将軍の一族 <C2182>
安永7年の将軍家・御三卿の整理回となります。
背景説明がダラダラと続いて申し訳ありませんが、ご理解ください。
時代背景をご存知の方や、主人公の活躍シーンを期待する方は読み飛ばして頂いて結構です。
HJネット大賞2018は二次審査を通過できませんでした。もっともっと修業を積む必要があるようです。
一番直近に起きるであろう重大事、将軍家治様の長男・家基様が来年亡くなることを、阿部があっさりと話をしてしまった。
「来年の2月の鷹狩が、その切っ掛けなのじゃな。もし、陰謀による暗殺ということであれば、2月の鷹狩を取りやめさせるなどして乗り切るだけでは阻止できんのぉ。その前からずっと家基様を見張っておくか、その黒幕をなんとか翻意させるとか、影響を及ぼすことがない立場に異動させねば阻止はできんのぉ。
いや、そもそもこの結果を知って、それを変えることが良いのかどうかの見当がつかん」
甲三郎様が珍しく迷い言を述べている。
これは当然とも言えるが、極めて不遜な意見なのだ。
なにせ、現状の立場では家基様の行動に何等かの干渉が出来る立場にないからだ。
そして、家基様が鷹狩を契機に何らかの事故に会うことを事前に告知するとしよう。
もちろん、言ったところで、信用がなければ鷹狩りは行われるだろう。
その結果、その通りになった時に痛くもない腹を探られかねないのだ。
そういったことも含めての世迷い言に違いない。
「聞いてしまった以上、これを知らぬ事として済ます訳にはいかんしなぁ。どうしたものだろうか。
そうか、だからあの時義兵衛は富美に『言ってはならん』と止めたのじゃな。今になって、その理由に納得がいった。
すると、田沼様の失脚や家治様が亡くなることにも、それぞれの事情があるということなのじゃな」
「はい、その通りでございます。
一つの出来事がその後に繋がる出来事に大きな影響を与えているのです。なので、その一面だけ切り出して何とかすれば良い、というものではないのです。ただ、地震や噴火・津波といった天災だけは独立して起きる事象なので、これに備えることに迷いはありません。だから、まず天明の大飢饉を乗り切るのに必死になっているのです」
義兵衛がそう説明すると、甲三郎様は大きく頷いた。
「なるほどな。しかし、椿井家は旗本じゃ。お上の安泰を願い、その下知に従って天下の政治を支えるのが役目じゃ。徳川家の末永い存続を願うのはごく自然のことであろう。
さて、田沼意次様は将軍・家治様の強い引き立てがあって側用人から老中にまでなられたお方であろう。将軍家に忠誠を誓うのは当然であり、その嫡男に政治姿勢を批判されたと言って殺めるというのは理屈に合わんじゃろう。突発的に性急な手段を取らざるを得ないということであれば、理解せん訳でもない。しかし、鷹狩りという機会を捉えて何かを企む、という姑息な手は似つかわしくない。
一方、一橋家の治済様が自分の血筋で将軍家を固めてしまいたい、というのは欲望としては理解できる。
徳川吉宗様が御三卿として、清水家・田安家・一橋家を設けたのは、家康様の御三家として、尾張家・紀伊家・水戸家を設けたのに倣ったのだが、実は将軍家をご自分の血統で固め、張り合っていた尾張家に渡すまいとした結果とも噂されておる」
この言に爺が割り込んだ。
「甲三郎様、例え噂と言えども、そのようなことを人前で口に出してはなりませぬ」
「しかし、爺。安永3年(1774年)に田安家の治察様が亡くなってから、田安家は当主のいない状態(=空き屋形)のままであろう。本来、治察様の弟君であられる定信様が継げば良いものを、養子縁組が先に成ったということで縁組を解消することを拒み、田安家を無当主のままにされておる。このことには、治済様と田沼意次様が了解しているに違いない。これは無当主の家は断絶という原則の例外であり、家を存続させたまま血統の近い定信様が当主となることを拒むのは、ある意図があっての構図と考えたほうが妥当であろう」
