茶室での和やかな会談 <C2190>
大金が入るアテについて聞かされた御殿様と甲三郎様でした。
茶室の中のドヨンとしていた空気は見事に一変した。
椿井家にしてみれば、年間の年貢収入が250両(年収2500万円)で工夫して暮らすのに汲々としていた所に、俄かに1600両(1億6千万円)というボーナスが突然現れ、これをどう使うか兄弟で延々口論していたのだ。
ところが、ここに新たに3万両(30億円)という驚愕の収入が見込めることや、七輪販売に上手く噛めば更に5000両(5億円)も増えるということを義兵衛から聞かされたばかりなのだ。
幕府の御料地から上がる年貢が170万石=170万両相当といったことと比べても、その金額の膨大さは感じ取れると思う。
「どうやら、ワシら兄弟で馬鹿馬鹿しいことを言い合っておったな。こうなってくると、甲三郎よ、お前はとりあえずしたいように振舞っても良いぞ。ワシは最初に言った当面入用な費用だけ確保できればそれで良い。いやぁ、こりゃ嬉しい話じゃ」
お殿様は能天気に騒いでいるが、爺は渋い顔をしている。
多分、このお金が、お殿様自身が額に汗して稼いだものではない、いわゆる真っ当な銭でないことを知っているからであろう。
「殿、このお金は御知行地の村人が知恵を結集し、努力を重ねて産み出したもので、椿井家はいわばその上前を刎ねたに過ぎないのですぞ。飢饉への備えがその動機ゆえ、第一義がここにあることをお忘れなくお願い申し上げます」
爺は流石に危ういものを感じたのか、一生懸命釘を刺している。
それだけでなく、萬屋からどのように椿井家へ銭を回すのかを充分考えておかねば問題が広がる。
例えて言うなら、貧乏一家がジャンボ宝くじで1等前後賞を当ててしまった、という感じだろうか。
7億円を突然手にした貧乏人の末路が幸せでない、というのに符合する話なのだ。
「爺、良く判っておる。金銭の用途については、江戸の紳一郎とよくよく相談して進めるので、そう細かいことを申すでない」
「そうしましたなら、まずは米蔵を各名主の所と館へ作るための費用をここから使うということでよろしゅうございますな」
甲三郎様が念を押すようにお殿様に迫った。
「よいよい、200石入る米蔵を全部で10棟作り上げる件じゃろ。3年で全部作り終わるのは無理ゆえ減らせと言っておったのは撤回じゃ。内、3棟はこの館の敷地で、後はそれぞれの村じゃな。名主の所の蔵は、村の取り分から出すということであれば、何も文句は付けんぞ。
あと、富美を身請けした費用も、ここから充てるということで構わん」
御殿様の姿勢が大判振る舞いに変わった。
富美を手に入れた40両も出所が不定のままだったということが、お殿様の発言で判った。
そして知行地にある10棟の米蔵が満杯の状態であれば、約500人いる領民の4年分の食料が丸々確保でき、通常の村の蓄えと合わせれば最悪の事態は防げるに違いない。
「お喜びのところ申し訳御座いませんが、秋口の件はまだ見込みであり、これから工房でどれだけ努力できるのか、江戸の萬屋でどうやって確実に販路を確保するのかなど、まだまだ不確定な状況なのです。江戸市中では9月1日から七輪・焜炉を売り出しますが、それまでにどれだけ準備を重ねるかがとても重要で、一歩間違えれば儲けがフイになってしまう可能性もあります。
水を差すようで申し訳御座いませんが、確実になるまで自重して頂ければとお願いする次第です」
義兵衛は慎重に進めようとして意見はしてみたが、舞い上がっているお殿様に届いたかまでは見えない。
こうなると、甲三郎様と江戸の紳一郎様を頼りにするしかないだろう。
「さて、ややこしい話はここまでにして、神託を聞ける富美を呼んでみようではないか」
御殿様からの指示で、爺は外に控えている千代さんに富美さんに茶室へ来るよう伝えた。
そして、富美さんが茶室に入ってくると、甲三郎様が話し始めた。
「おお、富美、ここは気楽に話せる場所じゃ。体を楽にいたせ。
さて、富美が新たに述べた直近の神託じゃが『来年2月、家基様が鷹狩りに行かれた折り落馬し、それが原因で亡くなる』と申しておった。また、神託だけではなく『当主不在の田安家に白川藩松平定信様を一刻も早く当主に据えるべし』との言葉を頂いておる。
この件をどうするか、ここで改めて考えてみたい」
いきなりの爆弾投入だが、この雰囲気を味方に自分の意思で押し切りたい甲三郎様の意図があからさまなのだ。
「どうするも、この椿井家の力では何もできんじゃろ。どこぞに伝がある訳でもあるまい。もし何かできるのであれば、甲三郎、お前が動いてみるということか」
「一任されるということであれば、それなりに働きかけをしたいと考えております。状況については逐一報告するつもりではありますが、その筋からの聞き取りなどあった場合は『弟が勝手にやっていることゆえ、細かいことは判らん』と言って頂ければそれでよいと思うております」
「よし、判った。ただし、家の存続にかかわるような無茶はするなよ。
それから、紳一郎から飢饉の御神託の扱いについての事情は聞いたが、今の所、北町奉行・曲淵甲斐守様からの問合せや呼び出しはない。聞かれもせんのに、こちらからわざわざ説明する必要もない、と思ってそのままにしてある。ただ、多額の儲けが転がり込んでくるので、不審なことをしている訳ではないことを一度釈明しておいた方が良いように思うがどうかな」
上手い具合に、御殿様から曲淵甲斐守様の話題が出た。
「はい、一度江戸へ出向いて伺いたいと考えております。
その折、小炭団の製造・販売の件も含め、萬屋を支援していた義兵衛には同行を頼むつもりで居るが、それで良いじゃろうか」
「まあ、そのような所かの。北町奉行様へは改めてワシから申し入れしておくので、この里で待っておれ。
それはそうと、義兵衛、江戸では仕出し膳を出す料亭の座のことや、料理番付けの瓦版が出ておったぞ。随分評判になっておる。
それでな、料理比べで北町奉行様が行司の一人として選ばれておるのじゃ。そのことが小普請組詰所で話題となっておる。料理番付け、料理比べの元締めが八百膳となっておるが、行司の一人に萬屋の主人が居り、仕出し膳の卓上焜炉料理に使う道具が萬屋から売り出されておることから、ワシに色々と尋ねてくる者が実に多いのじゃ。
お前は確か八百膳の主人・善四郎と知己があろう。内輪の事情がこちらにも流れてくるようにできんものかのう。本音はこの件に一枚噛みたいというところじゃ」
御殿様の頭の中では、飢饉神託・北町奉行・料理比べ・萬屋・義兵衛とつながったのだろう。
内輪の事情とは言うものの、実際はコネで行司に加えろと言っているようなものだ。
行司の一人になったらなったで、大変なことになるのは見えている。
「はい、元締めの八百膳善四郎さんと相談してはみますが、結果については保証しかねます。駄目で元々という積もりでお待ち頂きたく、よろしくお願い申し上げます」
結局はこのような話で終始し、茶室での話し合いを終えたのだ。
ただ、御殿様と甲三郎様の話はこの後も夜遅くまで続いており、奥座敷の行灯の明かりは朝まで消えることが無かった。
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