新しい卓上焜炉料理二品 <C2145>
八百膳さんに見せる料理は「どじょう鍋」ではなく、その進化系です。
善四郎さんの目前で『どじょう鍋』が完成に近づく。
「難しい話はともかく、そろそろ『どじょう鍋』が仕上がりますよ。とは言え、今回お目にかけるのはちょっと工夫を追加します」
加登屋さんは、ここで出汁を効かせた溶き卵を上から落としどじょうに絡ませた。
卵が固まる前に、その上から三つ葉を散らす。
「これは、一応、武蔵屋さんには話をしている料理です。どじょう鍋が真似され始めた時に、更にもう一歩先に進めた料理を先んじて出せるように、ということで準備しているものです。名前は一応『柳川鍋』としていますが、名前の由来なんかの説明はご容赦ください。この味を知っているのは、武蔵屋の板長と女将、それに萬屋の一部の人だけです。新しい料理を探求するということで、ひょっとしたら武蔵屋の板場の人はもう味わっているかもしれません。何はともあれ、溶き卵が固まらないうちに、お召し上がりください」
善四郎さんは、箸を伸ばすと『柳川鍋』をつつき始めた。
口に入れると『魂消た』という表情になった。
「いかがですが。先の『しゃぶしゃぶ』は素材を活かした料理で、この『柳川鍋』は手間をかけ濃い味付けをした料理です。ある意味両極端な料理となります。しかし、共通点があります。それは、どちらも冷えてしまっては味がかなり落ちるということです。なので、お客様には熱々を食べて頂きたい、という意味で卓上焜炉を用いるのが適切な料理なのです」
『柳川鍋』を瞬く間にすっかり平らげ、その味にすっかり満足した顔の善四郎さんが言う。
「よし、判った。卓上焜炉の料理は正しく本物だ。
しかしこの『しゃぶしゃぶ』も『どじょう鍋』『柳川鍋』も魚とは言え生き物を使った料理。寺社での仕出しは精進料理ゆえ、使えない場面も多いのが難点に見える。精進料理でも使える料理があれば、八百膳にとって良い感じなのだがなあ。
坂本や武蔵屋にこの料理を教えたのは加登屋さんなのだろう。何かいい料理を思いついていれば、ここはひとつこの八百膳にも教えてもらえますまいか」
何故か話が八百膳の料理をどうするかにすり替わっている。
「そこは料亭の主人・板長で新しいものを見出して頂くしかありません。萬屋さんとしては、萬屋の卓上焜炉は仕出し料理に使ってよいことのお墨付きを得る方法を相談しにきているのですよ。本物の料理と認めて頂けたのですから、相談には乗って頂けるのですよね」
加登屋さんは本来の話に戻そうとしている。
「その通りだが、お武家様との接点はお寺参りという機会が多いので、卓上焜炉を紹介するには精進料理に使えるものがあると都合が良いのだ。それさえ捻り出すことができれば、実際の進め方は八百膳に任せてもらっても良い。これほどの料理が出せるなら、間違いなく萬屋さんが扱う焜炉は仕出し料理に使ってよいと許認可されるよう計らいますぞ」
善四郎さんの頭の中では構図ができているのだろう。
このまま加登屋さんが対応していたのでは、手持ちの札がないだけに進めようもないだろう。
義兵衛が、ならばとにじり寄った。
「善四郎さん。
精進料理に使える卓上焜炉の料理があれば、あとは八百膳さんの名前で、仕出し料理に使える卓上焜炉の許認可制をお上に認めて頂き、さらに萬屋が扱う安全な卓上焜炉を仕出し料理に使うことが許可されるように運ぶことができる。
と仰っているということですね」
「そうだ。あと一歩足りないだけで、そこさえ目処が立てば、八百膳からこの卓上焜炉を500個買い入れよう」
500個という言葉に千次郎さんが反応する。
「卓上焜炉についてはいくつか種類がありますが、角皿と組み合わせ、掛値なしの現金払いで420文、丸皿では500文の予定です。500個というと、おおよそ金53両にもなりますぞ。燃やす小炭団は1個8文と安いように見えますが、これは消費するものだけに焜炉の10~20倍の個数をお買い上げいただくことになり、1万個だとそれだけで金20両にもなりますが、それでよう御座いますか」
「この八百膳、金100両程度ならばいかようにでもなります。そこはご心配して頂く必要はありませんぞ」
「では、加登屋さんと研究中の料理で、まだ完成している訳ではありませんが、精進料理にも使える料理を説明しましょう。ただ、こういったものがあるという方向性だけで、これをどう膳の上で位置づけて仕出し料理にしていくのかは、八百膳さんで考えて頂く必要があります。それでご了解頂けますか」
義兵衛の言葉に、加登屋さんと千次郎さんは驚いた表情でこちらを見ている。
