料理比べ開催前の事情 <C2198>
七輪・練炭の販売方針の説明を求められても、迂闊に返事が出来ない千次郎さんです。
義兵衛から『秋口の七輪・練炭についてどうするのかの方針の説明がないと策の立てようもない』と言われ、言葉に詰まる千次郎さんがいた。
代わってお婆様が口を開く。
「義兵衛様、このボンクラはどうやらそこまで頭が回っておらんようじゃ。ただ、卓上焜炉と小炭団の時と同じように考えておったのだと思う。何からどう考えればよいのか、何か取っ掛かりになるようなことがあれば、私も含めてこのボンクラ達にも判るように説明してもらえんじゃろうか」
あれあれ、お婆様もですか。ならばしょうがありません。
「ではまず、卓上焜炉と七輪を売り込む所の差から考えましょう。
卓上焜炉を購入したのは料亭です。そして、小炭団が売れたのは、卓上焜炉を購入した料亭です。
料亭は今まで卓上焜炉を使う料理を作っていなかったので、新しい商品を手に入れて販売したからと言って、他の木炭問屋の売り上げにはあまり影響を及ぼしません。なので、寄り合いでは『夏場でも売れる木炭商売に上手いこと目をつけた』という感じで褒めるようなことも起きたのだと思います。
ところが、冬に暖を取るため七輪を入れると、それまで使っていた火鉢や囲炉裏、そこで消費する普通の薪や木炭の需要に諸に影響します。
つまり、七輪・練炭が売れれば売れるほど、普通の暖房用の薪や木炭は市場を侵食され、普通の薪炭問屋は売り上げを落とすことになります。そういった商家は、七輪・練炭で大儲けする萬屋を見て、良くて『こん畜生め』と思うか、うっかりすると足元をすくうようなことを平気でするでしょう。
七輪を他の木炭問屋で扱えるようになれば、あとは独占卸契約で縛られる練炭だけです。
練炭を売るのを萬屋だけとせず、薪炭問屋全体にすれば避けることも可能でしょうが、それはまた別な方向なので、ちょっと置いておき、別な機会に説明しましょう。
今の状況で、今秋に同業者から妬まれないようにするためには、直ぐにでも対策を打つ必要があります」
ここで一息入れてぐるりと見渡すと、皆『ほれ、その先は』といった顔で義兵衛を見つめている。
『おいおい、ちょっとは自分達で考えないとまずいのじゃないかな』と思ったが、しょうがない。
「それは、かなり遠回りになるように思えるかもしれませんが、薪炭問屋の株仲間の中で敵対されないような地位の確立です。そして同時に、町奉行所との繋がりを強固にすることです。要は木炭商家としての地位の確立です。
幸い、料理比べという格好の材料がありますので、これを上手く使って今の立場の改善を図ることができます。
七輪・練炭の販売準備のために、その前哨戦としてまず問屋間で足元を固めてはどうでしょうか。
料理比べについて、八百膳さんとの話はどこまで進んでおりますか」
最初に来た時点で忠吉さんから少し話は聞いているが、正確な所は千次郎さんに聞くに限る。
「はい、忠吉と同じ話の繰り返しになりますが、48料亭による料亭番付けの瓦版を出したところ、3軒の料亭から異議申し立てがあり、前後の順位の料亭を入れた9軒の料亭での料理比べを行う段取りを進めております。そのことで、今日にも八百膳さんがお見えになることと思いますよ。
9日ほど先になりますが、5月20日に浅草・幸龍寺の客殿を借り、この興行を行う予定です。
対象の9料亭からそれぞれ10膳を取り寄せます。全部で90膳を並べます。
行司は、北町奉行・曲淵甲斐守様、八百膳主人・善四郎様、番付け東西の大関・関脇・小結の3役の計6料亭の主人、日本橋瓦版版元主人、それに私の10人を予定しています。一人9膳の料理を食べ比べして順位を付け、評と一緒にまとめて順位を瓦版に仕立てます。
この興行は江戸市中の方に見せる予定で、観客も先着100人について木戸銭をとって幸龍寺の客殿の回り廊下に入れ、そこから様子を見せることを考えています。
こういった段取りを細かく載せた瓦版も準備中で、明々後日の14日に出す予定となっています。
番付の異議経緯と料理比べをすることを載せた瓦版も結構枚数が出たようですから、かなりの評判となるのは必定です。
