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金程製卓上焜炉 <C2136>

4月5日の午後の風景、6日の騒動を描きました。


■安永7年(1778年)4月5日(太陽暦5月1日)それぞれの午後


 義兵衛は忠吉さんから帳場の仕事を教えてもらうにあたり、まず大福帳に書かれている内容について説明を受けている。


『こんなことなら、簿記でも習っておけば、江戸時代に革命的な経理方法を伝授できたのに』


 そんな不遜なことを思いながら、内容を読み取る。

 達筆な続け文字になるともう俺は読めなくなり、義兵衛が読みとる内容をあてにすることになるため、文字関係は専ら義兵衛の仕事となる。

 そして読み取った内容を俺が解釈し、二人で共有していく。

 このあたりの分業は、もう意識せずにあまりにも自然にできるようになっていた。


 夕方になると、登戸村からの荷が届く。

 小炭団3万個、炭団2000個に、今回は金程村謹製卓上焜炉が300個入っていた。

 これは有力な応援であり、最初の焜炉不足を訴えた手紙に素早く反応してくれた助太郎にはとても感謝した。

 これで明日朝、萬屋謹製の焜炉が今朝と同じ75個届けば162個、金程製は452個になる。

 四角い皿についても600枚、夏用の丸皿も200枚あり、焜炉との組み合わせで売れば問題はない。


「48個を1組として、萬屋製を1組、金程製を9組用意し、最初の想定では3.8両のところを、どちらも昨日平岩さんに売った金額の12両とふっかけてみよう。幸い、まだどこも作っていないものだから、ここは強気に出られる」


 千次郎さんの指示に誰も異議を唱えない。


『これが足元を見た商売か。まあ、売掛け金が積みあがるのは必要悪と割り切るしかないか』


 そんな義兵衛のあせる思いを他所に、萬屋の午後はまったりと流れていた。


 隣の京橋では、相変わらず坂本に人が群れていたが、流石に京橋・日本橋界隈で今回の料理瓦版の売り子は消えていた。

 その代わり、江戸城の西側と北側に多い武家屋敷が固まる地域の盛り場で売り子が料理瓦版を盛んに売っており、これを目にした物好きが試しとばかりに向島地区や京橋地区に来始めるという状態になりつつあった。


 京橋の料亭・坂本では、前来の膳料理の提供や仕出し・飯類の提供すら当面の間一切止め『しゃぶしゃぶ』だけに特化して提供することで客を捌こうと工夫していた。

 膳料理を出さないため、席の場所を詰め、70席から90席に増やし、また値段は切りの良い20文(=500円)に設定したこともあり、客は単品料理で満足し、また客の回転も多くなった。

 京橋の他の料亭は、勿論何もしていなかった訳ではないが、焜炉を入手するにはまず坂本の了解がいるという萬屋の論法に屈し、これを手にすることもできなかった。

 また、焜炉抜きで同様の趣旨の料理を作り出そうと各料亭の板場はいろいろと工夫を重ねているが、秘伝の漬けタレのポン酢を生み出すことができず、指をくわえて見ているしかなかった。


 一方、向島の状況は複雑であった。

 当初、料亭・大七が同じように『湯豆腐』を出すことに反発していた武蔵屋が、5日の朝に突然態度を軟化させ、これを出すことに対する苦情を取り下げたのだった。

 そして、その日の午後に入ると、料亭・大七に続いて料亭・平岩が「湯豆腐あります」の旗を掲げたのだ。

 こうなると、今度は大七が平岩に向けて苦情を入れ始めた。

 だが、平岩は焜炉を見せ『お道具が違います。こちらは、秋葉大権現様の有難い御印がついております』と平然と言ってのけ、焜炉の格の違いを見せつけ、苦情に対し反発したのだった。

 そして見ると、どこにも萬屋謹製の文字はない。

 煎じ詰めると、客の目の前で豆腐を温めるだけの料理で、道具さえあれば同じものが出せるのは当たり前。

 大七と平岩の2つの料亭の言い争いを聞きさらに武蔵屋を偵察し、このことにやっと気付いた向島のその他の料亭は、明日萬屋詣でをするしかないと、普段は絶対出さない蓄えた銭まで持ち出して金策を始めたのだ。



■安永7年(1778年)4月6日(太陽暦5月2日)萬屋


 萬屋の店前は朝から向島の6箇所の料亭の主人や女将が集まってきており、口々に膳用の卓上焜炉を売ってくれと懇願してきたのだ。

 昼前でないと膳に使える焜炉が届かないこと、届いたとしても3組しかないことを伝えると、料亭の主人は憤った。


「卓上焜炉には2種類のものがあると平岩さんから聞いている。全然ない訳ではあるまい。組でなくても、たとえ数個でも手に入れなければ俺たちの料亭は干上がってしまう」


 そこまで言われては、ともったいぶった忠吉さんは萬屋製1組と金程製5組を店先に出すよう丁稚に伝え、さらに居並ぶ料亭の主人に伝える。


「どの料亭が萬屋製のものを取るのかは、皆で決めてくれ。どれも1組の値段は平岩さんに売った12両だ。あと、卓上焜炉に使う小炭団は1個8文だ。こちらは必要な個数を言ってくれれば、持って帰れるように用意する。ただ、支払は全額現金でお願いしたい」


