向島・秋葉神社の卓上焜炉 <C2137>
卓上焜炉を作る職人として辰郎・辰二郎の二人が登場します。
■安永7年(1778年)4月7日(太陽暦5月3日)日本橋 → 深川
現在の萬屋の目下の課題は、なんといっても卓上焜炉の準備なのだ。
昨日の昼に卓上焜炉が100個搬入され、萬屋製139個と金程製212個、つまり6組しかないのだ。
100個の搬入について忠吉さんに事情を聞いた。
「搬入してきた職人頭の辰郎が『料亭で評判になっている卓上焜炉を作っているんだ、って職人が頑張って作ってくれている』と言って、萬屋さんからお願いされた通りにバンと増やしてきてくれたんだよ」
こう嬉しそうに話してくれるが、毎日100個作っても間に合うはずがない。
向島だけであと30軒は料亭があるし、今、武蔵屋は4組200個を持っているが、あとの料亭は各々1組48個しか持っていないのだ。
「卓上焜炉の製作は、辰郎さんの所でしか作れないという契約になっているのでしょうか」
「そのような契約にはなっていませんが、頑張ってくれている製造元に黙って、別なところで同じものを作ってもらうのは気が引けます。それに、辰郎さんの所以外では横流しされてしまう可能性があると思っているのですよ」
その気持ちはよく判るが、このままでは埒が明かないのだ。
今日卓上焜炉を持ってきたときに、その職人頭の辰郎さんと話をさせてもらおう。
丁度昼に昨日と同じ100個を持ってきた辰郎さんを捕まえ、義兵衛は談判を始めた。
「いつも沢山の焜炉を納めて頂き、大変助かっております。ちょっと込み入った話をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか。僕はこの萬屋で修行させてもらっております義兵衛と申します」
「おお、忠吉さんからいつも聞かされていますよ。ワシは辰郎っていう職人の頭でさぁ」
「辰郎さん。本当に忙しい中、申し訳ないのですが、さらに作ってもらいたいものがあるのです」
義兵衛は金程製の焜炉を見せた。
「この素焼きの焜炉と同じもので、柱に彫っている文字を『千葉山満願寺』『火伏・秋葉大権現』『秋葉稲荷両社』『日本橋萬屋謹製』に変え、底を火皿が載るようにしたものを作って欲しいのです。最初は10個程度で、これを見本として向島の秋葉神社に交渉に行きます。もし、交渉が上手くいけば、この焜炉を大量に作ってもらうお願いをすることになります」
「そう言っても、こっちにはもう作る余力は残っていないぞ。いくら金を積まれてもできんもんはできん」
「では、作れそうな職人頭を紹介して下さい。ただ、その職場が辰郎さんの所のように信用がおける所で、作ったものを横流しするようなことは絶対しないという人である条件でお願いします。その代わり、そこの生産量に応じて辰郎さんの所へ紹介料を払わせてください」
「まあ、そういうことなら一丁手伝ってやるか」
辰郎さんは義兵衛を連れ、永代橋を越えた深川へ行き、そこの土師職人である辰二郎を紹介してくれた。
辰二郎は辰郎の弟で、絶対の信頼を置いてもらっても良いとのことだ。
「この辰二郎のところでは、素焼きはできるが色付けや釉薬なんかはできない。萬屋さんのところで大量に買い付けている小さな火皿は、こいつのところで作っている。今ワシが萬屋さんに入れているような細かい細工のものは苦手だが、単純なものなら手っ取り早く、沢山同じものを作るのには長けている。とりあえず、10個ほどこさえさせて様子を見てはどうかな」
「手前が辰二郎です。ところで、義兵衛さんとやら、1個がどれ位の値で卸すことになりますかな」
「とりあえず80文でどうだろう。これからまだ神社に刻印の交渉をしなければならないので、そこへいくら納めることになるかで変わってくる。交渉が上手くいけば、一気に2000個ほど作ってもらうことになるので、40両にもなる大仕事だ。細く長くではなくて、ここぞという時にドカンとまとめて作ってもらう格好になるが、それは問題ないか」
辰二郎は、見本の金程製卓上焜炉を手にとって考えこみ、話しだした。
