お殿様からのとんだご褒美 <C2130>
お殿様と正式に謁見の間で向き合います。
謁見の間といっても、普通の畳敷きの部屋の床柱近辺に一段と高く畳が積み上げられた場所に脇息はポツンと置いてある部屋だった。
畳のこの場所で平伏して待つように細江さんから指示をされる。
どうやら、この部屋は公式の場の扱いで、身分を厳粛に扱い部屋のどこに居るかが重要で、一介の農民がこの部屋に入り、お殿様に拝謁するということは無いのが通例と細江さんに言われた。
農民の扱いとしては、村の名主が濡れ縁で、そうでない村の衆は、縁側先の庭という扱いだそうだ。
なので、この謁見の間は滅多に使うことがないそうだ。
縁側に一番近い畳で、しかも障子ギリギリのところで平伏していると、お殿様と甲三郎様が入ってくる気配がした。
先ほどの広間での昼餉は何だったのだろうかと思う位、遠くて表情も見えない。
畳に頭をこすり付けるように伏していると、甲三郎様の声が聞こえてきた。
「金程村名主、伊藤百太郎が次男、義兵衛。このたびの金程村での木炭加工による殖産は真に天晴れである。その功に応え、そちを椿井家の徒士分として召抱える。俸禄は5石である。江戸在住で勘定方の補佐として、細江紳一郎に師事せよ。なお、当面は、当家御用の木炭問屋・萬屋にて勘定の勉強を致せ。来月より当屋敷にて勤めるように」
突然の宣言に俺は驚いた。
こうなってしまうと、義兵衛は椿井家の走狗となってしまい、木炭加工産業自体が村のためではなく、椿井家のための事業となってしまう。
もっとも、大飢饉を凌ぐためには最下層とは言え士分となったほうが動きやすい面があるかも知れない。
ただ、椿井家という旗本の看板がどの程度のものなのかをきちんと考えねば何とも言えない。
混乱してしまっている。
「殿、お言葉をおかけください」
「うむ、義兵衛。役目に励めよ」
こうなってしまうと、もはや否はない。
「はは~~っ。粉骨砕身勤めさせて頂きます」
平伏して畏まる。
「この場では、話がしにくい。隣の茶室へ参れ」
甲三郎様はこのように言い、お殿様と一緒に退室する。
その直後、義兵衛は細江さんに引っ張られるように茶室へ移動した。
茶室に入り、しばらくするとお殿様と甲三郎様が茶室へ入り、お殿様が主人席へ着き、茶を立て始めた。
平伏する義兵衛に、甲三郎様が声をかけてくる。
「ちと驚かせてしまったかな。真にこのたびの練炭・炭団による村起しは見事であり、お殿様としては何かの形で報いねばならない、との思いがあった。そこで、あまり前例もないが、お前を徒士として抜擢するのが相応としたのだ。
本日より、苗字・帯刀を許す。
先日の名主を集めたときのお前の話は、我が兄である殿にはすでにしておる。特に、お前が『米問屋との駆け引きは長い目で見て慎重にせよ』と『買掛金などの清算にも使うべき』という助言はありがたかった。また、飢饉対策として幕府のご威光を借りねばならないという慧眼には、正直恐れ入った。ならば、場を与えて働いてもらおうという魂胆なのだ」
どうやら言い過ぎた内容はズバリ的中していたようだ。
しかし、この場で何か言い出すと、事が悪い方向へ転がるのは見えている。
ひたすら平伏して恐れ入るのが相応しそうだ。
「それで、椿井家の江戸での勘定を一手に引き受けてもらっている細江紳一郎に弟子入りしてもらい、お家の財政立て直し、飢饉対策できる役職への猟官運動を図ってもらいたいと考えたのだ。聡いやつ故、どうやって断ろうかを考えておるのやも知れんが、7年続く大飢饉を乗り切るには、この立場を使って動くのが最短距離であろうし、なにより時が迫っておるので他の方法では間に合わんじゃろう。お殿様とて、その辺りは思案済みで強引にこのようにした。
