甲三郎様の胸の内 <C2183>
田沼意次様に対する爺やお殿様の思いもチラッと出ます。
1778年時点での将軍家+御三卿の一覧を見ている甲三郎様が爺に問う。
「今、権勢の限りを尽くしておる田沼様はどうじゃ」
■老中
田沼意次 60歳、老中
田沼意知 30歳、詰衆
「もともとは、紀州藩の足軽の家でしたが、吉宗様が将軍になられた折に、紀州藩の奥小姓から幕臣となり300石取りの旗本になったものです。先代は田沼意行様で享保12年(1735年)に亡くなってから16歳の意次様が継いでおります。
紀州藩時代から田沼家が将軍家と懇意であったことから、先の将軍・家重様に重用され、加増は他に類を見ないほどでございました。
宝暦11年(1761年)に家重様が亡くなられ、家治様が将軍と代替わりしても、この重用は止むことはなく、御側御用取次から側用人へとなって、明和6年(1769年)侍従となって老中格にまで出世すると、安永元年(1772年)相良藩57000石の大名となり、老中になられております」
爺は確認するように、田沼意次の今までをざっと説明した。
書かれた一覧や爺の説明は、阿部や俺に対する知識の補足ということと認識しており、細かい把握ができていない我々にとって思い出す手がかりになるという意味で大変ありがたい配慮なのだ。
それから、爺にしては珍しく意見を述べた。
「ただ、これは人前では口にできることではございませんが、家康様の頃よりの旗本家は、この田沼様のなさりように些か憤っております。確かに、政治の手腕が秀でておるのかも知れませんが、あまりにも紀州時代の御家来衆を贔屓し過ぎており、不満を持つものも多くおられます。出世に対する下らぬ嫉妬心ではありますが、いつか足元をすくってやろう、と思っている幕閣も多いと思われます」
こりゃひと波乱あるかもと思ったら、案の定、富美さんが阿部の意見を中継した。
「申し上げます。田沼意次様は賄賂が大層お好きだったと後世にも広く伝わっております。ある時『盆栽を眺めておられる』と家臣の方が漏らしたところ、たちまちのうちに大小の盆栽が2間に収まりきれないほど届けられたという逸話もあるそうです。贈賄側の大名の『なんとか伝を繋ぎたい』という思いを巧みに使って私利私欲を満たすという姿勢は、唾棄すべき破廉恥な行為です。
後に若年寄りにまで出世する嫡男の田沼意知様が、天明4年に江戸城内で襲撃される事件が起き、その事件の怪我が原因で亡くなるのですが、これを江戸では喝采して歓迎する風潮ですらあったのは、知る人は知るところのもの、だそうです」
途中の罵声はおおかたを富美が吸収したが、それでもこれだけの悪態が伝わってくるのだ。
確かに今の幕府を支える封建制度が、まかり間違えばひっくり返るような政策を主導しているのだ。
こういった体制変革に不安を覚える幕閣や大名・旗本だけでなく、従来の米主体経済・緊縮財政政策から、田沼意次による商業資本を積極的に用いる重商主義政策で、経済格差が拡大したことに対する民衆の怨嗟の声が爆発したものなのだろうが、どうも阿部は一部の見方に洗脳されているように思える。
新しいアプローチなのだから、最初から完璧なものが出来る訳はない。
なんとなれば、平成時代の世界でも経済格差は広がりつつあるのだから、そもそもこの時代で格差の無い社会を目指せというのが無理目だと俺は思っている。
それよりも、田沼意知様の事件が起きることを知られてしまったのも、甲三郎様には負担になるに違いない。
果たして、甲三郎様が口を開いた。
「なんと、田沼様の御嫡男が若年寄にまで出世なされ、そしてお城の中で刃傷の目に遭い、その結果亡くなるということか。
うむ~ぅ。我が子を亡くすという悲劇が、将軍家と老中の田沼家を襲うのか。子に先立たれるというのは、堪えることができんもんじゃ。ましてや、元服を終え無事に育った子や、出世の階段を登り始めてやっと先が安泰と思った子が突然消えるのでは、その嘆きは筆舌に尽くしがたいものがあろう。
何のために一生懸命になって政治をしておるのか『やってられん』と思うこともあろう。聞いてしまった以上、これを見過ごすこともできんが、もっと大きな目で見たときに介入することが果たして良いのか。これは悩ましいのぉ」
爺の意見や阿部の発言もあったが、意外にも甲三郎様は田沼意次を嫌っていない様に感じた。
「甲三郎様は、新参者とも言える田沼家を嫌っておらぬように思われますが、それはいかがしたものでしょうか」
俺の不躾な問いに、甲三郎様はポツポツと語りだした。
「こういった話は爺にもしてはおらんが、兄弟の若干の方針・感じ方の違いを知っていてもらうのもよかろう。
兄・庚太郎や爺は、どちらかと言えば昔からの風を尊ぶ趣で、紀州から付いてきた御家来衆が要職を占めている点を心良くは思っていない。吉宗様のなさりようを表立って非難することはないが、身内贔屓が過ぎると思っているのは知っておる。
しかし、ワシが見るところ吉宗様が贔屓した方は皆それなりの成果を上げており、幕府の財政もかなり持ち直したようにも聞く。すると身内だから贔屓したのではなく、優秀な人物であるから贔屓したというのがワシの見え方じゃ。ただ、優秀かどうかは本人が直接見てみねば判らん。紀州から付いてきた御家来衆は、吉宗様の目に留まる機会が多かったに過ぎんのじゃろう。新参の田沼家を重用するのも、昔からのしがらみがなく、思い切った舵取りができることの優秀さを家重様や家治様が認めているからと考えておる。
そういう目で、田沼意次様の幕閣への推挙を見ると、優秀な人材を上手く引き上げると同時に、やっかみを減らすようにそれなりの家格のものを引き上げるという工夫をちゃんとしておる。もっとも、兄や爺の様子を見ると、その工夫があまり生きてはおらんのだがな」
爺は甲三郎様の話をじっと聞いているが、思いあたることでもあるのか、時々小さく頷いている。
「それで、部屋住みのワシの立場を考えると、実績を認めて貰えれば別の道が開けるかも知れんと考えた次第よ。なので、知行地で新田開発を行い、それ相応の結果が出れば注目されると思っておったのじゃ。
しかし、今回の木炭加工による殖産は、田沼様の商家に着目した政治に負うところも大きかろう。椿井家は知行地を持つ旗本のあり方として、これから注目されるはずであり、ならば我が身の先行きも安泰に違いないと考え直しておった。ずるい様じゃが、義兵衛の作り出した状況をお家のために、そしてワシの立身に利用しようとしておったのよ。
しかし、そういった注目を浴びる状態に加えて、未来の出来事を知る立場とすると、よほど慎重に動かねばならぬ。一つ間違えれば、ワシの独立・栄達どころか、今ある儲けを全部吐き出した挙句椿井家自身が取り潰しじゃ。そうなると、知行地の皆にも随分と迷惑をかけることになる」
思わぬ展開で甲三郎様の本音を聞いてしまい、その複雑な胸の内に多少なりとも同情してしまったのだった。
状況を利用していた甲三郎様ですが、ややこしいことになっている事に改めて気づいたのです。
次回は、判断材料を更に求めようとする甲三郎様の問いに応えて、次期将軍の家斉様に関する説明回です。
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