久々に過ごす工房 <C2175>
工房での後半部分です。分割した話なので、少し短めです。
米さんの『生産切り替えの号令待ち』を聞いて安堵した義兵衛は、続けて江戸で作っていた卓上焜炉を取り出した。
「こちらの華やかな焜炉は萬屋さんが懇意の道具屋に作らせたもので、日産100個。小売値が300文で、内製造元へ160文支払い印を頂く神社に30文支払っている。そして、簡易な焜炉は深川で作ってもらったもので、日産500個。小売値が160文で、内製造元へ80文支払い印を頂く神社に30文、仲介の手数料に4文支払っている。
驚くのは深川製焜炉の生産性の高さだ。一気に窯で1500個焼いている。作り方も焼き方も斬新で、流石に江戸を相手にしている所だけに量産という面で、この工房では勝負にならない。
しかし、中には素朴な金程村製の卓上焜炉を有難がるという変わった風もあるため、当面10日に1回で300個という卓上焜炉生産はしばらく続けてもよいと思う。こちらは小売値200文なので、村には140文入る。これが300個だから1回でほぼ10両の売掛金になる。これだけで結構大金だ。
それから、七輪作りだが、この準備については深川の辰二郎さんに製造委託するのがよいと考える。
9月1日(太陽暦10月20日)に江戸市中での売り出し開始と踏んでいる。すると今日から144日しかない。120万人が暮らす都会で最初に発生する七輪の需要は10万個の水準で、卓上焜炉より1桁多いのだ。
七輪1個に練炭が一冬で40個必要とすると、秋から来春まで練炭が400万個使われる。半分準備、いや準備できるのが、使われる量のせいぜい4分の1から3分の1の150万個とすると、薄厚練炭を日産4万個で作るしかない。
こういった中、七輪をこの工房だけで作っていくのは難しいだろうと思う。どうかな」
助太郎も米も、七輪の製造委託の前に、練炭の数量を聞いて唸ったまま、声も出ない。
あの手軽に作れる小炭団で今日産32000個なのだ。
使っている原料も重量ベースで9匁から350匁と36倍にもなる。
つまり、それだけの量の原料を確保し、加工しなければならないのだ。
「そんなに深刻に考えることはないよ。売れるだけ作るが基本なのでしょ。義兵衛さん、そう言っていたじゃないの。作った分が全部売れるのだから『足りない』とか、余計なことは悩むだけ無駄よ。暗い顔しないで、薄厚練炭は日産4万個目標で頑張ればいいのよ。
七輪は作ってくれる所があるなら、そこに任せていいじゃない。
それで、例えば作った普通練炭150万個を萬屋さんに卸したら、ざっと幾らの収入になるの?」
梅さんのポジティブな考えには毎度驚かされる。
「普通練炭に換算して1個140文の練炭が150万個だから、52500両。
ええっ!5万両なんて、10万石大名の財務と同じ水準じゃないか。今小炭団の売掛金が2250両とか言って今大騒ぎしているが、その20倍だぞ。
しかも、薄厚のままだと少し高い値段だから、ええと、67500両。これだと30倍!なんてこった」
助太郎が興奮して叫んだ。
「ほら、元気になるでしょう。だから、今まで通り、黙々とやればいいの。そのあとはお殿様が皆の幸せを考えてくれるわよ。それがお殿様の仕事だもの。
もちろん、小炭団の時のように、工房の経費は一定の歩合でこちらに頂くわよ。ざっと6万両なら、そうね、2万両は欲しいわね」
恐るべき梅さんの発想転換の発言なのだ。
『お殿様の仕事が、皆の幸せを考えること、なんて一体どこから出てきた思想なんだろうか。この里は恵まれ過ぎているぞ』
あまり長く作戦室にこもっている訳にもいかないが、主要な要員の様子を聞いてみた。
「ここでお世話になっている桜や弥生もとても嬉しがっていて一生懸命働いているのよ。その話が色々伝わって、下菅村や細山村の娘達も住み込みで奉公したいという気持ちがあるみたいよ。流石に男共と一緒というのは御免だけどね。
