萬屋からの卓上焜炉売り出し初日 <C2151>
※7月8日の150話目で100万PVを達成しました。
これも読んで頂ける皆様あってのことであり、感謝の気持ちで一杯です。これからも頑張っていきますので、引き続きよろしくお願いします。(いったいどうやって終わればいいのだろうか)
さて、もう名前も忘れかけた竹森貴広さんがこの時代に転移して65日目で、やっと焜炉の一般販売が始まります。
■安永7年(1778年)4月13日(太陽暦5月9日)
瓦版を売る読売の謡が日本橋・京橋と向島に響き始めた。
今までの『湯豆腐』『しゃぶしゃぶ』『どじょう鍋』に続く食文化の締めとして『料理用卓上焜炉』を宣伝する瓦版になっている。
版元は、近場と縁の深い場所から手を付けることにしたようで、初日用として昨日の内に2000枚を擦り上げている。
そして、明日からは違う場所へ移動して売る手筈にしており、版元では今日中にさらに3000枚と強気の生産をしている。
「向島と京橋の料亭で、新しい料理ができた真相は、なんと日本橋の木炭問屋・萬屋さんが売り出した焜炉に根っこがあったことが判ったというお話だよぉ~。今までは売り物の数が少なかったために、萬屋さんが懇意にしている向島・武蔵屋と京橋・坂本の2料亭にしか売り込んでなかった、という代物だよぉ~。さあて、この焜炉、食事時に専用の小さな木炭を燃やすことで手元の料理を温めるという仕組みだぁ~。料亭向けに、50個を組にして今日から広く売り出そうってんだから、こりゃ本物を手にとって見てみようと思うのが道理じゃないかねぇ~」
雑踏の中でも通る、少し高めで張りのある声が通りに響く。
「この焜炉を使った料理は、今の所、向島で『湯豆腐』があり、坂本では『しゃぶしゃぶ』、武蔵屋では『どじょう鍋』があると、先の瓦版で報告した通りでござぁ~い。この料理、焜炉を売らんがために、萬屋が外から助っ人の腕利き料理人を呼んできて、それぞれの料亭の板長と開発したという話は、すでにご存じのこと。今回は、その開発秘話を聞き出したという話でござぁ~い。それぞれの料亭のご主人・板さんは、この話を知らなきゃ、新しい焜炉料理の開発に遅れをとりますぞぇ~」
料亭関係者への訴えである。
『開発秘話』というクスグリに反応しない料亭はないはずだ。
「ちなみに、焜炉50組に皿と小炭団をつけて、掛け値なし・現金払いで6両(=60万円)と少しお高い。だがぁ~、向島の料亭の方々は、予約していた坂本分を、準備が出来上がると横取りをしてしまったぁ~。坂本に仁義を切って、そのお代がなんと銀10匁。そして買い取りが定価2倍の12両。これが高いのか安いのか。そのあたりのことも、ちょこぉ~っと販売元である萬屋の声も、本音も出ているよぉ~。
真相は、中身を読んでのお楽しみでぇ~い」
このあたりは、先行購入した向島の料亭が激昂する内容で、4文出して買うしかない謡になっている。
人の不幸は知りたがるという民心を知り尽くした悪どい版元の性が丸見えである。
さて、その瓦版のネタ出所である萬屋では、店を開けた直後から、日本橋・京橋地区にある料亭の主人や手代がポツポツと現れ店に入ってきている。
皆、展示用の卓上焜炉を手にとって見入っている。
形や色合いの差だけでなく、神社の刻印があり、それぞれ違っていることに見比べて気づいている。
この時点で客に出せる現物が、深川製13組、萬屋製14組、金程製9組の36組あり、全部捌けると216両にもなる。
小炭団は30万個以上(小売金額で600両分)積みあがっており、こちらは当面不足の心配はない。
角皿・丸皿もそれぞれ2000枚も用意されており、抜かりない。
明日になれば、午後にも深川製焜炉も1000個=20組が届くので、イザとなれば明日届けるという話で済ませることができる。
一通りの賑わいの山が過ぎた頃に、店の土間に続く座敷で、萬屋製と金程製の卓上焜炉を使い、加登屋さんが実演を始める。
ここでは一番簡単な『湯豆腐』を演じてみせる。
