御殿様へ料理比べ目付け役の報告 <C2207>
報告し忘れていた件はサブタイトルの通りです。
一切の借金が清算されたことを聞き、秋口からの売り上げで収入面での苦労から開放され深く安堵の呈を示している御殿様に、まだ報告していない案件があることに義兵衛は気づいた。
それは、細山村のお館で言い付かった『料理比べで、内輪の事情がこちらに流れてくるようにして欲しい』という御殿様の要望なのだ。
ある意味『行司役をさせろ』というニュアンスであったが、目付け席を用意したことで済ませられると考えていたのである。
「もうひとつ、御殿様にはご報告がございます。
それは、20日に幸龍寺で開催される料理比べの興行のことでございます。
行司役では御座いませんが、興業が行われる幸龍寺の客殿の横に、武家用と商家用の招待席をそれぞれ数席用意することが出来ました。御殿様には武家用の席の一つに座って頂くよう、勧進元の裏方と交渉しております。最終的に武家側の目付け席は町奉行・曲淵様が決めることとなっておりますが、側近の方に要望を伝えておりますので、まず大丈夫かと思います」
今、江戸市中で専らの噂となっている料理比べ興業の報告と聞いて、御殿様の意識が戻ってきた。
「それで、行司役が果たす役と、目付けの果たす役を教えてもらいたい」
今まで出た瓦版には要約すると『3店の料亭から料理番付の順位に異議申し立てがあったため、9店の料亭から仕出し料理を取り寄せて10人の行司役が料理の順位を付け、場合により料理番付の訂正も行う』程度のことしか書かれていないのだ。
行司役がどの程度大変なのかは、2日後の瓦版に記載されるのだが、ここで御殿様にルールを説明しても問題は無かろう。
「詳細は、2日後に売り出される瓦版に載ることになりますが、関係者として知っておくべきですので、ご説明致します」
・進行役は、各行司毎に9つの仕出し膳を出すが、どの膳がどの料亭のものか外目には判断できないようにし、「い」~「り」の文字で膳を示す。
・どの膳の料理も、料理を盛る器は勧進元の八百膳が提供したものを使用するため、器から料亭は推測できないようにする。
・行司役は9つの仕出し膳の料理を味見し、それぞれについて、良い所・悪い所を書き出す。
・9つの仕出し膳に1位から9位までの順位を付け、その理由を、例えば2位と3位の差は何か、を書き出す。
・順位付けが終了した行司役は、各料亭の使用する本来料理を盛ったであろう器だけを載せた膳「壱」~「九」を見ることができ、対応する料理と器の対応を全部書き出す(例:「に」「参」が対)。不明なら空欄で良い。
・進行役はこの書き出された結果を集計し、都度観客に公表するが、行司名と結果の因果関係については公表しない。
なお、この関係を知るのは行司本人と集計を行う裏方、それに目付けだけである。
・目付けは、行司が互いに会話しないように、書き出したものを覗き見しないように監視する。
・目付けは、公表する結果内容が妥当かを合議して判断し、不具合があれば削除する。
「今の所私が知っているのはこういった所までです」
この説明を聞いて御殿様は大層驚いている。
ここまで高度な判断を要求される興業とは思わなかったに違いない。
「これでは、まるで目隠しして料亭を当てさせるようなものではないか。余程舌が肥えているものでないと、勤まらないのではないかな。行司役は随分美味い思いができると考えていたが、うっかりすると大恥を掻くところであった。
あのように希望を申し付けたが、ほんに目付けでよかった。いや、目付けですら外れれば、それはそれで安心できそうじゃ。
しかし、ようそのような興業を仕掛けることができたのう。進行役こそ大役ではないか。義兵衛はこの興業にどの程度かかわっておるのじゃ」
