お殿様へのお目見え <C215>
■安永7年(1778年)2月中旬 武蔵国橘樹郡細山村
翌日は、父・百太郎、兄・孝太郎と一緒に細山村のお殿様へ事情説明を行う日だ。
多分このような話になると思い、助太郎さんに無理を言って作ってもらっておいた練炭2個と仮七輪を取りにいっておいた。
練炭はまだ乾燥が不十分かも知れないということで、背負い籠ではなく、むき出しの荷梯子に括り付け少しでも乾燥するように風の通る場所に置いておいた。
冬で空気が乾燥しているので、日差しはなくても少しは乾燥が進むだろう。
朝早くに、まず、細山村名主の白井与忽右衛門さんの家を伺う。
白井家は北条時代にすでにこの近辺の里の地主として幅を利かせていた家だ。
北条の家臣団がこの土地を一応差配はしたが、実際には足軽を供出してもらう相手として、当時から対等に、ある時はへり下って対応していた経緯がある。
伊藤家は北条家臣団の下で足軽たちをまとめて指揮する、戦国時代でいう足軽頭・組頭相当の地位であったために、白井家にはいつも気を使う立場なのだ。
このため、お殿様とのことが絡むと、白井家を立ててことを運ぶことになっている。
与忽右衛門さんは父・百太郎と小さいころから仲がよいが、これは若干歳上の百太郎側が色々配慮しているという側面もあるに違いない。
細山村に着き、白井家に到着した。
白井与忽右衛門は、兄・孝太郎より1歳年下=19歳になる息子・喜之助と一緒に門のところで待っていた。
多分、孝太郎と義兵衛が目通りするので、これにあわせたものと思われる。
「ほぉ、これが登戸村で売りなさった練炭ですかな。
あまり大きなものではありませんなぁ。
これなら、カシの太い上木炭のほうが、よほど高く売れると思いますが、なにかカラクリでもあるのでしょうな」
「白井さん、そう出会い頭に若い者を苛めんでくださいよ。
どうせ、お館では聞かれることになるのですから、その時までのお楽しみということで、よろしくお願いしますよ。
今日、お目にかかれるのは、お殿様の代理の方でしょうか」
「いいえ、なぜかこの旬は非番ということで、お館にはお殿様が居られるのですよ。
登戸村でかなり派手に辻売りしたということは、私のほうから既にお耳に入れてあります。
いやぁ、手品のタネ明かしは後ほどということですな。
ちょっとワクワクしていますよ」
白井さんはその足で、お館のほうへ一同を引きつれスタスタと歩いていく。
実は白井家の隣にお館があるのだ。
お館の門番にお目通りを願うと、そのまま庭に回された。
ただ、庭には筵ではなく、茣蓙仕立ての長椅子が用意されていた。
これは大変歓迎するということで、即ち、沢山面白い話をしなければならないということなのだ。
義兵衛は荷梯子から練炭と火鉢を降ろし、長椅子の前=庭の真ん中へ並べると懐の中の火縄と火打ち石を握りしめた。
準備が済むと、白井家の2人・伊藤家の3人は長椅子の後ろへ回り、砂利の上へ跪いた。
やがて、警蹕の声=家臣が主人登場の前触れとして発する声がすると、濡れ縁にお殿様の椿井庚太郎様と弟の甲三郎様が現れた。
我々5人は長椅子の後ろで一斉に土下座する。
「よいよい、吾は堅苦しいのは好きではない。
そのような礼儀は、お城だけで充分じゃ。
お互い、同じ郷にいる顔見知りじゃろ、子供の頃は一緒に野を駆けたではないか。
そんなところに蹲っておらず、顔を上げて、長椅子に腰掛けておくれ」
息子たちはともかく、与忽右衛門さんや父・百太郎は、寺子屋通いの折、まだ小さい椿井庚太郎様と一緒だったころがあるということを、義兵衛の記憶から読み取った。
一応、名主の権利として面談を申し入れしたので、最初と最後は形式的にしなければならない、ということらしい。