「加登屋さん、実演される料理で、坂本さんのところの『しゃぶしゃぶ』とか、武蔵屋さんのところの『どじょう鍋』は予定されておりますかな」
客の中には、瓦版で『2つの料亭の看板商品が実は加登屋さんが入って出来上がった料理』ということを仕入れていることから、期待する向きの声が上がった。
『今日の販売で実演してみせよう』となった時に、事前に予想されていた事態なので、加登屋さんは落ち着いて『湯豆腐』を小皿に取り分け見ている客に試食させてから、おもむろに応える。
「いいや、今日の実演はこの『湯豆腐』だけじゃよ。だが、料理というのは奥が深い。最初は白湯で熱くした湯豆腐をお見せしよう。だが、白湯ではなく出汁を効かせたもので熱するとか、薬味を工夫することで、たかが『湯豆腐』が変わるのじゃよ。それが料理人としての腕の見せ所じゃないのかね。なので、最初の普通の『湯豆腐』が終わったら、次は出汁を変えた『変わり湯豆腐』を実演して見せようぞ。それ以外にも、豆腐というのは淡白なだけに、まだまだ変化させられる素材なのじゃよ」
向島から来たであろう料亭の主人がこの言葉に目を剥いた。
武蔵屋が始めた『湯豆腐』は、白湯に豆腐を入れ小炭団で熱しただけのものであり、加登屋さんの『最初は』だけだったのだ。
なので、向島一帯ではこの単純なものが完成形として受け入れてしまって、誰も工夫していなかったのだ。
「ほれ、出汁と醤油をあわせたもので同じように湯豆腐をこさえてみようぞ。煮立つに従って、醤油の色が白い豆腐に染み込むじゃろ。出汁の旨味が豆腐に染み込んでいるのが、よう見える。先の湯豆腐とはまた一味違っておるのじゃよ。ほれ、小皿に取り分けたので、試食してみるが良い」
試食した客は、先の湯豆腐とは大きく違う味に驚いている。
「なに、そんなことで驚いてはいかん。具にする豆腐とて、布巾に包み重しをして水抜きしたものを、醤油出汁につけて湯豆腐にしてみようぞ。ほれ、先ほどより出汁の染みこみ具合が変わるじゃろう。この少し固めた豆腐を使った湯豆腐は、口にした時の食感もまた一味違うのじゃよ。さあ、取り分けたので、こちらも試してみなされ」
ほんの半刻ほどの間に、3種類の湯豆腐を試食し『たかが湯豆腐、されど湯豆腐。料理の奥は深いので、決して完成形なぞない』と加登屋さんに諭されている。
向島から、焜炉の安値放出を抗議しに来た主人達も、加登屋さんの実演を見て工夫がない点を諭され、その上で千次郎さんから『高値でも坂本分を振り向けて貰いたい、と言ってきたのはそちらさんからで、筋違いな話ではあるまいか』とまで言われては、どうしようもない。
おまけに、周りは他の地区の料亭の主人や手代だらけなので、抗議は恥を上塗りするようなものだと気づいたようだ。
そこへ、さらに千次郎さんから説明がある。
「ここは、木炭問屋で小炭団を売るのが本筋。その本筋を強くするために拵えたのが卓上焜炉で、卓上焜炉を知って頂くために、助っ人として凄腕の料理人をしばらく借りているのだ。この焜炉があれば、工夫次第で料理の幅が広がる、という実例をお見せしておるのじゃ。新しい料理を作り出すのは、萬屋の仕事ではありませんぞ」
客として来ていた料亭の主人達は何かを悟ったかのように金・銀・銭で1組6両を支払うと、大事そうに抱えて戻っていくのであった。
初日の売り上げは、深川製12組、萬屋製8組、金程製2組で、132両になったのである。
残りは14組だが、明日深川製が20組来れば、萬屋製が2組来ればどうにかなりそうだ。
ただ、明後日の16日以降の目処がない。
17日に納入予定の深川製20組を充てにするしかなさそうな現実に、増産依頼をしておいたことにほっとする義兵衛だった。
見通し以上に盛況になってきています。店頭での実演販売も行いました。
次回は、その風景の続きとなります。
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