『そりゃそうだ。今までそんな話をしたことも、見せたこともないのだから。しかし、ここは精進に使える卓上焜炉料理を見せないことには先へ進まないのでしょう。覚悟を決めるしかありません』
「よし、その料理が精進で使えるというのであれば、卓上焜炉500個と角皿・丸皿をそれぞれ同数、それから小炭団2万個を現金で買おう。全部で金100両じゃ。これは仕出し料理の膳で使うことが前提なので、萬屋さんからの相談、いや、依頼に八百膳が応えたという証じゃ」
「では、ここで八百膳さんに、お教えするのは『湯葉鍋』という料理です。豆腐を作るときに使う豆乳と若干の野菜、調味料に醤油、梅干をご用意頂けますか」
加登屋さんが板場へ指定したものを取りにいく。
「それから、卓上焜炉ですが、いくつか種類があります。こちらに持ってきたのは萬屋製と金程製と呼び慣わしていますが、深川製というものもあります。生産が間に合っていないため、500個渡す時には、これらが色々と混ざることになります。おそらく深川製が350個、萬屋製が100個、金程製が50個といったところでしょう」
加登屋さんが戻ってきた。
まだ使っていなかった金程製卓上焜炉に火皿を入れ、小炭団を2個乗せる。
「この料理は少し時間がかかるので、燃料の小炭団を2個使います。2個重ねることでおおよそ倍の時間暖め続けることができます」
豆乳を角皿に入れ小炭団に火を入れる。
しばらくすると豆乳が温められ表面にうっすらと膜が出来始める。
その薄い膜・湯葉を箸で摘んで掬い取るように指示し説明を続ける。
「この出来立ての湯葉を、醤油や梅干の梅肉にちょこんと付けてそのまま食べます。出来立ての湯葉には何とも言えぬ風味があります。
精進料理として湯葉を使った料理はすでに数多くありますが、出来立てを食べるという経験は仕出し料理を使っている限りないでしょう。そういった方には、実に新鮮に映るのではないのでしょうか」
善四郎さんは休むことなく箸で湯葉を摘んで、それを口に運んでいる。
「確かに、これは卓上焜炉を使わねばできないなぁ。ただ、膳を出された客は初回の衝撃が大きいだけに直ぐ飽きるのではないかな」
「それはそれです。まだ未完成と言っております。湯葉を引き上げずに次の湯葉と絡めて大きな固まりにして食べるとか、それは食べるほうでの工夫でしょう。
湯葉が引き上げにくくなったところで、野菜をぶち込んで煮ます。しんなりしたら出来上がりで、これが野菜の豆乳煮です」
野菜を入れると豆乳の温度が下がり煮立っているのが一瞬収まるが、しばらくするとまた煮立ってくる。
そこへ箸を入れて野菜を掬い出し口へ運ぶ。
「ほほう、これはこれで中々な一品ではないか。それで、この料理は八百膳で仕出しに使っていいのかな」
「はい、まだ工夫の余地は存分にありますので、これを基礎にもう少ししっかりした料理にして頂ければと考えます。
それより、萬屋が使う卓上焜炉について、お上の許諾をよろしくお願いしますよ。あと、危ない卓上焜炉というのも参考に作っています。これを見て頂ければ、懸念するのが何かというのはより具体的に伝わると思います。明後日の12日午後に注文頂いた焜炉や皿・小炭団と一緒に持参しますので、段取りの状況などお教え下さればと思います」
千次郎さんからもしっかりと念押しをしてもらい、八百膳との交渉・依頼の件は終了した。
日本橋へ戻る道で、加登屋さんがぼやく。
「あそこで湯葉鍋なんてものを出してくるなんて、義兵衛さんの頭の中は一体どうなっているのか。もう訳が判らん。早速戻って『湯葉鍋』を研究せねばなぁ。こうなると、ワシがここに居ていいものかどうか。善四郎さんには、全部の料理が義兵衛さん由来とバレているのじゃなかろうか」
「いやあ、京都で湯葉を精進料理に使っているというのを何かで読んで、その場でなんとかならないかと思っている内に閃いただけなのですよ。たまたま上手くいっただけで、ヒヤヒヤものでした。説明しながらどれだけ汗が出ていたのやら、考えるとそら恐ろしいものがあります。加登屋さんがいるからこそ、あのような思い切った芝居ができるのですよ。
ところで、千次郎さん。12日の午後は結構な量を運び込むことになります。また、金100両近いお金を受け取りますので、よろしくお付き合いをお願いします」
結局のところ、八百膳さんには上手く手玉に取られてしまった格好なのかも知れません。
次回は、その翌日の萬屋の風景となります。
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P.S.
江戸幕府の要職人物一覧を作ろうとしているのですが、結構厄介で難航しています。
参考文献・資料の山で矛盾?(誤植?)があったりと悩ましいことしきりです。