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徳川家基様、急死の予言 <C2181>

いささかネタバレのサブタイトルですが、これを語るようになるまでの経緯を見てください。

やっと歴史改変ものらしくなり始めますが、結構長くなります(=同じような話が何話も続く)ので予めご容赦ください。この小説で幕府体制改変を扱うべきか悩みましたが、長期的に見ると言及必須という判断で踏み切っています。

「申し上げます。もし直接歴史に介入されるようであれば、1945年の敗戦とアメリカ国による占領という事態を防がれるように視野を広げて頂たくお願い申し上げます」


 同じ歴史改変なら、そこまで考え抜いたほうが良いように思えた。


「それはまた難儀なことじゃ。1868年に起きることを遅くしたりすることは出来るであろうが、それに続く政体のことまで考慮するのは、それこそ新しく宗教でも起こすしかないぞ。しかも、檀家制度の元ではそれも御法度じゃ。

 種を撒く期間はせいぜい10年~20年であろう。それではせいぜい子・孫の世代まで持つ仕掛けでしかない。しかも、それは義兵衛の言う世が概ね予言通りに動いての話じゃろう。一世代が25年~30年とすれば、江戸城が落ちるのは曾孫の時じゃ。ならば孫がしっかりすればよいだけの話ではないか」


 確かに、実際に手を打つとなれば子・孫の世代に起きる不都合を取り除くようにはからう程度が限界である。

 それから先になると、良かれと思って打った手で返って身を縛ることになるかも知れない。

 そう思った時に、爺が富美さんを連れて戻ってきた。


「大変見苦しいところをお見せしました。甲三郎様の下知で、阿部様が突然沢山のことを喋り始めたので、何からどう手をつけて良いか混乱してしまいました。先ほどまで少し休ませて頂きましたし、阿部様には落ち着いて頂くようお願いしましたので、もう大丈夫かと存じます」


「富美は顔色も戻り意識もしっかりしているので、大丈夫と判断しました。一応、隣の部屋に横になれる様に夜具を用意させ、千代も控えさせております。よろしいでしょうか」


 妥当な処置と思ったが、甲三郎様は指示した。


「千代にはこの部屋の中の話を聞かれとうないので、その次の間で控えておくようにせよ。

 ワシの聞き方が漠然としていたため、阿部様の知るところのものが一斉に溢れ出たのであろう。向後こうごは具体的な内容を逐一聞くこととするので心配せずとも良い。阿部様は、富美へゆっくりお話しくだされ。よろしく頼みますぞ」


 未来に関する情報は、できるだけ絞った人間だけが知るという重要性を理解していることに感心させられた。


「では、聞き方を変えよう。

 今の上様は丁度10代目の家治様で、天明6年に亡くなると聞いた。次の将軍はどなたじゃ。また、その世には何が起こるのかを、義兵衛から聞こう」


「はい、次の11代目の将軍様は、一橋家より将軍家へご養子となられた家斉様でございます」


 この言葉を聞いた爺は、居たたまれず声を上げた。


「家治様にはお世継ぎとして家基様がおられます。何かの間違いではないですか」


「家基様は安永8年に亡くなっており、その時点で将軍家にお世継ぎがいなくなっております」


 富美さんの口を借りて阿部あべみが直接答えた。

 シンとした空気が広がった。


「家基様は、まだ17歳でございますぞ。来年にお亡くなりになると言われますか。何とおいたわしいことでございます」


 若い人が亡くなることについて、涙を禁じえない爺なのだったが、そこへ変なことにやたら詳しい阿部あべみが追い討ちをかける。


「徳川家基様は、安永8年2月23日に亡くなっているのだけど、その経緯から誰かにあやめられたという噂もあるのよ。

 私はこういったミステリーものが好きなので、結構細かく覚えているのよ。今が丁度その時期なのだとすると、私は歴史の証人になれるわよ」


「それは聞き捨てならん。『ミステリーもの』とは意味がようわからんが、ともかくここは細かく事情を聞いておきたい。ただ、丁寧にゆっくりと話せよ」


 甲三郎様は身を乗り出しており、その横では爺が筆を取って記録しようとしている。

 確かにそういった話は聞いたことがあるが、お世継ぎがそうそう暗殺される訳はないし、暗殺の可能性があればその父である将軍が徹底的に調査を指示するに違いない。

 結果、歴史に暗殺されたという記載がないことであれば、実際にそういったことはなかったに違いなく、伝わった情報が少ないことから後世の者が面白可笑しくお話を作ったに相違ない。

 しかし、何かしら参考にはなるかも知れないので、耳を傾けても損はない。


「はい、記憶違いがあるやも知れませんのでご容赦ください、とのことでございます。

 安永8年2月21日(1779年4月8日)品川宿から平間街道を少し下った所にある新井宿村へ鷹狩りに行った家基様は、その帰り道に落馬なされました。そして品川の東海寺でお休みになられて居たのですが、ここで腹痛を訴えられました。ご典医が煎じた薬湯を御服用なされましたが回復せず、急遽駕籠で西の丸まで戻られました。しかし、その後の手厚い介護の甲斐もなく、23日(10日)にはお隠れになったということでございます」


 皆が聞き入っているのだが、富美はここで、一息ついた。

 今までと違い、富美さんが伝えられた内容を噛み砕くようにして阿部の言葉を伝えてきている。

 言葉使いが混乱しているが、阿部が頭の中で話す言葉に影響されているのだろう。

 一息入れたのだが、多分ここまでが事実相当のことで、この先は阿部の推測になるに違いない。


「では、ここから家基様が御歳18歳という若さでこのようなことになったのかということの推測ですが、大雑把として4つの説があります。

 最初は一番穏当ですが、落馬が原因の事故死、自然死ということです。

 第二は、田沼意次様が黒幕で、田沼政治に批判的になってきた家基様を外すためにたくらんだという説です。東海寺で飲ませた薬湯に毒が混ざっていたという説です。

 第三は、一橋治済様が黒幕で、長男の豊千代様(1773年生まれ)、後の家斉様を将軍の世継ぎにするためにたくらんだという説です。もっともそれ以外に、一橋家の競争相手になりそうな有能な人物を治済様が蹴落とすように動いたという説もあります。

 第四は、一橋治済様と田沼意次様が共謀してたくらんだという説です。

 この黒幕説は、動機や結果を見ると、それ相応に納得できるものがあります」


『流石に阿部あべみのオタク知識だ。俺はここまで詳しくないが、これだけの知識があるなら移転してきた時点で年代を特定することが可能だったはずだと思える。ならばなぜ10年前の神託で飢饉がくるまでの期間を組み込まなかったのだろうか』


 俺は阿部あべみの話を聞いて不思議に思ったのだった。


実は、一揆とか打ちこわしといった民衆暴動史や陰謀といった話に造詣が深い阿部美紀なのです。ならば、なぜにいつから飢饉が始まると神託で明言しなかったのか、ですが、これは割り込むことができるタイミングがあれば載せます。

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