深川製七輪製造依頼 <C2213>
辰二郎さんに七輪を紹介・説明します。
義兵衛は土間に広げた行李の中から七輪を1個引っ張り出した。
「作ってもらいたいのは、これです」
片手で縁を掴んだ七輪をズズッと辰二郎さんに向けて押し出すと、辰二郎さんは両手で押し頂くように受け取った。
辰二郎さんは、渡された七輪を上に持ち上げたりひっくり返したりと色々な角度で調べている。
「ほほう、これも秋葉大権現様の印が押してありますな。焜炉同様、容易に真似されないための御呪いですな。
底が2段になっていて支柱が出ているのか。波型の模様が見えますな。これはどういった工夫なんでしょうかな。
横に戸蓋がついて開け閉めできる恰好ですか。これを粘土で作られていますが、この細工はやっかいそうですな」
独り言に近い感じで辰二郎さんはブツブツとつぶやいている。
義兵衛は行李からもう一個の七輪を取り出し、土間に置いた。
「これは七輪と言い、この中に練炭という木炭を加工した燃料を入れ火を付けることで暖を採るものです。
火鉢のようなものですが、違いは中に入れる燃料が金程村で作った練炭であれば、普通の大きさのもので4刻は火が保つ所にあります。夕方に火を入れると朝まで火が残っています。
火力の調整は、七輪下側の空気穴を開け閉めすることで行います。空気穴を大きく開ければ、火力は強くなりますが、その分燃え尽きる時間が早まります。反対に閉めれば、火力は弱くなり、火は長持ちします。
普通の大きさ以外に、薄厚練炭というものがあり、1個でだいたい1刻の間燃えますし4個まで重ねて使うことで最大4刻火が保ちます」
義兵衛は、普通練炭と薄厚練炭を行李から取り出し、これを七輪に入れたり出したりしながら説明した。
「このような特徴を持たせるため、練炭の外形と七輪の内径は極めて正確な精度で作っておく必要があります。この2つがピタリと合った時に長時間火が保つのです」
辰二郎さんは、練炭を受け取り、自分が手にしている七輪に入れたり外したりしながら具合を見ている。
「なるほど、ぴたりと収まりますな。練炭が小さかったり、七輪の内径が大きいとその間に隙間ができるのか」
「そうです。火は燃えるものと空気と熱で出来上がっています。この空気を上手く制御することで火の燃える時間を調整しているのです。余計な隙間が出来ると、そこから空気が流れ込み、所定の機能が果たせなくなります。練炭の底の波型も、空気の流れと練炭が重なることを意識して刻んでいるのです」
義兵衛は半紙を借り、七輪の原理・長く火が保たれる理由を図にして説明していく。
「それで、作った七輪の内径が規定の大きさになっているか、道具を使って検査し、合格したものだけを出荷していました。
その検査道具がこちらです。
小さな円柱が練炭の最大径で、これが入らない七輪は失格です。大きな円柱が七輪内径の限界径で、これが入る七輪は失格です
なので、里では粘土の収縮がどの程度になるのかという管理をきちっとして、それ用の型を起こして作っています。それでも、どれも合格する訳ではなく、1~2割ほどが不合格になってしまっています」
「それで、これをどの程度作ろうという魂胆なのでしょう」
「正直に言います。秋口の9月までに5万個、そこから年末までに更に5万個が最初の目論見です」
辰二郎さんは、義兵衛から製造する量を聞いて驚いた表情をし、やがて笑みに変わっていく。
「卓上焜炉の時と同じように、多少形は変わっても良いのかな。大量に作るとなると、それ相応の工夫がいるのでな。原理は判ったので、あとはこちらの工夫であろう。そこを任せてくれるのであれば、こちらとしては嬉しい」
ここで、久々に義兵衛の中にいる竹森氏が使う土について割り込んだ。
「辰二郎さん、ここに持ってきた七輪は、実は製品として完成しているものではありません。金程村近辺では、七輪に適した粘土がなく、止む無く素焼きのものを作っております。
熱を通しにくく、漆喰のようになる土があるはずです。確か、加賀の和島や能登で産出する『地の粉』と呼ばれているもので、江戸では特殊な土です。鋳物を作るときに炉を固める粘土として使っているものです。この土に心当たりはありますか」
