金程村・工房への凱旋 <C2174>
タイトル通りです。ですが、前半部分だけの話です。
■安永7年(1778年)5月4日(太陽暦5月29日) 金程村・伊藤家
もう待ってはいられないとばかりに早起きした義兵衛は、養祖父・細江泰兵衛から武家の心得を沢山聞かされた後、奥方様に手伝ってもらって武家装束になり、細江家から頂いた大刀と小刀(脇差)を身に付けた。
ただ、脇差は父・百太郎から伝来のものを貰っていることを説明すると、細江家の脇差については助太郎への土産・下賜品として扱えば良いとの話となった。
聞くところによると、甲三郎様のお気に入りとなった助太郎は、士分相当になることをこの館で下知した折、甲三郎様が椿井家の刀(大)を自ら授けたとのことだ。
だが、脇差までは下賜されておらず、どうしたものかと思っていたところだったらしい。
そして、苗字は神託にちなんで『宮田』という名乗りを許されている。
『宮田助太郎、みや・た・すけたろう、おみゃ~・たすけたろう、お前助けてやろう』
頭の中で変換してしまうと、笑いしか出てこない。
まさしく助けてもらってばかりなのだ。
さて、養祖父・細江泰兵衛に見送られてお館を出ると、実家である伊藤家までは、飛ぶような足取りになっていた。
実家の前の門の所に母が立って出迎えてくれているのを見つけると、思わず大声が出た。
「おっかぁ!ただいまぁ!
いや、ただ今戻りました」
たった一月ちょっとしか経っていないが、随分久しい様にみえた。
母は義兵衛の姿を確認すると深々と頭を下げた。
義兵衛はその母のところへ飛び込んでいって抱きかかえた。
母は目に涙を溜めていた。
「ほんに無事でよかった。よくお帰りなされた。まあ、ご立派になって……」
後はモゴモゴと涙声になって聞こえない。
義兵衛は母を抱えたまま家の中へ入り、そこで母を離すと改めて帰宅の挨拶をした。
「父上、ただいま戻りました」
百太郎とは一昨日養子の件で顔は合わせているが、改めての挨拶で面はゆい。
もっともこの挨拶は父へという訳ではなく、代々この家を継いできた祖先への挨拶でもあるのだ。
「でい」と一般に呼称される座敷に上がると、その奥にある仏間へ行き、仏壇の前で手を合わせる。
義兵衛の後ろには、父・母・兄が並んで座った。
無事帰郷の御礼と武家に取り立てられたことを報告し終えると、義兵衛は座をくるっと反転させ、3人と相対する向きになった。
仏壇を背に、家族に深々と一礼すると改めての挨拶を述べる。
「このたび、江戸で当初の役目を終え無事戻ってくることができました。
この間、私はお殿様の配慮により椿井家に仕官でき、さらに古くから椿井家に仕えてきた細江家の養子となりました。今後はお殿様に直接仕える武士として生きていくことになりました。養父の細江紳一郎様や養祖父の泰兵衛様は未熟な私をきちんと指導して頂ける方であり、武士としての心構えなどこれから身につけていくことになります。
今まで育てて頂いたご恩は決して忘れません。ありがとうございました」
「義兵衛、立派になったよのぉ。お前が居らん間、かかあは毎日神仏に無事を祈っておったが、その甲斐があったと見える。今日は村と工房を挙げての祝宴じゃ。義兵衛は主役ゆえ、いろいろ大変かも知れんが、最後までしっかりせいよ」
百太郎は忠告をくれた。
家族だけの話は尽きないのであろうが、予定が満載の一日なのだ。
家で午後から始める宴会の支度をするため、村の女手が集まってきていて、そちらへも挨拶しながら工房へ向かった。
厳しい時、苦しい時に義兵衛を支えてくれた助太郎が監督する思い出の工房である。
工房の門のところでは、いつぞやと同じようにまだ幼い春さんが背伸びして待っているのが見えた。
「義兵衛様、おかえりなさ~い」
腕を一杯に広げて振りながら大きな声で義兵衛を呼んでいる。
『やっと帰ってきたんだ』
心の底からそう思うと、義兵衛も大きく腕を振って応えた。
