萬屋に届いた七輪製作道具 <C2212>
金程村の工房から念願の七輪製作道具と見本が届いていたのでした。
いつものように萬屋の暖簾をくぐると、大番頭の忠吉さんが出迎えてくれた。
「これは、これは、義兵衛様。折角御出で頂きましたが、実は朝から主人・千次郎は八百膳さんの所と浅草・幸龍寺へ行っております。なんでも、興業のことで昨日変更した内容を寺社奉行様にご説明申し上げる必要があるとのことでございます。
それから、お婆様は、例の飢餓対策として御救い米を納める蔵のことで、本町に居を構えていらっしゃる町年寄・樽屋藤左衛門様とのお話ができるようになった、ということで、こちらも朝から出かけております。
お婆様は、以前は内に籠って鬱々としておりましたが、このような御役目を与えられてから店の者に当たることもなくなり、急に若返ったようです。最近のお婆様の張り切りようは、見ていて怖い位ですよ。以前愚痴を申しましたが、可愛いお孫さんに当たって泣かせていた時のことが嘘のようです。
こういった変わり様も、全て義兵衛様がいらしたおかげでございます。誠にありがとうございました」
折角来たのだが、皆それぞれの役目・役割に邁進していてどうやら何もすることがないようだ。
「ところで、今朝ほど登戸から小炭団の最終便が届きました。これで契約通り、小炭団150万個全部が納められました。内50万個の卸値は本当に1個3文で良いのでしょうか。萬屋は相変わらず8文で小売りしておりますよ。みすみす375両を諦めるなんてことは、普通の商人にそうそうできるものではありません。
今、焜炉も小炭団の売れ行きも順調で、焜炉はそろそろ深川に1000個ほど追加注文したほうが良さそうです。小炭団は残り70万個を切り、ワシから言うのも何ですが、小炭団の類似品が出回らないと夏前には品薄になりそうです。この分では、主人・千次郎が申したように、無理に値下げすることもなさそうですな。
それはそうと、今朝の登戸からの最終便の荷の中に『宮田助太郎様から義兵衛様向け』ということで柳行李が入っておりました。茶の間に運んでおりますが、中は何で御座いましょう」
どうやら、工房で頼んだ七輪製造にかかわる一式が届いたようだ。
茶の間に行き、行李の蓋を開け確認する。
中を見ると、整然と並べられており、多少の振動では壊れたり崩れたりしないよう、要所を抑えて固定・保護してある。
このきっちり感からすると、荷をまとめたのはきっと米さんに違いない。
「忠吉さん、受け取って頂きありがとうございました。この中にあるのは、江戸で七輪を作るために必要な道具です。七輪がどんなものかわかってもらうために、道具以外にも色々入れてもらっています」
七輪と外殻の見本品がそれぞれ2個、普通練炭、薄厚練炭、強火力練炭が数個、練炭と接する部分に打つ波型、製造した七輪を検査する道具一式である。
流石に助太郎は江戸で作るために必要となるものを見抜いている。
忠吉さんは検査道具以外の製品は目にしたことがあるので驚きはしないが、行李の中に判りやすく並べられてきちんと収まっている様子にしきりに感心していた。
「これはまた、綺麗に並べておりますな。よほどきちんとした方が手配したとみられます。お道具をこのように扱われる方の性格が伝わってきます」
「里には私を支えてくれる優秀な人が結構居るのですよ。
丁度良い機会なので、これからこの行李を持って深川の辰二郎さんの所へ行ってきます。用が済むのは夕刻になるとは思いますが、終わり次第こちらへ一度戻って参ります。千次郎さんにはよろしくお伝えください」
それから義兵衛は行李を担いで深川へ向かった。
「もうし、辰二郎さん。ご無沙汰しております。義兵衛が参りました」
何度か来たことがある深川の工房の入り口から、こちらに背中を向けている職人達の列に声を掛けると、その中から一所懸命に土を捏ねていた辰二郎さんが振り向きながら立ち上がった。
「おや、これは義兵衛さんではございませんか。今日はどのような御用でしょうか」
「はい、実はこちらで作って頂きたいものがあり、相談に伺いました」
「ここでは何ですから、ちょっとお待ちください」
そのまま工房の奥にある家の土間に通され、上り框で座っているように言われた。
土間ではあるが、戸口は大きく開いており、上り框の上の座敷は広縁に面して外から眩しいくらいに光が入り込んでいて屋外と変わらない位明るく、置かれているものが良く見える。
土間に直に行李を置き、行李の蓋を開けていると、汚れた手を洗い終えた辰二郎さんが土間へ入りながら話しかけてきた。
「義兵衛さん、先月の卓上焜炉でこの工房は大儲けさせて頂きましたよ。この工房始まって以来の大仕事でしたが、実に愉快でした。別なところで仕出し膳用の上品な卓上焜炉を作っている兄も、この工房の利益に驚いていましたよ。
おまけに、萬屋さんは現金で支払ってくれるので、職人への手当もはずめました。
そして、出来上がった卓上焜炉は、江戸市中で評判の料亭で目にすることができましょう。職人はちょっとしたいたずらをしていて、製造記号のところに自分が作ったという印を紛れこませておったのですよ。それで、料亭で自分が作った卓上焜炉に出会うとそれはもう嬉しいようで、仲間内に自慢して回るのです。
ああ、印といっても製造した記号の数字に若干の癖を紛れこませただけで、よそ目には判らないようになっていますので、心配はご無用です。ワシらも沢山作っているから違いが判るだけで、よ~く見比べればそれと識別できる感じでご迷惑かけるようなもんじゃありません。
なもんで、萬屋さんからの追加製造の発注はまだないのですが、職人達が面白がって勝手に作った物が倉庫にもう2千個ほども積みあがっていて、出番を待っておりますよ。義兵衛さんのお力で、こいつらを世に出してやってもらえませんかね」
自分が作ったものが江戸市中で持て囃されているのだ。
おまけに、頑張れば頑張るだけ賃金もいい。
この状態では、確かに職人達の意気が上がるのも無理はない。
「もうすぐ萬屋さんから発注があるはずです。きっと近日中に世に出ていくことになりますよ。
それよりも、これから秋に向けて作ってもらいたいものがあるのです。是非、相談に乗ってください」
辰二郎さんは顔をクシャクシャにして喜んでいるのが伝わってくる。
「これは嬉しい相談ですな。聞く前から、腕がうずうずしておりますよ」
これから無茶を言う積もりなのだが、辰二郎さんのこの発言には大層勇気付けられた。
腕利き職人の辰二郎さん、再登場です。




