巫女様の身柄を確保 <C2172>
この時代の知ることを話した富美・阿部に有要性を見出した甲三郎様はその身柄の確保に動きます。
天明の世で何が起きるのかを滔々(とうとう)と女子大生口調?で語り終えた後、阿部美紀は言い訳のように言葉を繋げた。
「私が覚えているのは、これくらいよ。学校で教えてもらってから、もう15年も経っているのだから仕方ないわね。その間、思い出したり話をする機会もなかったわ。富美さんは25歳かも知れないけど、憑いている私はもう32歳なのよ。そうそう昔のことなんて覚えている訳ないわよ」
阿部美紀の15年経つという発言に不思議を覚えたが、俺より8年早く、かつ7年も古い時代に飛ばされたのだから6歳年上ということで一応辻褄は合っている。
してみると、15年も誰にも話しを聞いてもらえずにいたのだから、その孤独を推し量ると胸にこみ上げてくるものがある。
昔から、やたら変なところに首を突っ込み、強気でリーダーを張っていた「あべみ」も、この事態には相当参っていたに違いない。
「うむ、して義兵衛。巫女様・阿部美紀様の語られた内容は竹森貴広様の知っているものと齟齬はないか聞いてみてくれ」
「天明6年の江戸大洪水の件は知らなかったことです。それ以外は齟齬がありません。あと俺が知っていることを付け加えるのであれば、天明2年7月に江戸に影響が出る大きな地震があり、江戸城の櫓の一部が壊れたということくらいです」
義兵衛の言うことを腕組みして聞いていた甲三郎様は渋い顔をしている。
「天明の時に起きることは概ねその程度か。神託ということであれば、聞くことは叶わないと思っておった。だが、ただ未来の世から来てその中で知っていることを場面に応じて披露しておったということであれば、もはや遠慮することはないのぉ。先ほど桶狭間の例を引いて説明しておったが、例えば織田信長様に『桶狭間で今川義元を打ち取ることができます』と未来から来た誰ぞが教えたのかも知れん。そういう風にも考えても良いのではないかな。義兵衛の言う様に、知ることで未来が変わるというのは、所詮結果論じゃ。ここで伏せても何程のこともなかろう」
これは一体どういう理屈だ。人事さえ未来からの干渉の結果、俺が習った歴史に沿うということなのだろうか。
いや、そんな理屈はあってはならない。
「いえ、それならば天明の大飢饉で餓死する人を減らそうという私の努力は実を結ばないということになってしまうではないですか。確かに、桶狭間は少数の兵で勝利するというあまり例がないものなので、それこそ未来知識の関与というのは面白い考えなのかも知れませんがね。それで、結局、甲三郎様は何が仰りたいのか、わかりません」
失礼とは思いながらこう問いかけた。
「神託という一方的な話であれば、いくら説いても聞くこともできんが、その実が、単に未来から見た今の時代の出来事ということであれば、知っていることを聞けると思った次第よ。それで、天明の大飢饉に限らず、ご公儀やこの椿井家について何か知ることはあるか。申してみよ」
そりゃそうだ。
競馬の勝ち馬や、博打の出目、暴騰する株なんていうものを知っている可能性がある、というならこれを聞かない手はない。
だがそこは、俺がごくごく一般の人なのだから、何でも知っているハズがない。
学校で教わる日本史なんて、広く浅くが基本なのだから、徳川将軍15人の全員の名前が言える人がどれだけいるかも疑問なのだ。
もっとも、あべみも俺も、高校当時は結構日本史好きだったことは確かなのだがな。
何せ覚えれば覚えただけ、模試や試験の点数があがるのだから。
「はい、まず椿井家について、そのような旗本家があること自体知られてはおりません。後世にまで伝わるような目覚ましい働きはなかったのではないかと思います。それはまた、悪名高いという状態でもなかったということです。ただ、お家が240年後まで断絶せず続いている保証もございません」
この失礼な言いように爺は憮然として義兵衛を打ち据えて叱ろうと思ったのか、中腰になりかけた。
つかさず、甲三郎様は手の平を爺に向けて伸ばした。
「爺、よい。寧ろ責めるべきは方便と称して最初から真実を語らんかった点である。それについては別途詮議する。多少の無礼はこの際どうでも良い。知っていることを吐かせることのほうが重要じゃ。