社会が平和で停滞している場合、世襲される身分による差というのは拡大し、権威付けのための儀典や格式が発達しがちになる。
しかし、金程村では寒村ということもあり、全員が一団となって努力しないといけないという背景から、身分差を全く意識させない経営をしている。
いや、少なくとも父・百太郎はそうしようといつも心を砕いている。
ひょっとすると、身分差を意識させないという風潮の根幹は、近郷の子供を集めて勉強を教えている寺子屋の影響かも知れない。
とりあえず、白井家の二人の動作を真似、兄と動作を合わせて長椅子に腰掛けた。
「白井与忽右衛門と伊藤百太郎の顔は知っているが、その横におる若い者はどういった者かな」
「横にいるのは、息子の白井喜之助でございます」
「白井喜之助でございます。お見知りおきください」
「自分の横から、長男の伊藤孝太郎、次男の伊藤義兵衛でございます」
「伊藤孝太郎でございます。お見知りおきください」
「伊藤義兵衛でございます。お見知りおきください」
それぞれ深く礼をしてお目見えの儀式を終える。
「最後にご挨拶した義兵衛が、今回登戸村で競り売りした練炭を考案した者です。
こちらに並べましたのが、その練炭と練炭を燃やす火鉢にございます」
お殿様は、火鉢と練炭に興味を持ったのか、濡れ縁から降りてきて庭の真ん中に近寄った。
「これ百太郎、お前が辻売りで述べた口上をここで言ってみよ」
父・百太郎は、ことの次第と辻売りの口上、炭屋番頭が真っ先に購入した経緯などを説明した。
「これに火を入れてみよ」
義兵衛は前に進み出て、練炭を一個とり火鉢に納めると、紙縒りを1本練炭の上においた。
火縄に火を灯しこれを紙縒りに押し付けると、紙縒りは忽ち燃え上がり、それが燃え尽きる頃には練炭に火が着いていた。
しばらくすると練炭上面全体に広がり安定して熱を放ち始めるのを感じ、俺は安心した。
お殿様は、この様子をじっと見ており、首を捻る。
「そちの口上だと、この火が夕方まで保つということだが、誠かどうか見届けたい。
誰かある。この火鉢の練炭に細工などされないよう監視せよ」
その声を聞き、義兵衛は火鉢の空気穴を閉じた。
「これ、そこで火鉢を触ったが、それはなんじゃ。直答せよ」
「これは練炭に送り込む空気を調整する穴にございます。
空気を沢山送り込めば、火力は強まりますが練炭は早く消耗します。
このように空気穴を閉じれば、空気の供給は減りますので、火力は多少弱まりますが練炭は長持ちいたします。
夕方まで保たせよとのご下命であると思い、差し出がましいかとは思いましたが、このように調節いたしました」
「なるほど、空気の量で保ち時間を調整しおったか。
すると、鉄瓶など乗せると、上面からの空気の流入も減り、更に長持ちするのも道理じゃな」
お殿様は、辻売りの裏舞台を一瞬で見抜いたようだ。
そして、この言葉に驚いた顔をしている義兵衛ににっこりと微笑みながら続けた。
「なに、そちの説明が理路整然として明快であったからこそ、直ぐに判ったまでのことよ。
義兵衛といったな、百太郎よ、お前は賢い息子を持ったことよのぉ」
どうやら義兵衛の存在は、しっかりと認識されたようだ。
誤記、認識違いなどあればお教えください。
江戸時代の旗本は城下に屋敷を持ち、拝領した領地には代官を置き、そこで生活することはなかった、のですが、この小説では、これを知った上であえて逆にしています。
従い、江戸時代の細山村・金程村・万福寺村の絵図をどんなに仔細に調べても、椿井家の屋敷は見つかりません。
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