春が駆け寄ってきたので、ポンポンと頭を撫ぜてやると、いつかのように柔らかい頬っぺたににぃ~っと笑い顔を浮かべたのだった。
それから、門のところにバラバラと工房の面々が出てきてワイガヤが始まった。
そして、真ん中に助太郎が出てきた。
「みんな待っていたぞ。では、ここでこの工房の総代表である義兵衛様から挨拶を頂こう。皆傾聴!」
助太郎がそう言うと、面々は静まった。
「おおよそ一か月前にここを出て江戸で小炭団を沢山売るための手伝いをしてきました。
皆の必死の努力のおかげで、江戸の炭屋との契約はほぼ満たされでおり、椿井家とその知行地は今までにないほどの利益を挙げつつあります。これも皆の努力の賜物であり、感謝したい。
特にこの工房を差配する助太郎には特に感謝しています。感謝の証として、お殿様の第一の家臣である細江泰兵衛様から下賜の脇差を預かっています。是非受け取ってもらいたい」
にわかの贈呈式となった。
義兵衛が差し出す脇差を助太郎は恭しく受け取った。
皆この儀式に喝采した。
「それから、皆には江戸からもってきたお土産がある。一人一枚は十分あるばずだが、江戸市中で流行っている絵入りの手拭だ。大したものではないが、使って欲しい。では、皆を代表して、米さんどうぞ」
米は義兵衛からお土産の手拭の束を受け取ると、これを高く掲げ皆に見えるようにひらひらさせた。
皆はこのお土産に声を上げて大喜びしている。
「では、皆作業に戻ってください。なお、午後は伊藤家での宴会がありますので、皆これに参加します。午後に積み残し作業がおきないよう手配調整しておいてください。では作業にかかれ!解散!」
義兵衛と助太郎、米と梅は工房奥にある通称作戦室に向かう。
前きた時より立派になっていて、いろいろ備品も備わってきている。
さながら、役員室といった趣だ。
米は実質的な工房の技術指導・工程管理者で、梅は人事・経理管理をしており、工房でのことは助太郎を加えた3人で決める体制となっているそうだ。
そして作業者も、あれからさらに12人増えて42人規模になっている。
増加の多くは、下菅村と万福寺村からの応援である。
小炭団の生産は4組のラインで生産されていて、それぞれ米組・梅組・桜組・弥生組と管理する責任者の名前で呼ばれている。
各ラインで日産8000個、工房として32000個を達成しているのだ。
膨大な木炭は、人手で粉にしており、こちらは主に追加応援の人に担当させている。
こういった状況を確認したあと、今後の見通しについて義兵衛は説明をし始めた。
「江戸ではやっと卓上焜炉が料亭に浸透し始め、小炭団の需要はますます高まることが予想される。ただ、1個8文の小炭団は高く、炭屋が焜炉のおまけとして付ける分が最後に捌ける分になると踏んでいる。今日までの時点で累計約120万個生産しているはずだが、累計160万個出来た時点で小炭団の生産は止め、薄厚練炭の生産に切り替えて欲しい。あと40万個だけだ。
詳しくは、私がまた江戸に行った時に調べて連絡するが、おそらく萬屋以外の木炭問屋でも小炭団と同じものを作り始めているに違いない。なので、150万個を登戸へ出した後は、追加注文はもうない」
いきなり深刻な話でどうかと思ったが、米は平然としている。
「その話は耳タコですよ。小炭団の受注は70万個が100万個になり、今150万個でしょう。もう、うんざり。
最初の練炭の頃が懐かしいですわ。七輪・練炭が勝負の本丸でしょう。貯まったお金で勝負に出るのですよね。私はワクワクしながら、今か今かと切り替えの号令を待っているのですよ」
この米さんの言い草に義兵衛はいささか拍子抜けし、また安堵したのだった。
話の長さから、中途半端な終わり方で申し訳ありません。
次回は、工房で話の続きです。
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