「勧進元の八百膳・善四郎さんと、奉行所同心・戸塚様には、仕切りを手伝うように言われており、今更抜け出せない状況です。行司役の予定だった萬屋・千次郎さんは、その役を薪炭問屋の奈良屋主人・重太郎さんに譲り、自身は進行役を勤めることとなりました。私は全体を見渡して危ないところを支える補佐や、結果を集計するような働きを期待されているようです。
もっとも、こういった裏方なので、いろいろな事情を仕入れることができます」
「それで、目付けとして判っておらねばならぬことは、どのようなことじゃ」
「はい、主に料理の味を現す言葉です。
五味という言葉はご存知だと思いますが、これに加え、硬さ・柔らかさ、歯ごたえと弾力、唾液への溶け具合と喉への引き込み具合、鼻から嗅ぐ香りと喉奥から鼻へ回り込む匂い、舌触り、暖かさと冷たさ、といった味以外の要素も重なった表現を知っておく必要があります。
美味いのは当たり前という中で、上下を付けるのですから、行司役はかなり難しい判断を迫られるでしょう。二度と行司はしたくない、と思う方も出るのではないかと思っています。反面、これほど食に厳しい判断を要求されますので、正解された方は多くの誉れを得るに違いありません。
同じ素材の料理があれば、比較はまだ容易ですが、素材が違う、味が違う料理で、どちらが美味いかを判断してその理由の説明が要るのですから、本当に難しいでしょう。そして、目付けはその難解な言葉を皆に判るように裏方が集約した表現を校正してもらう必要があります。
行司の方の批評は裏方が作業してまとめますが、その内容について最終的に責任を持つのは協議した目付け役となります。なので、食に対する様々な言い回しを確認しておいて頂ければと愚考する次第です」
御殿様の横に座る若君が声を上げた。
「義兵衛は、なぜそのような食のことを判っておるのでしょうか。村の寺子屋では、料理のことなぞ、全く話にも上ってはおりませんでした。
萬屋で修行したのは、財務を見るための経理を学びに行っただけと聞いております。江戸では、料理を修業するような時間はなかったはずですし……」
不思議そうな顔で義兵衛の顔をじっと見つめると、ポツリと言った。
「そうか、登戸村の加登屋さんですね。凄腕の助っ人と評判になっていた、あの料理人からなのですね。
自分もそういう料理人の作ったものを色々食べてみたいです。
お父上様、またあの時のように美味しい料理を母上と一緒に食べたいものです」
若君らしい素直な感情の発露ではあるが、裕福になると枠一杯贅沢に使ってしまうタイプと見える。
御殿様に命じられれば、それを叶えるべく努力するしかないが、今はそのような所に裂く時間が無い状況なので、ここは押さえ込んで欲しい。
そう思っていると、御殿様が執り成してくれた。
「そう無茶を言うではない。加登屋はもう江戸から登戸村へ戻っておるので、早々呼ぶ訳にも行かぬのじゃ。ここは機会が来るまで辛抱せい。義兵衛が困っておるのが判らんか。
紳一郎も渋い顔をしておるじゃろう。将来に向けて今が一番大切な時なのじゃ。我が身だけ良い思いをするというのは椿井家ではご法度じゃ。それが判らんようでは、当主は務まらんぞ」
流石に父・御殿様からこのように諭されては、それ以上抗弁することの無意味さを知っているのか、表向き要求は引っ込めた。
「今回の御進講はここまでにしたいと存知ます。料理比べの興業について変化があり次第、義兵衛から追加報告させますので、よろしくお願い申し上げます」
御殿様と若君が座敷から退席したが、若君の要望を叶えることができないということに内心痛みを覚えた義兵衛だった。
料理比べの行司が何をするのかを本話で明らかにしました。
料理の優劣判定だけでなく、相応しい器の判断まで要求される高度な代物です。料亭の主人達7名は、さすがに味覚のプロなのである程度正解は期待できますが、そうでない行司3名は結構苦戦を強いられます。まあ、その頓珍漢振りが瓦版としては受けると踏んでいるのですが。
次話は、このあと萬屋に出向いた義兵衛を囲んで...... です。




