村人の説得 <C219>
小さな村なので、直接の話し合いで方針を決めているという形にしました。名主という立場が結構弱い村を想定しています。実際は、名主様は村の大半の農地を占め、小作農を沢山かかえていた所が多いというのが実態のようです。例えて言うと、名主は同族会社の社長で、小作農は社員。場所が農地という所が違いますが、社員を大切にしない社長の会社は傾き易いとも聞いた覚えがあります。
普通の村の暮らしでは、夜明かりを点けるような生活をすることはない。
朝、ほんのりと空が明らみ始めるころには起きて、陽が沈む頃には寝るのだ。
例外は、月夜の明るい時か、村でお祭りがある時、公儀の介入・年貢などでお役人様が村に泊まられるとき、くらいである。
夕方になってやっと家に戻った義兵衛は、一人遅い晩飯を摂ると、父の書斎で明かりを点けて書き物をする許可を得た。
明かりに使う蝋燭(1本20文=500円)や行灯の油(1合50文=1250円)はそれなりの値段であり、この村では贅沢をするゆとりはあまりない。
だが、明日の午後には説明が必要で、少なくとも明日の朝には概要を名主・百太郎に説明しておく必要がある。
助太郎の寄越した助っ人候補の覚書を見ると、なんのことはなく、バランスが取れた指定だった。
名主以外の全部の家4軒から、男女を問わず10代前半の子供の名前が書かれていた。
女子が入っているところがミソなのかも知れないが、いいところに目をつけている。
ならば、木炭加工の作業で各農家より子供を男女問わず1名手伝として出す依頼をすればよい。
そして、原料炭として竹炭が使える可能性があるのでこの研究をする。
場合によっては、竹炭窯を追加で興してもらうことをお願いするかも知れないことを言おう。
そして、炭を加工するための水車設営である。
これには場所を示す図面が必要だ。
水源には、一番南端にある谷戸の千枚田の中から、雑木林と接している小さい田を選び出す。
幸い、伊藤家が耕すところだったので、許される可能性は高い。
そこに貯水池を作り、そこから、斜面の等高線に従って水路を作り、高台の先まで延ばす。
高台の急斜面から竹筒で水を導き、村の西側の平尾村との境界近くに水車を置く。
水はそのまま、村境界の麻生川に流し込む。
問題があるのは、水車を置くところの田が金程村の津梅家が耕す所ということと、貯水池を作ることによる水利権だ。
ここに直接関係する津梅家の戸主である津梅喜之介さんは、水車の設置に難色を示すに違いない。
村のためになるということで、平尾村・古沢村との往来に使う橋を麻生川にかける時も、結局津梅さんのところの土地が削られる格好となった。
水利権は、大昔からの慣行や取り決めがあるので、俺ではちょっと手が出ない。
やはり、貯水池を作って水の流れるルートを換えることで、下流に位置する津梅家の田への影響が出るといわれる可能性がある。
今回、津梅家に迷惑が多くかかることから、田の交換をお願いすることで、収拾を図る必要があるかも知れない。
この加減は、名主・百太郎に考えてもらわねばならない。
等価交換、あるいはちょっとだけ津梅さんが有利と思える田だとすると、境界のここぐらいかと見当をつける。
こういったことの要点をまとめた覚書を書く。
概ねの路線を定めて、やっと就寝できる状態になった。
翌日の朝、作った覚書を見せながら父に説明をする。
「一番問題になりそうなのは、やはり水車だな。
ここで津梅喜之介から借りを返してもらう、ということはできるかも知れないが、事が田んぼだけにお前が献策してくれた田の交換が手かも知れない」
津梅家は、もともと伊藤家と同格の北条家臣配下の足軽組頭だった。ここが金程村になる前に隣り合って土地を拝領した。
その後、津梅家は先に武士であることを止めたため、伊藤家がこの村全体を治める格好になったという経緯があった。
