仕出し用焜炉への取組 <C2142>
千次郎さん、忠吉さんがヒントで気づかなかった部分を説明します。
深川製焜炉が2000個も供給されようとする状況で、更に追加生産要否の判断に悩んでいる千次郎さんに、義兵衛さんは懸念事項とこれを繁栄に繋げるためのヒントを出した。
それは、これから仕出し料理膳で使用されるであろう卓上焜炉の扱いについてのことなのだ。
「焜炉なので火を使うということは当然と思っていますが、それが仕出し膳とどう関係するのですか」
忠吉さんが『打つ手があるのでは』という所がよく判らないようで質問を被せてきた。
千次郎さんを見るが、やはりまだピンと来ていないのだろう。
ならば懸念事項を説明するしかない。
「料亭で焜炉料理を出す場合は、火を点けるのは料亭側の人間です。なので、火についての責任一切は料亭側と明確です。しかし、仕出し料理の膳の一部に焜炉料理を使った場合、火についての責任が曖昧になります。江戸の街は火に弱いことから、普段から過剰な程用心しています。このままでは御上から『仕出し料理に卓上焜炉を使ってはならぬ』と言われることを懸念しています」
ここまで説明したところで、千次郎さんがやっと判ってくれたようだ。
「そういうことでしたか。先に御上から、萬屋の卓上焜炉ならば仕出し料理の膳に使っても良いと、先にお墨付きを得ておくのですな。そうすると、後から同じような焜炉を勝手に仕出しに使えなくなり、料理屋としてはお墨付きのある萬屋を購入するしかない、という図式にあるという訳ですか」
「その通りです。
料亭の焜炉は使い廻しするので、1個でだいたい10回転くらいしていますが、仕出しに使う焜炉は1個で1回転です。仕出しが中心の料亭・坂本は、今仕出しを止めて『しゃぶしゃぶ』料理だけを店で提供していますが、いずれ仕出し料理に戻ることを考えて焜炉を3組余計に手配しようとしていたのです。70席の店で250個の卓上焜炉というのは仕出しの上限が200膳と見積もったのでしょう。最初に売り込んだ時は今までの経験からこの数にしたのだと思っています。しかし、この流行ようを見ると、少なくとも600膳位は注文が来てもおかしくありません。ならば、坂本さんはあと400個くらいはお買い上げ頂けるのではないでしょうか。
もし、御上が『仕出し料理に卓上焜炉を使ってはならぬ』と決められたら、この仕出し分はフイになります」
そこまで説明をして、やっと忠吉さんも義兵衛さんの懸念事項と『打つ手』の必要性が理解できたようだ。
「すると、御上からのお墨付きが得られれば、深川製焜炉の追加製造させる、ということですか」
どうも消極的である。
「済みませんが意識が違います。なんとしてでも、御上からのお墨付きを得る、です。そのためには、なにをどう運べば上手くいくのか知恵を巡らしましょうよ」
江戸市中の町人を管理しているのは、町奉行であり、町年寄り・町火消しが関係する配下である。
ただ、仕出しという膳料理は町方よりお武家様向けが多いという背景から、若年寄配下の定火消し(別名、旗本火消し)への根回しが必須なのだろう。幕臣が了解すれば、各藩の大名火消しは右へ倣えするに違いない。
しばらく前後策の話をする内に、いつものようにお婆様が現れた。
「なにを熱心に論議しておるのじゃ」
千次郎さんが『御上からのお墨付き』を得るための方策を考えていたことと、お婆様の知恵を借りたい旨の話をすると、果たしてお婆様は目を輝かせて乗ってきた。
「案ずることはない。町年寄りや定火消しの寄り合いで出す仕出し膳に、卓上焜炉料理を混ぜてしまえばよい。後は口上を上手くすればどうにでもなろう。『しゃぶしゃぶ』『どじょう鍋』は、この萬屋が教えたようなものじゃ。寄り合いでどこへ仕出し膳を頼んでいるのかを探りをいれ、そこへ焜炉と料理を持ち込んで説明すれば仕舞いじゃ」
流石に歳の功で、早速の対案を出して来た。
