幸龍寺客殿でのお目見え <C2154>
前回でお目見えの儀式相当は終わっていますが、実質的な話しをするということでこのようなサブタイトルにしています。
八百膳・善四郎さんのはからいにより、浅草・幸龍寺の客殿応接間の横にある小部屋で、法事に出席していた北町奉行・曲淵甲斐守に直接ものを申し上げるという望外の機会を得た。
そこで、卓上焜炉に関する懸念を義兵衛は話し始めた。
「お話ししたいのは、この仕出し膳に使われている卓上焜炉のことでございます。
先にご賞味頂いたように、暖めた菜を仕出し膳で頂けることで料理の幅が広がりますが、そのためには火を使います。今出している卓上焜炉は、火事の火種になりにくいように工夫を重ねております。単に火で暖めるだけということであれば、こちらの焜炉のような簡単な形のものでも用は足ります。しかし、何かの弾みで火種になりかねない構造です。従い、火事の火種になりやすい卓上焜炉を仕出し膳には使わせないような施策が必要と愚考する次第です」
3本脚が剥きだしの火皿を支えるだけのいかにも危ない焜炉と、萬屋が扱う4本脚で火皿を底面で支える形の3種類の焜炉を並べて見せると、御奉行様はこれを手にとって見比べた。
「仕出し膳の焜炉か。確かに料亭で扱うのとは違い、取扱う者がどうかは判らん分、火事の火種とならないようにする工夫はいるじゃろう。ははぁ『火事の懸念がある故、仕出し膳では卓上焜炉を一律使ってはならん』となることを見越して、その対策を聞かせるということか。で、具体的にどんな構図を描いておるのか、話してみよ」
流石と言うべきか、ほんの少しの言葉で説明したい『危惧の内容』に思いあたった様だ。
これなら、結構要点を絞った説明で済みそうだ。
「はい。
まず、仕出し膳を提供する料亭を集め座のようなものを作ります。そこで、許可された卓上焜炉以外使わないよう規制します。卓上焜炉を使用した仕出し膳毎に例えば一文程度を座の運営費用として充てます。
この法事では50膳用意したということですので、座は料亭の八百膳から50文を集めます。
次いで、卓上焜炉は座にかかわる別な組で、一定の安全配慮がされているかを審査し、お奉行様に届け出いたします。無許可の焜炉を使って仕出し膳を仕立てた場合は、座が対処します。
それから、座の運営費用から、各火消し組にその地区の焜炉膳数に応じた冥加金を献上させて頂きます。
大雑把ですが、こういった構図で対応を考えております。
萬屋が扱う卓上焜炉は、仕出し膳に使って差し支えないとのお言葉を頂けると大変嬉しく存じます」
義兵衛の説明を聞いて、曲淵様は腕を組んで考え始めたようだ。
勢いで言ってしまったが、最後の一言は余計だったかも知れない。
「なかなかに考えておるではないか。仕出し膳に使って差し支えないという審査はどのように運ぶつもりじゃ。理不尽なことが行われるとすれば、そこが肝じゃろう。人を信用せん訳ではないが、公平に審議せねばならぬ所に、個人の遺恨で結果が左右される余地を作ってはならぬ」
なかなか鋭い指摘なのだ。
特に『公平な審議』が賄賂によって歪められるということを懸念しているのは間違いない。
充分工夫され対策されている卓上焜炉が賄賂不足で不適合という事態は充分想定されるのだ。
そして、逆もまたしかり。
「審査は、仕出し膳の座の代表・焜炉販売を行う店の代表・町火消しの代表による合議で行うことを考えておりました。しかし、公平に審議ということでは、単に合議とするだけではご指摘頂きましたように問題があります。この構図については、まだ何も手を付けておりませんので、具体化にあたってはお奉行様の御知恵をお授け頂きたくお願い申し上げます」
合議制にすると一見公平性は増すように見えるが、単に賄賂の送り先が増えたにしか過ぎない。
技術よりも資力のあるものが優先されるというのは、対策する先が火災だけに間違っていると思うのだ。
「うむ。丁度手が空いた同心が居る。ちょっと待っておれ」
曲淵様は廊下に顔を出し、小坊主に何事か申し付けている。
多分、手の空いた同心がこの法事に出席しているようだ。
奉行・与力・同心という組織階層構造であれば、通常奉行が同心に直通しているということはあまりないはずなのだ。
いわば、部長が課長を飛び越えていきなり係長を呼びつけている図式なのだ。
まあ、非公式の場なのでちょっと裏話を聞かせておこうという腹なのか。
その同心を相談相手にしてくれるということであれば、願ったり叶ったりだ。
間もなく部屋にお武家様が入ってきた。
「こちらが、町奉行所の同心・戸塚順二じゃ」
「「あっ」」
なんと小石川薬園でお目にかかったことがあるあの戸塚様なのだ。
向こうも義兵衛の顔を思い出したように、二人同時に声を上げた。
「戸塚様、このような、なんとも摩訶不思議な場所でお目にかかれるとは思ってもおりませんでした」
「確か、金程村から来て、薩摩芋やら赤唐辛子のタネを渡した坊主。このような場所でお奉行様を相手に何を話しておるのだ」
向かい合って思わず声を上げてしまった。
曲淵様はニコニコしながら言う。
「これは、知り合いであったか。互いに紹介する手間が省けたわい。ひょっとすると、田甫の幸龍寺の御本尊・三宝尊の御導きやも知れぬ。これは誠に幸先が良い」
「お奉行様。この坊主は、以前に金程村という寒村から救荒作物の薩摩芋を受け取りに来たり、その後も防虫の用途として赤唐辛子の種を分けて欲しいと言ってきた村の子供ですよ。寒村と言いながら、ご用の都度銀10匁を療養所への喜捨をしてくれるなど、珍しいこともあるものよ、殊勝な者よ、と報告した正にその相手です」
あの時の銀10匁が生きてきた。
初対面ではなく、しかも前の時に良い印象で残っている。
『父・百太郎の教えに間違いはない。まさか、このようなことになるとは思ってもいなかったが、経験に裏打ちされた銭の使い方は、これは大層なものだ』
善四郎さんと千次郎さんは、あまりもの偶然に驚いたままの表情で固まっている。
そんな中、曲淵様は戸塚様に、今の焜炉について解釈した話を伝えている。
その話す内容をこちらも聞いていて、その理解力に驚いている。
説明を省いたことも推測でこうなると見えていることまで追加している。
しかも、思っていた通りなのだ。
「そういう訳で、後日萬屋に居る義兵衛を尋ねて構想を実際にできる所まで煮詰めて来い。小石川から移ってすぐの初仕事じゃ。多分に面白い仕事になりそうじゃ。励めよ」
戸塚様にそう指示すると、まだ固まっている善四郎さんに軽く挨拶をして曲淵様は客殿に戻っていった。
「では、義兵衛さん。お奉行様からの指示での初仕事となります。この場はちょっと呼び出されたという格好なので、明日、日本橋の萬屋にお邪魔するということでよろしいですかな。
お互いの立場や経緯なんかは、その時お話しさせて頂ければと思っております」
義兵衛が同意したことを確かめると、善四郎さんと千次郎さんに軽く挨拶をして戸塚様も客殿に戻っていった。
3人だけになると、善四郎さん・千次郎さんは硬直状態が解け、義兵衛を質問責めにしたのだ。
小石川にいた同心・戸塚様が窓口となりました。
そして、翌日というのが次回です。
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