津梅家が農家になったのは、拝領した土地が麻生川に沿って開けた谷戸で、稲作に適した平坦な土地が多かったからではないか。
思わず昔の経緯を聞いてしまったが、こういった昔の祖先のことが、今でも何かと関係するというのは、面倒なものだ。
「津梅喜之介の借り、というのは何ですか」
「子供の頃、10代の時の他愛も無いいたずらだよ。
もっとも、ワシがしばらく、といっても2年間、村にいられないような状態になった出来事だ。
原因は2歳年上の喜之介なんで、昔話の毎に謝ってくるのだけど、はぐらかしている。
もっとも、辻売りの口上のやり方や度胸がついたのは、この放逐の賜物なんだけどな」
聞いたこともなかったこの話には、驚かされた。
肝心のいたずらの内容は聞かせてもらえなかったが、こういった弱みを使って土地を侵食するのはあまり良いことではない。
また、この木炭で村が潤うにせよ、経緯から見て津梅家の発言力が強くなるのは好ましいことではないかも知れない。
このあたりは父が名主として公平に勘案してくれるだろう。
昼過ぎになると大人たちが集まってきて集会が始まる。
木炭加工で増える掛売り金を、年貢米に代えることが了解されたことを知らせる。
そして、木炭加工で増えるであろう金額を入れて木炭で40両位の掛売りになる見通しを伝えると、場は沸いた。
「年貢米を納めなくても済むとは素晴らしいことだ。
この村で作った米を全部村で食べることができると、もう端境期で餓えることはない」
そういった声が溢れた。
「皆の衆、はしゃぐのはちょっと早い。
今年の米作りは今まで通りにしておかないと、20石は納めるつもりで作ってもらわないと、いけない。
まだ炭の掛売り金がある訳ではない。
秋祭りまでに、40両分の掛売り金に相当する木炭を卸すことができるかが鍵になる。
そのためには、厳しいお願いをすることになる」
名主・百太郎はそう言って皆を抑えた。
「今回の木炭加工を発案した義兵衛から概要を説明してもらおう」
水車の件は難航すると思われたため父・百太郎が説明することとなり、義兵衛は気を楽にして説明を始めることができた。
各家から手伝いを出してもらう件、竹炭を使う検討をする件、使えるとなったら竹炭の窯を興す件はあっさり了解された。
皆、その程度で済むのであれば、という感覚だった。
「ここからは、かなり重い話になるので、ワシから説明する。
木炭加工の生産量を上げるためには、多量の粉炭が必要となるが、このため水車で石臼を廻し炭を挽かせたい。
このため、ワシのところのこの田を潰して池を作る。
そこから水を引いて、津梅喜之介さんのところのこの田に水車小屋を立てたい」
孝太郎が引き出しから出してきた村の細かな地割図を前に、皆は騒然となった。
「おい、百太郎。そりゃあんまりだ。
作る池の下流には俺の田があるし、水車小屋の場所も俺の田だぞ。
いくら年貢米がいらなくなるかも、っと言ってもあんまりだ」
「うむ。それはワシが喜之介であっても怒る。
なので、水車を予定している喜之介の田とワシのところの田を交換してもらいたい。
それで今回は収めてもらいたい」
それを聞いて、喜之介は黙ってしまった。
「判った。そこまで言うなら田を交換して水車を作ることに協力しよう。
お互いが痛み分けということなら、百太郎のところのこの田と交換かな」
時間をかけて検討したのか、多少遠慮した感じの田を指し示した。
それは、事前に落とし所と考えていたものと合致していた。
皆も、いろいろと考えて妥当と思ったのか、静まりかえった。
「では、この方向で進めよう。
水車の設営は、息子の孝太郎が中心になって進めるので、皆の協力を仰ぎたい。
そして、是非年貢米無しの秋祭りをしようじゃないか」
締めの言葉『年貢米無しの秋祭り=採れたものは全部自分達のもの』に皆どよめいた。
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