萬屋で過ごす日々の終わり <C2162>
いよいよ4月末が近づいてきました。萬屋で働く日々ももう終わりに向っていくのです。
■安永7年(1778年)4月23日(太陽暦5月19日) 萬屋
朝から萬屋の店頭がいつものように大きく賑わっている風景とは逆に、作戦本部である茶の間は、いつもの面子を揃えて沈痛な空気が支配していた。
それは、加登屋さんが4月末で江戸から登戸に戻る、ということもあるが、義兵衛もまた萬屋の陣頭指揮から外れるべき、という椿井家の意志が明確に示されたことによるものが大きいのだ。
「それで、この萬屋に詰めて頂くのをそろそろ終わりにする、というのを見直して頂くことはできないですかねえ」
千次郎さんは、もう何度目になるのか、同じ言葉を繰り返した。
「ここへのさらなる長逗留は、長い目で見た時に萬屋のためにならない、というのが椿井家からの意見であり、家の仕事が溜まっている以上早晩こうならざるを得ません。
幸い、卓上焜炉の許諾制については北町奉行様の賛同を頂けているようですし、萬屋と八百膳が協力すれば、あとは何をどうするかは見えているではないですか。万一、何か問題が発生してどうにもならなくなったら、その時に僕を呼んで頂ければ良いのですよ。また、同心の戸塚様はあてになる方とお見受けしました。飢饉になる噂の話をしてしまいましたので、いっそ萬屋もそのために、江戸市中での米不足による不測の事態を防ぐため努力している、ということにされてはどうでしょう」
「とてもではないが、そのような難しい橋は義兵衛さん抜きで渡れない。今片付けねばならない案件でも、一体どれくらいあるのかが全く見えていないのだ」
「悩むことはありませんよ。決めなければならないこと、検討しなければならないこと、動かなければならないことを書きだしましょう。僕にも経験がありますが、なにやら沢山重荷をかかえてどこから手をつけて良いか判らない時は、その重荷を一つづつ書き出す、つまり棚卸すると、案外と量がなかったりするものです。そして、本当に重たい課題は、課題内容を複数の『……せねばならないこと』というより小さい目標や行動に分割してしまうのです。さあ、やってみましょう」
こういって書き出し、項目を整理し始めた。
・焜炉許諾制度の立ち上げ
> 随時、同心・戸塚様への報告
> 仕出し膳を出す料亭を集めた座の立ち上げについて奉行所の承認
> 座に加わる料亭の募集
>> 主要料亭を集めた設立趣旨説明会の開催
>> 募集のための興業として、仕出し料亭番付瓦版の発行
> 審査機関・協議の場の設定
> 審査結果公開準備(方法・場所など)
・深川焜炉増産要否判断
> 追加6000個(120組)を依頼(辰二郎:120両、秋葉神社:45両の支払い)
> 金程村への小炭団追加依頼(6月末までに、更に50万個を追加し計150万個=2250両の売掛分)
・瓦版版元対応
> 新料理紹介
>> 湯葉鍋、豆乳汁野菜煮(八百膳に協力依頼)
>> 柳川鍋(武蔵屋に協力依頼)
>> 焼き魚の焜炉炙り
> 料理番付
>> 番付表の定期発行(八百膳に協力依頼)
>> 仕出し膳料亭の座設立広報・料亭募集案内
>> 仕出し膳で使用可能焜炉広報
・椿井家仕出し膳準備
> 加登屋さんに依頼
・料理比べ企画
> 千次郎さん預かり(実行開始時に相応の待遇で椿井家・義兵衛へ応援要請)
「こうやって書き出すと、いささか多いですがそれぞれは大したものではありません。難しいと思えば、打つ具体的な手は何かなど細かく分ければ良いのです。あとは実施と完了の予定時期や優先順位など決めていけば良いのです」
義兵衛が説明すると、お婆様は書き出した表を見て感心している。
「確かにこのような形にすると、せねばならぬ手の打ち忘れは防ぐことができるのぉ。ここに、江戸市中の飢饉対策を追加しても良いか。わたくしももう歳ゆえ、なにかと無駄な動きが多いし、肝心なところへの根回しを忘れることも最近ちと多いのじゃ」
「この表にした方法は、萬屋さんが今後の商売を進めるにあたって参考になると思います。絶えず気にしなければならないのが、書き出したら終わりではない、という所です。書いた時点の状況は反映されていますが、その後に起きた状況変化や、作業の失敗による見直しなど常に状況は変化します。定期的にもしくは何事か起きたら随時、表の書き出しを皆で行い、過去に作った表との対比をした方が良いです」
