう評価されるのかという所が全然見えてこないのです」
確かに、JIS規格のようなものをこの時代に先行して制定し、これに基づいて製品評価するというのは大規模工業的な視点ではありなのかもしれないが、まだまだ手工業の時代では効能が見えてこないというのは理解できるところだ。
そこで、根廻しは済んでいないが考えていたことを持ち出してみることにした。
「それでは、秋口から売り出す練炭作りを地方展開させるというのはどうでしょうか。
実は金程村の工房だけでは生産量に限界があります。どうせ真似されるのであれば、作り方を指導することを条件に萬屋さんへの独占卸契約を結ぶ方向を探るのも手です。金程村へは製造指導料として1個あたり10文程度を渡すという格好で済ますことができれば納得できます。
最初は萬屋さんが買い上げておいて、商売の目処が立ったところで管轄する薪炭問屋で扱ってもらうという方法はどうでしょう。萬屋さんは当初苦労しますが、その分相手の薪炭問屋は楽できて感謝されますよ。
需要喚起されるまでに生産指導するところは、無償で技術提供しますが、以降は利益が確定していますので有償で技術提供するということで、里の工房は納得させます。その意味では、最初の1~2箇所だけ細かく見るという感じです。
具体的には、江戸へ木炭加工品を運搬するのに便利な木炭産地をいくつか選んでおいて頂き、そこを管轄している薪炭問屋さんと懇意にしておくという手があります。幸い、懇意になる格好の材料として料理比べ興業があるではありませんか」
義兵衛は、この冬の総需要を450万個と思っているが、里の工房での生産目標が150万個に過ぎない事を懸念していた。
更に言えば、150万個の生産だけでも工房で達成できるか怪しいのが現状なのだ。
そこで考えていたのが、他の木炭産地への生産委託なのだ。
「例えば、奈良屋・重太郎さんが目を付けたと聞いた総州・印旛郡の佐倉の地というのは大変興味がありますね。
どの薪炭問屋がどの地域を管轄・根拠地として握っているのか、輸送経路はどうなっているのか、どんな炭がどの程度の量あるのかを調べてみてはいかがでしょうか。
別に、1個所でなくても良いのです。複数の所で練炭を作ってもらって、それぞれに萬屋さんが手綱を握っておればよいのです。そこで作られた練炭は、出だしはともかく、売れるようになったら、その産地を管轄する薪炭問屋さんにお任せすれば良いのですよ。萬屋の薪炭蔵を経由させる必要もないのです。
それに、金程村の工房の面々が技術指導すれば、特性や品質は同じようなものが出来、練炭の等級付けはできたようなものです」
この提案に千次郎さんとお婆様は大きく頷いた。
「明日は瓦版が出る日です。どのような突っ込みが出てくるか判りませんので、また午後にでもお邪魔させて頂きます」
挨拶をして萬屋を辞去したあと、義兵衛は瓦版の版元により、景気の良い話を聞く傍ら、明日販売予定の瓦版を1枚入手して屋敷へ戻っていった。
義兵衛はとうとう練炭の生産委託の件を持ち出しました。
いろいろな札を差し出して、さてどういう決着をつけることになるのかは、まだまだ先の話です。