「しかし、甲三郎様。血筋が将軍家に近い清水家の重好様も居られます。将軍・家治様の弟君ですし、仲が良いことは衆目の一致する所です。一橋家による血筋の簒奪は難しいとしか思えません。いかがでしょうか」
爺は『一橋家による血筋の簒奪』説を即退けた。
確かに、一橋家による血筋の簒奪は結果論なのだろう。
俺や阿部はこれを史実として知っているが、この時点で結果を知らなければ爺のように思うのが普通なのだろう。
しかし、紀州家光貞様の4男として産まれた吉宗様が、針の穴を通すような偶然から将軍になったということもある。
この時代の一般論とも言える爺の指摘に甲三郎様は返す言葉を捜しているようだ。
「甲三郎様、将軍家にかかわる御三卿や御三家の方々を判っていないので、今の説明がなかなか理解できません。整理して頂けないでしょうか」
義兵衛の言葉に、ギロッと目を向けた甲三郎様が爺に命じた。
「爺、順に書き出して見せよ。家毎に並べ年齢を添えるのじゃぞ」
爺が書き出す内容を、義兵衛だけでなく富美さんも興味深く目で追っている。
■将軍家:第9代家重の長男
徳川家治 42歳 第10代現将軍
徳川家基 17歳 将軍の長男(第11代予定)
■清水家:家重の次男
徳川重好 34歳 将軍の弟、子供なし
■田安家:第8代吉宗の次男・宗武が田安家の初代 将軍の甥
2代目の長男・治察は4年前に22歳で死亡
松平定国 22歳 将軍の従兄弟、11年前に伊予松山藩へ養子
松平定信 20歳 将軍の従兄弟、4年前に陸奥白川藩へ養子
■一橋家:第8代吉宗の四男・宗尹が一橋家の初代 将軍の甥
松平重富 31歳 将軍の従兄弟、21年前に越前福井藩へ養子
徳川治済 28歳 将軍の従兄弟 一橋家の2代目
黒田治之 27歳 将軍の従兄弟、16年前に筑前福岡藩へ養子
豊千代 6歳 治済の長男、後に将軍家養子となり家斉となる模様(富美様からの御意見)
力之助 3歳 治済の次男
雅之助 2歳 治済の三男
「こうして並べると、将軍の直系は家基様だけですが、従兄弟の方は多いですね。そして、養子として藩主になっている方が多いのが見て取れます。
今、田安家は無当主ですが、治察様が亡くなられた同じ年に陸奥白川藩へ養子に行かれた定信様は、確かに白川藩の藩主ではなく田安家の当主となったほうが良かったように思えます」
義兵衛は感想を述べた。
「将軍の継承順位だと、家基・重好・治済・豊千代の順だわ。4年前だと、豊千代2歳だけど順位は変わらないわね。世継ぎで世代が交代すると考えると、家基・豊千代の順は納得がいくわね。
そこで、仮に、定信が田安家当主であれば、家基・重好・定信・治済・豊千代となるけど、定信に男子ができると一橋家の芽はないわよね。
結局、無当主となる田安家は一橋家から養子を迎えるし、清水家も家斉の将軍家から養子を迎えるのよ。それで、将軍家と御三卿は治済の子孫で占められることになるのよ。だから、後世では一橋治済の陰謀と言われてしまうの」
富美の口を直接借りた阿部のこの言い様に、爺が噛み付いた。
「これ、最低でも敬称を落としてはならぬ。無礼であろうが」
甲三郎様は、義兵衛と富美の意見を聞きながら、爺が書き表した将軍家・御三卿の表を見て腕組をしている。
資料から作った図が掲載できると理解しやすいのですが、挿絵をどうやって載せるのかが身についておりません。系図が出てくる回もあるので、これからどうすればいいのか調べたいと考えます。
次回は、甲三郎様の胸の内が独白されます。
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