そう、珪藻土のことなのだ。
これで七輪が作れるのであれば言うことはない。
「おう、ここは土を捏ねることに関しては江戸一の専門よぉ。見本も入れれば、全国の土が揃っておって、何でもあるぞ。それにしても奥能登の『地の粉』なんてよく知っているなぁ。ちょっと待ってな」
しばらくすると辰二郎さんは、まだ捏ねていない土と、それで作った火皿の小片を持って現れた。
「この土で火皿を作ると、多少脆いが火には強い軽い皿ができる。それで、何かい、この土で七輪を作れというのか。
遠方から土を取り寄せることになるので、普通の粘土より多少値が張ることになる。漆喰と混ぜて調節はできるのだがな。
まあ、1個作るのにどれだけの土を使うのかが判らんとなんとも言えんが、材料の量から見て300文位かなあ」
義兵衛は小片を受け取り、仔細に調べる。
竹森氏の知識と照合して、元いた世界の七輪とだいたい同じ感じであることを確認した。
材料で1個300文なら、工賃込みで400文で作ってもらい、50文を秋葉神社に支払い、700文で卸し、1000文で小売りするという図式が想定できる。
材料の原価率が30%なら普通に商売になりそうだ。
椿井家で250文の中間マージンを取り、商家は300文の利益を得ることができる。
「この土で間違いありません。流石、辰二郎さんの工房は江戸一と自慢されるだけのことはあります。
要は、この練炭を燃やした時に外側が熱くなりすぎなければ良いのです。厚さはどれくらいが良いかは見極めてもらうことになりますが、畳の上で七輪を使って載せた畳が焦げないくらい、紙縒りを側面につけて燃え出さないくらい、といった塩梅です。
この土を使えば、この七輪より多少薄く作っても同じ感じになるのでしょうね。
それと、普通練炭・薄厚練炭は暖を取るための道具ですが、それとは別に強火力練炭というものも持ってきています。寸法は普通練炭の半分ですが、重さは薄厚練炭と同じです。ただ、燃え尽きる時間が6分の1刻(=20分程度)と短く、その分沢山の熱を一気に出します。用途は調理用です。
里ではこの熱を凌げる七輪を作ることができなかったので、外殻という外枠を作っていますが、もし可能であれば、強火力練炭でも耐えることができる七輪を生み出せれば助かります。
今回持ち込んだ七輪・練炭・検査道具は、そのままお渡ししますので、とりあえず見本を数個作ってみて頂けないでしょうか。
このような無理なお願いが出来るのは、江戸広しと言えども、ここだけなのです」
辰二郎さんは、我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。
「その通り。これはなかなか面白いものを持ち込んでくれたじゃないか。まあ、任してくれ。そうさな、料理比べ興業の後にはできるだろう。
ああ、前金はまだ要らんぞ。本格的に作るとなった時に、お願いするからな。
そんなことより、何やら腕が疼いてくる。もう、じっとしておれん。
後、秋葉神社の刻印は、焜炉の時みたいに見本ができてから義兵衛さんが神社と交渉する、ということで良いよな。今もらったやつを参考にして、見本にも刻印を刻んでみよう。
見本で了解が先で、量産はその後だぜ。
しかし、9月までに5万個とは大きく出たじゃないか。ええい、この工房ごと全部持っていかんかい」
どうやら職人魂に火がついたようだ。
9月までにこの工房に5000両、年末までに更に5000両で、合計1万両の売り上げなのだから、工房の経営者としても燃えないはずはない。
ならば、ここは任せて良いと判断し、料理比べ興業の片がつくであろう10日後にまた来ることを言って暇乞いしたのだった。
千個つくって100両渡すという形態を想定しています。売れるようになるまで椿井家の資金はショートし、そのうちに辰二郎さんへの借金で苦しい状態になります。
高い珪藻土を使わなければもっと安価にできるのでしょうが、そこはこだわってしまった義兵衛です。
深川での用を終え、萬屋に戻ると...... 次話です。




