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御殿様のいない所で <C2191>

これで多分最後の竹森・阿部の夕べとなります。

 その夜、三度みたび目の阿部・竹森密談となった。

 御殿様と甲三郎様はまだ話し合いを続けているようだが、多分、爺はお殿様の所ではなく、こちらに張り付いているに違いない。


「それで、田沼意次様の権勢が劣勢になった始まりだが、老中首座の松平武元様(松平右近将監、陸奥棚倉藩藩主)が亡くなったことと関係していると見ているのだが、阿部あべみは松平武元様のことを知っていれば教えてくれないか」


 俺は江戸・萬屋のお婆様から聞いた知識、多分田沼意次様の批判派に睨みを効かせていたであろう重鎮について、阿部が知っているであろう情報を求めた。

 それは田沼政権があっけなく倒れ、後世に悪声を残したことと関係しているに違いないと踏んでいたからだ。

 丁度、豊臣政権が秀吉の看板で成り立っていた裏側で、異父兄弟の秀長が支えていたのは有名な話で、秀長が亡くなってから秀吉の暴走が始まり、政権への離反が始まったということにも符合すると考えてみたのだ。

 果たして、富美さんの口を借りて阿部は語り始めた。


「それな、武元たけもと、……。安永8年(1779年)7月に亡くなった老中のこと、かなぁ。先代の将軍・家重の頃からの老中でしょう。今年で32年も幕府最高責任者の老中をやっている訳だし、最古参という点を踏まえてもこの人が今の政策を支持していなければ、田沼政権は持つはずがないわ。その人が来年亡くなる、ということか。

 あれ、来年は史実通りとすると、結構厳しくない?

 将軍嫡男家基、2月。老中松平武元、7月。後桃園天皇、10月。これだけ凶事が続くと、影響も大きいよね」


『こいつは歩くWikipediaかい。便利なことこの上ない。ピンポイントで質問できれば、結構使えるじゃないか』


「そうだな、こうなってくると、反田沼派をまとめて上手く押さえる実力がある人物を幕閣内に取り込んで、政策を継続させることが重要だよな」


「それ、ちょっと、ちゃう。賄賂まみれの政治を辞めさせるのが先。賄賂や縁故で不正がまかり通るなんていう政権は潰れて当然。だから、早く松平定信が中央に近い田安家を継ぐことに同意したのよ。結果として労を取ってくれたお礼としての金品を贈るところまでは、ギリギリ許容するけど、事前に結果を当て込んで金品を贈与するのは、真っ当に努力する人を否定する行為だから絶対禁止すべきなのよ」


 相変わらず理想論をふりかざす阿部にいささか閉口してしまう。

 では、田沼政治以外の代替案があるかというと、それがなく、後世の評価だけで見ているのだ。

 ここで一生懸命否定しても話が先へ進まない。

 俺の狙いは、重商政策を継続させるための種を阿部の中にどれだけ植え付けておくか、甲三郎様のためにどれだけ整理した情報を揃えておくか、なのだ。

『こういった作業の成果が、隣に居るかどうか不明な爺の耳目を通して甲三郎様に伝わっていれば良いのだが』

 そう思いながら、阿部に話をする。


「阿部がそういう意見であることは判っているが、まあちょっと置いといてほしい。

 重商政策の要は、やはり幕府の財政面とみている。幕府自体の年貢収入は170万石と聞いている。それで、重要なのがこれを締めている勘定奉行、平成の世でいう財務省局長だが、石谷備後守清昌・安藤弾正少弼惟要・桑原能登守盛員という3人に何か記憶はないか。江戸・萬屋のお婆様から名前なんか教えてもらったのだが、田沼意次様の裏で何か功績をあげてやしないかと思ってな」


「いや、まったく覚えがない。初耳だよ。むしろ、田沼意次は、町民・農民を問わず怪しげな人を集めて経済政策を推進していたという噂があったよ。色々な重しが取れた時期になって、そういった胡散臭い連中の場当たり的な施策をどんどん打ち出すものだから、幕府財政面の失敗が相次ぎ自滅したという面もあるのかも知れないわよ」


 なるほど、変な見方かも知れないが、どこか見どころがありげな人物や何某かの意見がある人材は、田沼意次様の目にさえ留まれば取り立ててくれる可能性がある、という風にも採れる。

 どうやら、甲三郎様はこういった話をどこかで仕入れており、それに沿った動きをしているようだ。

 ならば、この件については言うことはなさそうだ。


「それよりな、竹森たけーはまだこの世では作られていない練炭や炭団を持ち込んだんだよな。その結果、例えばもう歴史が上塗りされていて家基様が落馬するという事象が無くなったりはせんのかな。あと、番付ごっことか、化政文化として流行ったものを安永・天明で流行らせるのだろう。これも歴史改変だろ。来年起きる出来事がどれ位変わるのかで、改変具合を見てもいいのじゃないかな」


 阿部なりに歴史を改変することの影響ということを考えてみたに違いない。


「それは、俺なりに考えてみた。実は俺がこの時代に来てから明日で丁度90日目になる。結構忙しい日々が続いたのは、この時代に馴染むようにしたと話をしているだろう。それで若干の影響はあったとは思うが、幕府の政治には一切干渉していない。一番大きいところで、お殿様からの話にあった江戸城の控え間でささやかれた噂程度で、俺達が習った歴史が今の時点でまだ大きく振れていないと考えている。

 もっとも、炭団や練炭という道具や教えた料理での改変の影響は、日が経つにつれて大きくなって、どこかで歪みが出るかも知れない。例えば、炭団の発明者と言われている塩原太助は1790年代にこの炭団を売って大儲けしているのだ。俺はそれを10年先取りして世に出したことで、塩原太助の立身出世の芽を摘んだことになる。

 なので影響が出るのは10年後と安易に考えている」


「それ、ちゃうよ。10年早く炭団が世に出たことで、例えば火の使い方が変わる。大火事になるところが炭団を使ったせいで火事にならなかったり、その逆で、今まで歴史上に記録されていない火事が起きることになるかも知れない。だから10年と言わず、もっと早い時期で影響が出る。な!」


 確かにその通りだ。

 ならば、俺達の知識が役に立つのは、天災を除きもっと短い期間でしかない。


「言われてみればその通りだ。なるほど、それで阿部あべみは『なるようにしかならん』と開き直っていたのか」


「そうよ、高石神社で最初に神託を述べた時『こんな噂や伝説、なかったよね』って思ったのよ。無いものを作ったんだから、それで影響を受けるのは当然だわ。竹森たけーは『天明大飢饉の少し前にこれを予言した巫女がいた』なんて、聞いたことあったの。無いでしょう。まあ、地元の人でもない限り、こんな伝承があっても気にもしないわよね」


 その後は元いた時代のことについての雑談となり、大した成果のないままその夜はお開きとなった。


微妙な辻褄合わせの説明が続いてしまいました。

次話は工房へのお使いです。

PC操作不可環境に居たため、感想などの返信が今までできませんでしたが、戻ってきました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 阿部は、歩くwikipediaとか言うわりに 田沼意次の評価が良くなってることも 賄賂は田沼より、松平定信の方が実行していた事も 知らないんだな 家斉が在位後半で幕府の財政を圧迫させたのだっ…
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