萬屋の盛況 <C2152>
4月14日~19日まで、一気に6日間の様子です。
説明調になっていますが、ご容赦ください。
■安永7年(1778年)4月14日~4月19日 萬屋
萬屋店頭での『湯豆腐』実演販売は、瓦版で語る以上の衝撃と噂を江戸市中の料亭の主人や板長に引き起こした。
加登屋さんの料理に対する真摯な語りは、朴訥であるが故に、萬屋を訪れた料亭主人・女将の心を打ち、それに刺激された板場の人間が萬屋に出入りして、直接話を聞くという事態までになっていたのだ。
そう、江戸市中の板場で、加登屋さんは一躍名声を博したのである。
中には高給で加登屋さんを雇おう、という申し出をする料亭まで現れる始末となった。
もちろん、加登屋さんは懇意の萬屋さんの所に応援に来ただけの身であると、即座に固辞している。
こういった姿勢に一層惹かれたのか、実演に魅入られたのか、店頭での卓上焜炉の売り上げは鰻登りとなった。
武蔵屋と八百膳の極一部の人間は、この萬屋の一連の動きが全部義兵衛の入れ知恵で動いていることを薄々は感じていた。
勿論、萬屋の面々は内幕を全部知っている。
しかし、このことは内緒とされ、幸いなことに広がることはなかったのだ。
初売り出しから7日間、萬屋の前は空前の盛況が続き、卓上焜炉の売り上げはとんでもないことになっていた。
萬屋のことを書いた瓦版が、日本橋・京橋というところから、日を経るにつれ、愛宕・六本木・赤坂・千駄ヶ谷・市ヶ谷・牛込・小石川・下谷・浅草……と、お城を廻るように販売地区を広げていくと、押しかける料亭がドンと増えてくる。
こんなにも料亭があったのか、と驚くほどの数なのだ。
準備していた卓上焜炉は19日までの累計で94組もあったのだが、これが18日時点ですでに完売してしまった。
途中金程村から300個の追加搬入があったものの焼け石に水という状態で、20日に搬入される深川製待ちという事態にまでなっていたのだ。
のみならず、萬屋の店から卓上焜炉をかかえた手代が出てくると、それを囲んでその場で競り落とそうとする一群まで現れた。
『持っている焜炉1組、今ここで10両出すから譲ってくれ』
『いやいや、やっと手に入れたお道具なので、これを持ち帰らねば主人に叱られてしまいます』
こうなってしまうと、バッタもんの出現は早まるに違いないが、それを阻止すべく神社の許諾を得てご印を押している。
果たして、向島の秋葉神社から『ご利益のある印を押したいとの申し出が日暮里の焼き物屋からあったが、寄進頂く金額の折り合いが全く付かず、その場で追い返した』とのご注進まであった。
これもいずれ萬屋が納めている1個30文という話が漏れると50文あたりで神社が手を打つ可能性はあると見ている。
次の手である仕出し用焜炉の許認可という制度の確立を急がねばならない。
ちなみに、店頭売り出し前までの出荷がおおよそ1300個、売り出し後の出荷が4700個と、当初予想していた6000個は完全に上回る旺盛な需要があったことになる。
そして、何よりこれだけの焜炉が出るということは、その燃料となる小炭団も必須となり、1000個単位で小炭団が飛ぶように出荷されるということになるのだ。
19日までに登戸経由で納入されていた小炭団は累計50万個にもなっていたのだが、すでに20万個は売れてしまっているのだ。
これは本業としても400両の売り上げであり、この時期にしてはとんでもない現金収入になってしまっていた。
そして、本格的に焜炉料理が料亭で使われ始めると、どんどん消費されることは間違いない。
義兵衛は千次郎さんと話をして、70万個という契約の追加条項で、できればもう30万個という約束を取り付け、金程村の助太郎に急ぎ手紙を出したのだった。