なにせ、お殿様肝入りの工房での奉公だし、ここで働いているのは親にとっても自慢できるし、目標達成のご褒美の米俵も住み込みしている家は大奮発してくれたでしょう。普段の食べる口がいらない上に、通いで来ている家の所と比べると倍の量の支給だったのよ。そう、2倍なのよ。実家も潤うし、私たちだって、食事の支度や家族皆の洗濯物といった家で普通にしていた重労働は、ここでは自分がしなくてもいいのだもの。
正しく天国よ、ここは。寮母さんや助太郎さんに大感謝だわ」
梅の言い方は変な色を帯びているが、住み込み組は皆仲良くやっているようだ。
住み込みを増やすかどうかの判断は、助太郎に任せよう。
それはそれでよいが、居ない間に増えた12人の状況はどうなのだろうか。
「今のところ何の問題も無いですね。最初から奉公している福太郎や春さんは、歳は小さくても工房の先輩としてちゃんと遇してくれているし。ただ、春さんはちょっと居心地が悪そうね。だってまだ8歳でしょ。7歳の妹も一緒に奉公に来ているけど、一番小さい娘でしょ。私が見える場所に居るとほっとするのが判るのよ。春さん姉妹は現場で真っ黒になるより、帳簿管理みたいな間接業務の専任になってもらったほうがいいのかしら」
流石に現場を預かる米さんは皆のことをしっかり見ているのが良く判る。
このような具合で、それぞれの様子を聞きだし、対応を助太郎に委ねた。
作戦室での話しが終わり、工房の中の様子を見て回る。
前に比べ随分と大きくなっており、それぞれの作業場所もかなりのゆとりを持たせている。
「練炭製造を意識して作業場所を工夫したのだ。ただ、使う粉炭の想定量が半端無いので、ここは課題だなあ。今の場所のままだと、目一杯広げても出来て薄厚練炭5000個か。まずはそれで開始の号令を掛けるか。後は工房に回してもらうお金から、結構使うしかないなぁ。百太郎さんとも相談か」
助太郎が案内しながらぼやいている。
登戸の炭屋に卸す以外にも現金収入・支出の必要性から、ちょこちょこと製品を方々の村で売り捌いており、こういった細かい収入は昔からの関係もあって父・百太郎がまだ見ているのだ。
ただ、本格的に取り組むなら、父から甲三郎様に話しをして貰って、炭屋の売掛金を取り崩すしかない。
米さんが言うように、小炭団で儲けたお金で色々と準備して練炭で本番勝負する、ということなのだ。
作業現場の見回りをサックリと終え、義兵衛は工房を後にした。
『以前、甲三郎様が見回りに来られたときに結構表面だけを見せていたよな。今回俺に見せたのもやはり綺麗なところだけだったのかも知れない。割り引いて考えておく必要がありそうだ。
そうだ。後でこっそり実家の小作家の近蔵に今日の実態を聞いてみよう。いや、今日のために何か準備したのか、とか、昨日の日産量はいつもよりどれ位減っていたのか、程度にした方がいいか』
立場が上になり、大好きな現場から離れると、実態が見えなくなってくるのが苦しいところなのだ。
また、現場の方も口を挟まれないように、実態を見せなくなってくる。
いわゆる、現場からの忖度なのだ。
『工房の運営は助太郎に任せているのだから、あえて現場で作業している人には声を掛けなかったが、果たしてこれで良かったのか。甲三郎様は逐一声を掛けていて、これが現場の士気向上に寄与していたしなぁ。
どうせ今日の午後の宴会で顔を合わせるのだから、その折に色々聞いてみればいいか』
家に戻りながら、変な所に気を揉む義兵衛だった。
梅は楽天的な発想する娘です。萬屋のお婆様に次いで、きただの中では好感度(=書きやすさ)No.2位の感じです。
次回は金程村で行われる祝宴風景ですが、ちょっと描写に自信がないなぁ。
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