これだけの知恵があるにもかかわらず、発揮する場を失っていたのである。
朝の話もあり、千次郎さんがお婆様が積極的にかかわってもらいたい、という状態にしたのは実に正解のようだ。
お婆様が居る時は、義兵衛にはできるだけ発言しないよう釘を刺しているので、黙っていると、千次郎さんが段取りを考えて話し始める。
「まず、どの寄り合いが、いつもどこから仕出し膳を取っているのかを確認する。京橋と向島がかかわる寄り合いは、坂本と武蔵屋に出張ってもらうが、そこ以外は仕出し料亭に話を通しておく必要があるな。お武家様向けということであれば、八百膳さんが一番強いので事情を説明して協力を仰ぐしかない。しかし、例の料理番付の運びもあり、どう繋いでいくかが難しいぞ」
「おや、珍しくお前も頭を使っておるの。ことの大きさを考えると、料理番付より仕出し用焜炉のお墨付きじゃろう」
「お婆様、仕出し用焜炉は使っても一日1回。それに比べると料亭の座敷で使う焜炉は何回転もします。手前どもは炭屋でございますから、炭団を売って何ほどのものでしょう。料理を売り込んだり、焜炉を売ることに汲々とするのは、筋違いではありますまいか。仕出し料亭に知恵を付けるだけでよいのではないでしょうか」
萬屋で焜炉を担当している忠吉さんがお婆様に異論を唱えた。
「忠吉、お前も中々言うではないか。確かに一昔前の萬屋では、炭を使う道具や、ましてやその道具でこさえるものを考えるなぞ、思いもよらんことじゃろう。しかし、よいか。義兵衛さんがこられて実演販売などというとんでもない方法をお教え頂いてから、萬屋の商売の潮目が変わったのじゃ。『ものを売る』から『ことを売る』にじゃ。客がどう使うかを考え、どう使いたいかを見せて買わせる。お前はまだまだ頭が固いのぉ」
お婆様は上機嫌になっている。
「ここで油を売っていても始まらない。
深川製焜炉は、もう2000個追加しよう。3日毎に1000個と聞いておるから、4月20日までで4000個の焜炉がここに来ることになる。そこで深川製焜炉の製造は停止する。
辰郎さんに頼んでいる萬屋製焜炉も毎日100個、全部で6000個の予定で話をしているから、最終的に全部で1万個になる。流石にそれだけあれば充分だろう。この萬屋製焜炉は、もともと仕出し膳に使うために準備したものなので、料亭の席用には深川製焜炉を使ってもらうということでよいと思う。
坂本には、注文して貰っている3組150個の焜炉を早々に納め、販売の縛りを無くそう。
それから、八百膳さんに仕出し焜炉を認めて頂くための相談だ。
義兵衛さん、この段取りで良いでしょうか」
「火の用心に着目してもらう必要があるので、こちらにある焜炉に比べ安全性に劣る焜炉を準備しておくのが良いと考えます。腹案がありますので、辰二郎さんに相談して作ってもらいましょう。2日程で出来ると思いますので、それを仕出し膳のある席で参加者に見せれば、卓上焜炉には色々な形が考えられること、萬屋が扱う焜炉はその中でも火に対して安全な構造になっていることをご理解頂けると思っています。その結果、仕出し用焜炉として、一定の認可が必要なこと、萬屋の扱う焜炉がこれに叶うこと、が判って頂けると考えます。
とりあえず、八百膳さんに御上から許認可を得る方法の相談をするのは良いことだと思います」
茶の間での作戦会議は非常に有意義なものとなり、それぞれ目標に向って動き出したようだ。
お婆様も、町の寄り合いの長老へ様子伺いしてもらうという役を押し付けると、嬉々として店を出ていった。
どうやら、義兵衛達は今日も坂本の『しゃぶしゃぶ』もしくは武蔵屋の『どじょう鍋』を店頭で食べる機会はなさそうだ。
お婆様が上機嫌になってくれるのは嬉しいことです。千次郎さんもテキパキと指示を出すようになりました。さあ、あとひと踏ん張りです。
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