そうか、爺。ちょっと義兵衛を別の部屋に連れて行き、逃げ出さんように押さえておれ。まずは、この巫女様の阿部美紀からいろいろ聞いてみる」
そう、示し合わせできないようにして個別に聞き出すのが尋問の初歩なのだ。
義兵衛は爺に2つ隣の部屋に連行された。
「これ、義兵衛。甲三郎様に対する口調や態度が全くなっておらん。甲三郎様は誠にお優しい方なので許しておられるが、お前はお殿様の家来衆なのじゃぞ。そのことをどんな時も忘れてはならん」
それから始まる小言をビシッと正座させられ、たんまり聞かされた。
抑えこまれた時思ったのだが、爺は歳のクセして鍛え抜いているのか体力は半端ないのだ。
これは、絶対逆らえないし、道義的にも敵にまわす訳にはいかない人物なのだ。
そして確かに、この時代の武家の常識は一切抜けているので、返す言葉もない。
かれこれ一刻(2時間)ほど、もっともな小言を聞かされた後、爺と一緒に甲三郎様と巫女様がいる部屋に呼び出された。
一体どのようなことをどこまで明かしたのかを不安に思いながら部屋に入ると、神主様も呼ばれていた。
「関係する者が皆揃ったか。
では、この巫女様の扱いについての相談じゃ。この巫女様を是非とも当屋敷に奉公させたい。ついては、高石神社にそれなりの寄進を当面毎年行うということでどうじゃ。もしくは、巫女様を高石神社から落籍せるという格好で、一括した寄進を行うということでも良い。その寄進で新しい巫女候補を雇い入れれば良いのではないかな。お互い悪い話ではなかろう」
赤ら顔の神主様はこの提案に魂消ていたが、やがておずおずと口を開いた。
「富美は高石神社に奉公すると言っても、ご実家の都合で幼い頃より預けられたという格好じゃ。なので、実家との関係はもはや無いに等しいので、こちらの存念で如何程にでもできるというのが実態じゃ。それで、一括として、いかほどの寄進となりましょうか」
まさに人身売買の瞬間であり、神主様ともあろう方がこうもあっさりと話に乗ってくるのは驚きである。
巫女様本人の意思はどこかへ飛んでいる。
しかし、不思議なことに巫女様自体はいやそうな顔をしておらず、甲三郎様との間で一体どんな会話が繰り広げられていたのだろうかを訝しく思った。
「そうさな、金40両でいかがであろう。4両を10年に分けてでも良い。こちらの館としてもこれが上限じゃ。可能であれば、今日からこの屋敷に留め置きたい。この条件でどうかな」
甲三郎様は畳み掛けるように神主様に迫る。
迫力に負けたのか、神主様はあっさりと投げ出した。
「判りました。一括でご寄進頂けるということで宜しゅうございます。私物については後日お届けにあがりましょう。
富美、そのような仕儀となった。この屋敷でしっかりと奉公するが良い。ご実家にはワシから話しておく。もっとも、普通の奉公ではないので、給金を入れるようなことはして居らんかった故、あまり意味はないがのぉ。居場所が変わった位のことでしかない。それで良いかな」
「はい、ご配慮頂きありがとうございます。また、概ね20年という長きに渡り面倒を見て頂きありがとうございました。神社の皆様にはよろしくお伝えください。
今日からご厄介になります。一生懸命奉公させて頂きますので、宜しくお願い申し上げます」
ここに巫女様は巫女であることを止め、ただの富美となってこの館に終身で奉公することとなったのである。
こんなに急に環境が変わるのに、何の不平もなく、なぜか喜んでいる風にも見える。
「爺、寄進する銭を急ぎ包んでまいれ。それから当屋敷での巫女様の扱いは金程村から奉公に来ている千代と同じ待遇でよかろう。後で案内してやれ」
こうして、巫女様ならぬ富美はこの屋敷に奉公人となることで身柄を確保された。
見方によっては、甲三郎様は阿部美紀の未来知識を金で独占した、ということなのだ。
40両で富美を売り渡した高石神社の神主は、新たな幼い巫女候補を雇い入れる資金ができたことを喜んでいることでしょう。
さて、阿部様から色々と事情を聞いた甲三郎様がどう動くか、というのが次回です。
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