甲三郎様の企み <C2180>
5月5日の昼御飯が終わり、4人となったところから話が始まります。
いよいよ歴史談話に入っていきます。
結構くどいのかも知れませんが、数話続きます。
「さて、昼前に義兵衛が『未来を変えることができる』と言っておったが、この先240年間で起こることのあらましを述べてもらおうかの。富美、まずお前から概要を説明せよ。そして、不足があるなら義兵衛が補足せよ。
爺は両名が申すことを書き留めよ」
この言葉を聞いて富美が震えだし『あわあわ』と細かく口を動かして呟くと、口から泡を吐いて倒れた。
爺が富美の体を押さえ、退出の許可を求める。
「おい、何が起きた!大丈夫か。
よし、富美は部屋に下がって休むようにいたせ。爺、頼んだぞ」
甲三郎様が青い顔になって慌てている。
義兵衛はこの状態を阿部が原因で、富美さんがパニックになったものと推測した。
「おそらく、阿部がここぞとばかりに喚いて、富美さんの体が耐え切れなくなったのだと思います。
240年間にはいろいろな出来事がありますが、それが阿部の頭の中から大量にドカッと溢れてきたのでしょう。富美さんはその量に耐えられなくなったのだと思われます。
大局をとらえず何でも丸暗記して詰め込むのが彼女の勉強の仕方だったようでしたから。なので、富美さんに聞くときには、要点となる言葉を与えてそれに答えてもらうのがいいように思います」
甲三郎様は多少安心した様子で義兵衛に指示する。
「では、代わりに義兵衛から概要を聞こうか」
義兵衛は机の上の硯で墨を摺り、筆を取り、紙へ書き留める準備をする。
「いうまでもなく、歴史を説明するには『いつ、どこで、だれが、なにをした、どうなった』という点が重要です。なので、要点となる出来事について、視点をこの国、つまり幕府が治めている領域を主体として簡潔に書いていきます。あと、いつについては想像されていた通り、西洋で用いられている歴を使います」
自信タップリに言う割には、記憶が定かではない。
『歴史なんて学校では小学校6年とか中学校2年で江戸時代のあたりを習うんだよなあ。歴史まんがが小学校の図書館にあって、これを4~5年の頃に貪るように読んだんだっけ。だから、昔から歴史は好きだったよなぁ。それで、高校になると日本史と世界史に分かれるけど、なんとなく日本史を選んだんだっけ』
こういったことを考え始めるときりがなくなる。
『よくよく考えれば、なんのことはなく、学校では深さが違うものの3回も同じ歴史の教育を受けているのだ。
しかも、最後の高校での教育は興味よりも受験対策に近いクイズみたいなやつで、結局面白さを継続できずにへこたれる者が大勢でるのだ。こんなことなら、クイズ形式の単語と年号は小学校のうちに丸暗記させてしまい、中学ではその関連付けをするというやり方もあるだろうに、高校・大学受験にかこつけて、壮大な無駄を強いているとしか思えない。
その点、算数・数学は単元が合理的で流石に理系ロジックだ。ただ、こちらはどこかでコケると、それ以降の敗者復活が難しい』
頭の中でループしていたら義兵衛から早くしろと叱られた。
そして、エイヤとばかりに言ったことを義兵衛が紙に書き始める。
どうせ、阿部が後からこれを見て『あれが抜けてる。これが足りない、間違えている』と、ケチを目一杯付けるに決まっている。
天明2年~天明7年、1782年~1787年、天明の大飢饉。陸奥国を中心に餓死者多数。江戸市中でも商家打壊し多発。
天明3年、1783年、浅間山大噴火。関東一体降灰で不作を加速。
天明7年~寛政5年、1787年~1793年、寛政の改革。老中、松平定信が実権を握り、倹約・帰郷・囲米などの政策を実施。
寛政4年、1792年、ロシア国ラクフマンが蝦夷地・根室に来航し通商要求。長崎での交渉実施と回答。
1804年、ロシア国レザノフが長崎に来航し通商要求。通商を拒絶。
1798年~1809年、間宮林蔵、最上徳内、近藤重蔵らが蝦夷地・樺太を調査・探検。
1808年、イギリス国軍艦が長崎で狼藉。
ここまでギリギリと思い出しながら書いたところで、甲三郎様が義兵衛の手元をのぞき込み顔をしかめているのに気づいた。
「この感じで240年分が出てくると、ちと判りかねるなぁ。もっと大雑把な感じで捉えておらんのか」
確かに、これではただの歴史年表だ。
小学校の後ろの壁の一番上に貼ってあったやつ、という感じになるに違いない。
確かに、中学校の歴史の教科書の付属年表レベルになっている。
もう少し、まずは大雑把なくくりで良いのか。
「はい、申し訳ございません。阿部のようになるところでございました」
少し考え直して、江戸・明治・大正・昭和ではなく、一番大きな枠でくくり直すことにした。
江戸時代、1603年~1868年、徳川家が将軍として治世
明治~昭和・敗戦前、1868年~1945年、天皇家が内閣などに依って治世、立憲君主制
昭和・戦後~平成、1945年以降、アメリカ国による占領を経てその後主権回復し、選挙により選出された議員が内閣に依って治世
「まず時期は、大きく3つに分けています。
最初は現在の治世が続く期間。1868年前後で混乱する期間がありますが、1868年に江戸城が明治政府の主体となる連合体に明け渡され、新しい政治体制となります。
この新しい政府は約80年の間に何度か外国と戦争を行い1945年に負けます。この後占領などで約10年程混乱が続きますがそれが落ち着いて、約70年経ったところでした」
この説明で結構衝撃を受けたかと思いきや、甲三郎様は平気な顔をしている。
『あと90年で徳川の世は終わるのですよ。江戸城が明け渡されると言ったのが聞こえませんでしたか』
「この通りであれば、京都の天子様が率いた軍勢が江戸へ入って幕府を閉めてしまったのじゃな」
「まあ、天子様が直接に率いた訳ではないので少し違いますが、概ねそのような感じとなります。実際には江戸を巡る大戦は起きず、むしろ幕府存続を願う諸藩が地方に籠って抵抗し続けた格好での戦がありました」
「まあ、天子様が相手では大義名分もあるまい。増鏡にもあろう。承久の乱のおり、北条泰時が『治天の君が陣頭に立って来た場合の心得』を父義時に確かめた時の話と同じよ。少なくとも弓を弾くものは、まずおるまい。なので、これを奪われないようにするための仕組みが骨抜きにされたのであろう。
まあ、そのような事態になる前に、幕府中枢の老中様たちは幾つもの失策をしておったのであろう。であれば、その失策の目をこの大飢饉対策に紛れて潰しておけば良いだけのことじゃ」
どうやら甲三郎様は、飢饉対策によって後世が変わるのであれば、それに乗じて何かを算段するつもりのようだ。
竹森は実は歴史好きなのです。それから、時代くくりについて異論があるやもしれませんが、こういった分類もあると大目に見てください。承久の乱の件は確か「増鏡」の記述だったと思っていたのですが読み返す間がありません。どこかの講談・講釈での話だったかも知れませんので、増鏡が間違えていれば直しますので、お知らせください。
さて、いよいよ歴史改変に向けた甲三郎様の事情聴取が始まります。そしていきなり直近のイベントで話しが詰まるというのが次回です。
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