「同じようなものを作るのは大した問題ではないが、1日で250個が限界かな。まとめて焼くとして、4日毎に1000個、これを2回で40両というのなら大丈夫か。まずは試しというのであれば、明日の昼までに見本品を10個作ってみよう。ただ、指定したこの文字を刻む刻印だけは手がかかるだけに別料金だ。1個100文で4個400文は追加してもらいたい。なので、できれば前金で貰えないだろうか。あと、見本品は仮に手早く作るものなので、大量生産品とはちょっと違う。そこも承知してほしい」
義兵衛は、銀16匁(=4万円)になるよう組み合わせて辰二郎へ渡し、また辰郎へは100文を渡した。
「急ぎ仕事ということで、少し大目に出そう。刻印ができたら、秋葉神社でお祓いしてもらいたいので貸してもらいたい。あと、辰郎さんへは10個分の紹介料と今回の労分を60文と見ての仲介手数料だ。これでよろしく頼む」
これで仕込みは終わった。
明日の午後、先日呼び出された秋葉神社に道具を持って直接交渉すればよい。
そこで上手くいけば、4月13日には1000個の向島・秋葉神社のご利益がある深川製卓上焜炉がごっそり手に入る算段だ。
萬屋に戻り、ことの次第を千次郎さんと忠吉さんに説明をし、明日午後は千次郎さんに一緒に来てもらおう。
■安永7年(1778年)4月8日(太陽暦5月4日) 萬屋 → 深川 → 向島
義兵衛と千次郎さんは、深川の辰二郎さんの職場で、焜炉見本と刻印を受け取ると、向島の秋葉神社へ向った。
朝のうちに丁稚を走らせ、午後に面会を求める話を付けているので、用向きを告げると神社の社務所に直ぐ案内された。
「こういう事情で、この卓上焜炉にこちらの神社のご利益がある御印を着けさせて頂きたくお願い申し上げます」
見本として作ってもらった焜炉を2個見せる。
神主は神社の名前が刻まれた焜炉を見て満更でもない顔をしている。
「あれからこちらも色々思うところがあったのは確かじゃ。丁度『湯豆腐』がここでも評判になっておるのじゃ。しかけたのは萬屋であろう。それで、萬屋さんはいかほど奉納なされようとしておりますかな」
「先に金程村では売り上げの5分を奉納という話をさせて頂きました。しかし、江戸はお武家様が多い町ゆえ売り上げにならない献上品が多く出ることもあります。こういった背景から、今まで萬屋で作っている焜炉は愛宕神社に頼んで1個作るごとに30文を奉納させて頂いております。こちらにも同じように1個作るごとに30文を奉納させていただくということでいかがでございましょう。
ちなみに、まずは2000個を作る予定で、金15両(=150万円)をこちらに準備しております。
順は違いましたが、ご了解頂けるのであれば、文字を入れるのに使った印に御祓いをして頂ければと思います」
神主はもはや交渉することもせず観念したかのような顔で、神殿で御祓いする準備に入り、無事話を終えることができた。
それから、更に御祓い料として銀20匁(=5万円)をつつんで渡した。
「これからも、秋葉神社様とは良い関係でありたいと思っております。他の業者が同じような申し入れをしてきた場合は是非お知らせください。よろしくお願いしますよ」
いささか強引ではあったが、これで多少は卓上焜炉不足にも目処がつくだろう。
やはり現金の力は偉大なのだ。
そして深川の辰二郎さんのところで正式な製造以来をしてこの日の用件を終えた。
ただ、こういったことをした結果、市中に出回る卓上焜炉が増え、小炭団の消費が跳ね上がるのは間違いないのだ。
『助太郎、申し訳ないが頼むぞ』
心の中で一生懸命謝る義兵衛だった。
深川に職場を設定しましたが、ここで焼き物を作る工房があったかは定かではありません。
江戸市中の時代考証が甘いことは承知しておりますが、お話ということでご容赦ください。
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P.S.
これまで連日投稿を目指して頑張っていましたが、色々としわ寄せが出てき始めたので、当面隔日投稿とさせて頂きたくご了解ください。よろしくお願いします。