 すると、各料亭の代表6人はくじを作り、買い取り順を決め、順番に「○○製で小炭団○千個」と言う形にすぐ収まった。

 時間が貴重なことを知っている料亭の知恵である。

 そして、順番に申告をし、それぞれのものを引き渡していった。

 ただ、驚くべきは1~5番籤を引いた全員が金程製の焜炉を求めたことだった。


「なぜ、膳料理に向かない素朴な金程製を選ぶのか」


 忠吉が理由を問うと『向島は秋葉大権現様のお膝元』という、昨日の大七・平岩でのいさかいの経緯をしてくれたのだった。

 いろいろと遣り取りはあったが、焜炉と皿で72両、小炭団が1万個で20両の現金収益となったことを忠吉は素直に喜んだのだった。


■同日午後 向島


 その日の午後、向島で9軒の料亭が『湯豆腐』を提供できる状態になると、向島の客側の動きが鎮静化してきた。

 だが、こうなってしまうと、今度は道具の銘板の差が板場の人間には見えてきてしまう。

 それは『愛宕神社』と『秋葉神社』の差である。

 向島では圧倒的に秋葉神社が強いのだ。

 逆に、愛宕・高輪といった地区では愛宕神社が強い。

 どうやらこういった地元密着指向を見落としていたようだ。


 こうなってくると気持ちが収まらないのが、最初に直接焜炉を購入した料亭・大七である。

 今朝、金程製焜炉を購入したばかりという懇意にしている料亭から卓上焜炉を1個貸してもらい、これを手に向島の秋葉神社に駆け込んだのである。


「秋葉神社の神主様に申し上げます。この焜炉に『秋葉大権現』と刻んでありますが、これは詐称されたものではありますまいか。偽の御印ということであれば、萬屋のなさりようは誠に不届きな所作に存じます」


 秋葉神社の神主は、あわてて萬屋へ人をやり主人を呼びつけた。

 この騒動は事実関係を知っている義兵衛さんが立ち会うほうが良いと判断した千次郎さんは、義兵衛を連れて向島へ向かった。


「萬屋さん、ここに『秋葉大権現』とあるが、これはいかなる事情であろうか」


 神主さんは料亭・大七の主人・女将もいる席で、千次郎さんに問いかける。


「事情を良く知る当事者として、旗本椿井家家臣・細江義兵衛様に同行を頂いております」


 まだ帯刀こそしていないが、一応身分は武士ということになっている。


「この件は、先月中ごろに武蔵野国大丸村にある円照寺寮監長より手紙が寄せられているはずです。確か『金程村より喜捨を受け、七輪に秋葉大権現様のご利益のある御印を押すことを承諾した』という旨の内容ではないかと思います。ご確認をお願いします」


 七輪と卓上焜炉は実際には別ものだが、練った炭を燃やす道具という意味では間違いない。

 新しい言葉だけに、なんとでも言い訳が付く。

 この言葉に、神主はそういった手紙があったことを思い出したようだ。


「おお、そう言えば確かにそのような文がきておった。そうか、このことであったのか。事情は判った。

 大七さん、これは萬屋さんに非はない。余計なことは考えず商売に励むことじゃ」


 決着はついた。

 義兵衛は神社を退出する際に、神主に銀20匁をつつんで渡し、このようにささやいた。


「同様の御印を求めてくる業者が出てくると思いますよ。金程村は田舎なので焜炉を1個売り上げる毎に売上の5分を奉納させて頂く独占契約をしておりますが、ここ江戸ではもっと上手くやりようがあるのではないかと思っています。業者の見極めが将来の繁栄につながっておりますよ。萬屋さんと契約することをご検討されませんか」


 黒子であるはずの義兵衛は結構ワルなのだった。


萬屋の勝利というより、先を読んでいた金程村、いや義兵衛の勝利といったところでしょうか。

不足する焜炉に痺れを切らした義兵衛が動きます、というのが次回です。

話しを進めるため、プロットを展開するだけになってきてから、ちょっと単調になってしまっていますが、ご容赦ください。(やりとりや人物描写始めると3倍くらいになりそうなので)

感想・コメント・アドバイスなどお寄せください。勿論、ブックマークや評価は大歓迎です。

よろしくお願いします。

P.S.

この続きがまだ執筆できておらず、次回12日0時の投下は難しいです。

13日0時投下予定としますので、よろしくお願いします。

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