もっとも、村は田舎ゆえ江戸市中でどのように銭が回っておるのかを知る術はなかろう。なので、萬屋の売り上げ向上を支援する傍ら帳簿整理なども手伝い、今月はその流れを予め把握するよう考慮した。来月5月より、当屋敷で細江の指導を受け椿井家の帳簿等整理し、まずは借金を無くすよう勤めてもらいたい」
「なかなかにご配慮頂き、真にありがとうございます。当面は具足町の萬屋に居り、来月よりお屋敷にてご奉公させて頂きます」
「うむ、それで相談なのじゃが、この際、細江家の養子とならんか。細江家は子供が居らんため、このままでは家が断絶するしかない。紳一郎の代で恩顧の家臣家が消えるというのも残念なことじゃ。新たに家を興すより、継いでもらったほうが何かと便宜が図れる」
横でこのやりとりを聞いていた紳一郎さんが口を挟む。
「細江家は旗頭相当で代々15石を下賜されておりますが、そのような仕儀になれば、こたびの義兵衛さんへの5石はどのような扱いとなりましょうぞ」
「勿論加算じゃ。細江家が殖産に多大な貢献をしているとして、20石取りの旗頭である」
紳一郎さんは納得した様子だ。
椿井家500石の領地からあがる年貢の250石という財布があり、家臣含めた各家にこの250石を割り振って生活をしているのであろう。
すると、今回の義兵衛割り当て分の5石は、お殿様一家の財布をやりくりして、永劫の出費分をひねり出し、細江家の取り分を増やしたことになる。
では、お殿様一家の財布は削られたままかと言うと、そのような訳はなく、新しい取り分を見出したからの大判振る舞いに違いない。
木炭加工で得られる利益が米の収量と比べ抜きん出てくると、その半分は新たに年貢にされてしまう、ということはある程度想定してはいたが、早くもその算段のようだ。
この数か月で750両の利益があがると聞いては無理もない。
ならば、義兵衛を家中に取り込んで、お殿様が直に管理する運用として年貢ではなく直接に利益を吸い上げる仕組みにするのが合理的なのは理解できる。
ただ、このやり方が協力してくれている村人にとって幸せかというと、そこは実に難しい。
何よりも、義兵衛は営業部長・企画部長相当で、傍目から見えるように全体を管理できている訳ではない。
工場長・開発部長相当の助太郎がいるからこその木炭加工業で、なおかつ経理部長・人事部長は百太郎なのだ。
「このお引き立ては大変有難く存じますが、殖産の中心である工房は朋友である助太郎が握っております。助太郎の功についても、なにとぞ一考をお願い申し上げます」
お殿様はあからさまに『おやっ』という表情をしたが、実態をよく御存じのはずの甲三郎様は『なるほどなあ』という表情をして考え込んだ。
「今の時点で分け与えられる禄は家中にないので、助太郎に与えることができるのは当面名誉だけということになる。具体的には一代限りの苗字・帯刀を許し、領地内では士分相当、つまり名主より上の地位という扱いということになる。それで納得できるかのう」
この線なら、工房自体も椿井家内に取り込んだことになるので、先ほどのままより利益を吸い上げる構造に無理が少ない。
工房で働く人は、椿井家への奉公人扱いにできるのだ。
さすがに甲三郎様、即座に上手い落としどころを提案される。
「有難きことでございます。これならば、助太郎も一層励むことができると思います。細江様の所への養子につきましても、まだ16歳の身にとっては重すぎる判断故、一応父・百太郎と相談させて頂きたくは存じますが、細江様のご異存がなければ、おそらくは喜んで承諾致すものかと存じます」
これで、ひと山超えることが出来たようだ。
そう安堵していたら、実は、まだまだなのであった。
江戸時代の武士の様子が書かれている本が随分沢山あり、とても読みきれていないため、中途半端な知識とイメージで場面を作っています。「違う」と思われる向きもあるとは思いますが、筆者の知識不足と時間不足でこの状態となっておりますのでご容赦ください。