「義兵衛さん。瓦版の活用、深川製の卓上焜炉の準備、加登屋さんの店頭実演という手段まで教授頂き、感謝の念に絶えません。当初思っていたように、噂が広がるに任せていたらここまで盛況になることは無かったと思います。特に、このような事態になると、深川製の追加生産を躊躇っていた我が身が恥ずかしくなります」
作戦本部である茶の間で、千次郎さんが深く頭を下げてきた。
「いえいえ、これも萬屋の皆さんが心を一つにして頑張った結果です。上り坂なのですから、この機を逃さず強気で行きましょう。深川の辰二郎さんには、勝手ながら更なる増産をお願いしています。明日20日は1500個納入してくれるそうですし、月末までにもう4500個をお願いしています。結局、辰二郎さんの所へ10000個分・200両の支払いと、向島の秋葉神社へ60両の追加支払いとなりますが、ご了承下さい」
この独断にも快諾を得て、この後のことも協議した。
「やはり気になるのが、八百膳さんからの口利きです。この話は具体化するまでは秘しておかねばなりません。なので、『湯葉鍋』という題材を今瓦版にできないのは辛いですね。
いつも話をする瓦版の版元さんは、これまでの実績から黙っておいて貰えるとは思うのですが、焜炉料理廻りのネタ探しに夢中になっている他の版元さんから大事が漏れる可能性があると考えます。漏れたら、ことの成就は成りません。料理番付の話も、版元に言って進めることを遠慮してもらっている状態ですから、何かいい打開策はありませんかね」
少し弱気になっている義兵衛だったが、千次郎さんからの話で元気を取り戻した。
「実は、気になっていたので八百膳さんに問合せしていました。例の北町奉行の曲淵様が出席される浅草・幸龍寺での法事が4月20日に決まり、精進の仕出し料理の依頼があったと教えてくれました。善四郎さんは、わたしと義兵衛さんに来て欲しいとのことです。どのような仕儀になるかまでは判りませんが、事前にいろいろと考えておく必要がありそうですね。
それはそうと『この店で行っている実演販売の様子を瓦版にしたい』との申し出が懇意にしている版元からありました。加登屋さんの人気は凄いものがあります。『湯豆腐』の進化系の話しは説得力があるので、是非瓦版にしたいそうです。一連の焜炉料理を載せた瓦版を組として扱うと結構人気が出ているとのことです。こうなると、八百膳さんの『湯葉鍋』は、まさしく大人気間違いなしでしょう。20日に会った時に、どこまで載せるかも含めて相談してみましょう。その際、他の版元の聞き取りには応じないよう、念押しも必要ですね」
千次郎さんも、この状況で全体の指揮をするという立場でいろいろと目端が利いてきている。
思い切り繁盛している萬屋の姿に何を思うのか、お婆様が毎日早朝から深夜まで茶の間に陣取っているが、こういった千次郎さんの姿を見て満足げな表情になっている。
お婆様のこのところの普段の様子を、こっそり忠吉さんに聞いてみた。
「ひところ癇癪が酷いと思っておりましたが、主人が八百膳さんに交渉しに出かけた日あたりから、もうご機嫌で張り切っております。今はこの繁栄している状況に躍り上がって喜んでいるのがヒシヒシと伝わってきます。
こうなったのも、義兵衛さんがなにやら主人に策を授けたのでございましょう。町名主や町年寄りの所へも足茂く通っており、少し前に比べとても輝いて見えます。これも、本当に義兵衛さんのおかげでございます。願わくば、この繁栄がずっと続いて欲しいものです」
その通りだが、願うという受身ではなく、繁栄を続けるためにはどうすれば良いのかを考え、無駄を覚悟で前もっていくつも手を打つということを積極的に行わないといけない、という風になっていかないのが、忠吉さんの残念なところなのだった。
いよいよ体制側との接触が始まります。
次回はその準備とファーストコンタクトという風景になります。
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