本物の天才が事業を興すなら、このような道具は全く必要ないのだが、生憎ここ萬屋にいるのは多少できるにせよ、凡人なのだ。
凡人が事業を回していくためには、それなりの経営道具や使える方法論は必要なのだ。
千次郎さんが義兵衛の説明にしきりに頷いている。
「まだ義兵衛さんが萬屋におられるうちに、この表の書き出し・棚卸を何度かやってみましょう。慣れさえすれば、難しいことではなさそうです。
ただ、このやりかたでは、新しい試みが入りません。
具体的な例は、あの瓦版の版元への売り込みです。義兵衛さんが『噂を広げる』と一喝されたことを覚えてますよね。どうも萬屋は待ち姿勢がすっかり身についてしまって、攻めるという意識が足りてないようです。料亭の主人や女将は、機を見てどんどん積極的に次々と手を打ちます。こういった所は、見習わねばなりません。
『萬屋』の名前は、世の中の森羅万象に首を突っ込むという意気込みで祖父・七蔵が名付けたのだと、お婆様から何度も聞かされております。この意気込みを忘れないためにも、義兵衛さんの一喝から受けた衝撃を、いつも思い出しましょうよ」
お婆様は、千次郎のこの言葉に感極まって、しきりに手布巾で目頭を押さえている。
『この分だと、もう萬屋は安泰だろうな。小炭団の売上状況は、忠吉さんが定期的に椿井家に報告してくれているようだし、これが落ち着いたら、秋口に向けて練炭と七輪量産に向け舵を切ればいい。七輪が不足しそうであれば、辰二郎さんを頼ろう。それにしても、椿井家と村で使えるお金が、金2000両だってさ。米問屋からの借金を返して、蔵を立てて、米を備蓄して……。
最初に150両という大金をどうやって稼ごうかと頭を悩ませたのが、全く嘘みたいだ。
金程村に限っていれば、猟官運動が無ければ、天明の大飢饉で餓える心配はもう無いに等しい感じだな』
そうして、萬屋の面々は、それぞれの項目を実現すべく昼夜を問わず奔走を始めた。
特に、義兵衛なくしては立ち上げが難しい許諾制度の要、受け皿となる「座」を作る動きである。
■安永7年(1778年)4月25日(太陽暦5月21日)
加登屋さんと一緒に愛宕・椿井家の屋敷を訪れ、約束の料理を披露した。
給仕する料理は『湯葉鍋』『柳川鍋』『豆乳汁野菜煮』『焼き魚の焜炉炙り』の4種類である。
昼膳ということもあり、一品毎の量は少なめだが、焜炉を取替え引換えしながら次から次へ配膳する様子は、普段おき得ない贅沢な状況が出現したのだ。
「今回『どじょう鍋』ではなく、それを応用した『柳川鍋』を供させて頂きました。現在、向島の武蔵屋で『どじょう鍋』を出していますが、いずれどの料亭でも同じようなものが出されることが考えられました。そのため、他の料亭との差を際立たせることができるよう、更に手の込んだこの『柳川鍋』を伝授しております」
加登屋さんの説明に、お殿様は大きく頷いた。
「すると、世間に先んじて賞味させてもらっているのか」
「この『柳川鍋』はとても美味しく思います。間違いなく評判になりますわ」
奥方様も手放しの褒めようだ。
「最後の『焼き魚の焜炉炙り』は、これから仕出し膳では多用されるであろう料理です。ワシが考案しましたが、江戸市中では八百膳さんのところから提供され始めるのではないかと思っております。ワシはもう数日したら萬屋の応援を終え、登戸村の店に戻る予定です。いわばこれが最後の仕事なのです」
「加登屋さんも僕も、小炭団の販売を確実にするために4月一杯萬屋への応援をしておりましたが、期限が来ております。僕もそろそろお屋敷で紳一郎様に就いてお勤めさせて頂きたいと考えております。
ただ、勝手を申すようで心苦しいのですが、秋口の七輪・練炭販売の頃は、村の売り上げ・売掛金積み上げのため、萬屋へ応援に行かせて頂きたいと考えております」
「うむ、相判った」
お殿様のこの一言で、萬屋でのこと・方針は全て決着がついたのだった。
加登屋さんも義兵衛も、萬屋での日々を終えようとしています。
しかし、その前の大仕事が1件あり、その大舞台で、というのが次回です。
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