御殿様へ借金完済の報告 <C2206>
お屋敷の戻った翌日、借金の首尾を方向するのでした。
夕刻に御屋敷に帰りつくと、義兵衛は六間堀町の井筒屋の持つ借金の証文を全部持ち帰ったこと、さらに使用しなかった10両の返却を行い、一連の首尾を養父・紳一郎様へ報告した。
更に、萬屋にある売掛金の年末残高を圧縮するため、売掛金のおおよそ半分になる残りの800両程度は現金でお屋敷へ順次小分けして持ち帰ること、秋口から始まる七輪・練炭の販売で得られる5万両の売掛金は萬屋で運用しその上がりを椿井家・知行地の収入とする方針、七輪の制作にかかる費用は持ち帰る現金の一部と萬屋の売掛金を使いたいことなどを説明した。
「でかしたぞ。流石に義兵衛じゃ。明日午前中のお殿様への御進講の折、お前からこのことを直接申し上げるが良い」
積年の借金生活から抜け出したことからなのか、満面の笑みを浮かべながら義兵衛を褒めちぎる紳一郎様であった。
■安永7年(1778年)5月13日(太陽暦6月7日)
御進講を行う座敷で、御殿様と若君様を迎えた。
「今回は椿井家の財務状況と将来の見通しについて、吉報がございます。昨日、ここに控えおります義兵衛が六間堀町の井筒屋から借り入れていた財を全て清算できた旨の報告を受けました。持ち帰った証文を確認し、井筒屋および井筒屋経由の借財残はございません。また、秋口からの七輪・練炭販売で得るであろう売掛金についても、その見通しをここで義兵衛から報告させて頂きます」
御殿様は、挨拶に加えて行われた紳一郎様からの話だけで、もう上機嫌になっている。
いつも引き締めの小言しか言わない紳一郎様が、珍しく懐に優しい雰囲気なのだ。
紳一郎様の合図に従い、義兵衛は話を始めた。
「それでは、私から井筒屋での借財返済の顛末と、萬屋での七輪・練炭売掛金処置案について御報告します」
義兵衛は、まず200両あった借財を約185両で早期清算し利息分15両を浮かせたことを説明した。
「義兵衛、良い働きをしてくれた。これで、年末に年貢米を売って得る現金の取り分は、今までの通りであれば40両ではなく倍の80両に増えよう。
そうであれば、紳一郎よ、いつも必要として使っている買掛分も年100両が上限とは言わず、もう少し、そうさな20両ほど増やしても良さそうじゃな」
御殿様は普段から紳一郎様の諫言に耳タコになっているのか、家の財政に関する基本的な金額がポンポンと飛び出してきた。
貧乏旗本なので、借財による締め付けのキツさを御殿様も心配していたことがよく判る言葉なのだ。
言わないが『それだけあれば、欲しいものがある。買いたい』という声が全身から発信されている。
「いえ、御殿様。ここで気を緩めてはなりませんぞ。このような状況になっても、普段と同様に質素を旨とし倹約を心掛けねばなりません。商家からの借財はとりあえずこれで済ましたが、親戚・縁者からの借財はまだ結構ございます。そういったものを一掃してから考えるべきことですぞ」
御殿様のお気楽な発言に、紳一郎様が間髪入れず諫言する。
しかし、秋口の売り上げ分の見込みを聞いたら、この諫言はどうなることかと考えてしまう。
だが、横に座る紳一郎様は苦い顔をしながら、続けて報告せよ、とばかりに突いてくる。
「続けて申し上げます。
今年の年貢米は井筒屋へ売らず、全て籾米のままお館の蔵へ御収めください。普段の買掛金は、萬屋の売掛金を使って井筒屋で相殺します。
また、井筒屋へは里近辺の村で差札する年貢米について、飢饉対策として籾米で500石ばかり買い上げたい旨を依頼しております。里では米蔵も急ぎ建てておりましょう。また、秋口から売り出す七輪製造にも手当てが入用です。そのため、今年は財政として余り余裕があるとは言えないことをご承知ください。
しかし、ここで辛抱すると、秋口から販売する七輪・練炭分がありますので、これが当たれば御懸念されるような状態にはならない見込みです」
義兵衛は、秋口からの売掛見込みの5万両を確実にするため、萬屋と協議を始めていることをまず話した。
その上で、得られた5万両について全体で5分の利息を取る運用を萬屋へ委託すること、そこから年4分の割合で引き出すことで理論上はずっと年2000両の収入が見込めるということを語っていく。
年貢米のように天候不順・天災を気にせず、政治・経済が安定していれば、未来永劫その通りになるとまで説明した。ただ、インフレのことは説明も難しいので、これは伏せている。
ことの仕組みの説明が進むにつれ、御殿様の顔色が真っ赤に上気していくのがチラッと見えた。
横に座っている紳一郎様も、昨夕話を聞いていたばずなのだが、気持ちが高ぶってきているのが伝わってきた。
「義兵衛、つまりは、商家の上前を撥ねるという方策なのじゃな。しかも、元は減らん。ということは、今年以降ずっと頭を下げて金を借り挙句に利息を払うというのではなく、商家から2000両を取り立て続けるということじゃの。
これは愉快な話ではないか。いつも下げている頭を下げずに済み、しかも逆の立場になれるとは。
それで、旗本としては500石じゃが実入りは実質4000石相当か。
でかしたぞ。流石に義兵衛じゃ」
今まで聞いたことも無い様な大きな声で御殿様が吼えた。
そして、どこかで聞いたような褒め言葉を賜ったのだ。
この瞬間、椿井家は米経済から金経済に切り替わったのだと思いたい。
すかさず、紳一郎様が口を挟む。
「しかし、この毎年の2000両は、全てが御殿様のもの、椿井家だけのものではございません。里の農民全ての知恵と努力の賜物でございますぞ。
義兵衛のような知恵者が出るのも、助太郎のような実技に長けた者が居るのも、幼少より皆寺子屋教育をすべしという先代の方針が実を付けたものです。
『村人が飢えないようにすべし』といった神託の後押しがあってこそのことで御座いますぞ。
今回のようなことは度々(たびたび)あるものではなく、得られた金の使い道ということでは神様に試されておることを夢々お忘れなきように願います」
浮かれている御殿様に、見事に釘を刺したが、御殿様は抗弁した。
「うむ、それはよう判っておる。充分判っておる。
だがしかし、今はしばしこの吉報に酔わせてくれ」
御殿様の言葉に、紳一郎様もグッと言葉に詰まり、進講を行っている座敷には、沈黙が広がった。
御殿様の横に座る若君は、目を潤ませている父・御殿様を不思議そうに見ている。
たった11歳でしかない若君には、椿井家が抱えていた借金地獄の恐さの実感は、まだ無いのだろう。
だが、義兵衛はこの若様に仕え盛り立てていく使命があるのだ。
そう考えているうちに、まだ報告していないビッグイベントがあることを思い出したのだ。
借金のことと、七輪・練炭の儲けをどうしようとしているのかを説明しましたが、まだ報告し忘れていることがあります。それが次話となります。
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