瓦版を見た人は、20日の朝、怒涛の如く幸龍寺詣でをするでしょうな。
木戸銭は各人100文で、計2両半で座の収益になりますが、興行として単発で見ると今回は全くの赤字ですよ」
忠吉さんより多少詳しくはなり、日付や観客を入れることが聞けたのはよかった。
「ではまず、千次郎さんは行司から外れ、株仲間の旦那衆の中で後ろ盾になって貰える方に行司を代わってもらうようにして下さい。
この企ての行司役は成りたがる方が多いと聞いており、旦那衆に譲ることで、まず恩義を売ることができます。
それから、千次郎さんは、この興行の裏方で進行や目配りなど差配することで、特に御奉行様の覚えをよくして頂くことを考えてください。また、興行が終わった後で、御奉行様と旦那衆へお礼報告をきちんと行うことが重要です。
そして、こういった仕切りがちゃんと出来る人物、という評価を得るようにしてください。」
ここで、お婆様が口を挟んだ。
「言われてみればその通りじゃが、千次郎はこのことに気づいておったか。
義兵衛様は、この興行を通じてお前という人を要人に売り込め、そしてそれを後ろ盾に商家としての地位を固めよ、とこう仰っておるのじゃ。
確かに、華やかな出番は、もっと後で実力をつけてからじゃ。うっかり御輿に乗ってしまうところであったわ」
「それで、この興行の裏方として動かせるのであれば、観客の扱いについても案があります。
一般の興行見学者100人はともかくとして、客殿内に御武家様と商家の招待席を設けてください。客殿内の席は今回は無償で良いです。この招待席に招待されるという栄誉を産み出すことと、招待される方を選ぶ権利を発起人として確保することに留意してください。
初めての興行ですから、各々2~3人程度で良いです。料理通との評判を持つ方にお出で頂ければ大変良いですが、そこまでは望まなくてもよいでしょう。
この招待の方には、お目付けという立場・名目で参加頂ければよいのです。
こうやって、地道なようですが秋口までに何度か行われる興行で実績を積み、御武家様と主要な商家との繋がりを作っていくのです。
八百膳さんと細かい点を打ち合わせされてはどうでしょう。あと、14日に出る瓦版も変更が必要ですね。
裏方として動くからには、結構細かい点も詰めておく必要があるのです。八百膳に裏方を丸投げしていては、長い目で見て良い評価は得られませんよ」
千次郎さんは唸った。
多分『仕出し料亭の座を立ち上げるときにした苦労が、また降りかかってくる』と感じたに違いない。
しかし、この苦労が海千山千の人物を作るのだ。
「しかし、20日の開催で、今日は11日。八百膳さんが勧進元なので、あまり口を出さずにいたのだが……」
千次郎さんが弱気の発言をし始めた刹那、お婆様が大声で一喝した。
「これ、弱音を吐くではない!千次郎。ここが踏ん張り所ではないか。準備で動ける日が、あと8日もある。
義兵衛様が道を教えて下されたではないか。お前にも見通せたであろう。今こそ萬の心得を思い出すのじゃ。もうじき、八百膳さんがこられよう。さすれば、話をすれば良いではないか。
義兵衛様、お手数をおかけしますが、八百膳さんとの話にも加わって頂けますでしょうな」
お婆様の大声が店の中に響いたのか、表の店棚もシンと静まりかえった。
この迫力に、義兵衛も頷くしかなかった。
「こんにちは~。八百膳の善四郎でございます。皆様居られますか~」
大きな声で挨拶をしながら善四郎さんが奥へ入ってきた。
「なにやら店の雰囲気がいつもと違いましたぞ。なんぞありましたかな。
おやおや、義兵衛さんが居られるではないですか。これは、これは。
ははぁ、そのせいで店の雰囲気が違ったか。なるほどのぉ」
回りの雰囲気を変えながら、実は盛大な勘違いをしていた善四郎さんであった。
楽が出来ると踏んでいた料理比べの企画でも重荷を背負わされることになると千次郎さんは膨れているのです。そこへ八百膳の善四郎さんが乱入してきて、というのが次話です。
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