練炭・完売しました <C213>
オークションは終わった後の迅速な処理とフォローが肝心です。なかなか連絡をしなかったり、酷いケースでは落札を無視したりなど、一定のルールと信頼関係で出来上がっていることを理解していない人がいると、大変困ります。
いよいよ競りは佳境になってきている。
前に並んだ4人の一挙手を回りにいる30人、いや競りが始まってから更に増えている観客が小声で口々に事情を聞いて独特の雰囲気を作っている。
「よろしゅうございますか。
では240文ではいかがでございましょう」
出された指の数は全く変わらない。
「では、250文でどうでしょう」
この段階で3本指を出していた人が降り、10・2・1と全部で13本になった。
1本出しているのが炭屋の小僧、2本出しているのがお武家様なので、こちらの事情は判らない訳ではない。
10本出している人は、なんと鉄瓶を貸してくれた家人だった。
「先ほど250文でも購う意志の有無を問うたときには残っておられませんでしたが、どうされましたかな」
「実物を見て、これはとても良い物だと思う。
先ほどの一番高値で火鉢を、というやりとりを見て聞いて、主さんは随分正直な人と思った。
売主よし、ものよし、というこれほどのものであれば、是非とも火鉢込みで購いたいと考え、一番多く購うことを決めたんじゃ」
この展開までは、あると思っていなかった。
なんと、練炭・火鉢だけでなく、百太郎も持ち上げられてしまったのだ。
「誠にありがとうございます。
10個ご希望ということですが、生憎今は9個しかございません。
また、お武家様、炭屋様に1個250文でお分けすると、残りが6個となってしまいます。
今のところは6個をお渡しし、その分の対価を頂くということで、ご勘弁願えませんか。
後の4個は、もう数日ご猶予を頂ければお届けできると思います。
その折に、この練炭を使ったご感想をお教え頂き、また残りの4個の練炭の価格はご相談させて頂ければと考えます。
そういった方法でよろしゅうございますでしょうか」
「まだまだ値を吊り上げようと思えばできる状況であるにもかかわらず、そうなされないとは、主さんは、誠に今時に珍しく正直なお方ですな。
それでようございます」
この遣り取りを見守っていた観衆は喝采した。
「では、これにて練炭の競り売りはお終いでございます。
先も申したとおり、宵の口までここで実演している練炭の火が保たない場合は、今頂いた銭をそっくりお返しする所存です。
鉄瓶の家人様、今しばらく、この鉄瓶と湯のみをお借りしていてよろしいでしょうか」
鉄瓶・湯のみを火が消えるまでの間借用する了解を得て、沸かした湯を観客に振舞う。
湯のみも2個では足りないので、もう少し追加で借りてきた。
鉄瓶に足す水もこの家から貰っている。
全部の遣り取りを終え、最初の炭屋番頭に売った分も入れて練炭1個が250文で売れたことになり、全部で3750文=93750円相当を懐にできた。
長い口上と競りを主導して百太郎は多少ぐったりしているものの、想定の倍ほどの銭を懐にしてニンマリしている。
後は、実演している火鉢の火がいつまで保つかだが、これは早いうちに空気穴を半閉状態にしたため、燃え具合からしてまず問題はない。
少し時間が経つと、もう競り売りのザワザワ感・緊迫感が薄れて、火鉢を囲み監視する観客たちの雑談状態になってきていた。
実はこの雑談が重要で、義兵衛が湯のみで観客を捕まえ「もし幾らであれば練炭を購いましかた」をやんわりと聞き出していく。
「いやぁ練炭1個で250文とは、これでは手が出ないですよ。
まあ、150文ならば、買ってもいいかな、とも思ったのですがねぇ」
「競り売りっていうのは恐いですねぇ。
もし自分だったら雰囲気に推されて、見ている人の期待にこたえなきゃ、って最後まで指あげちゃいますよぉ。
競りを主催していた主さんが、落ち着いて裁いていたのが見事ですよね」
「火鉢は400文(=1万円相当)、練炭は1個150文(=3750円相当)、が妥当じゃないですか。
競りの値段は、見ているお客の期待込みですよ」
なるほど、だいたい150文前後か。
大きさを半分か三分の一にして、もう少し安いものにすると、結構売れるかも知れない。
しかし、宵の口が近づいていても、一向に衰えない火力を前に、練炭の評価が上がっていく。
「まだ火の勢いが落ちないぜ。
湯だってまだまだ沸かせるし、こりゃ囲炉裏をここにこさえたようなもんだ。
しかも、持ち運べるなんて、野良仕事に持参して白湯を飲むなんてことも出来そうだ。
いやぁ、200文位の価値はあるぞ」
夕方になって陽が陰り始め冷え込んでくると、ありがたみがグンと増してくるようだ。
結局、陽も落ちあたりが真っ暗になるころ、やっと練炭が燃え尽きたか、赤い光が消えた。
「本当に口上通りだ。
ほとんど一日火がついたままだったぞ。
こりゃ凄い。
これなら、200文で売っても飛ぶように売れること、間違いなしじゃ」
宵の口でも火が保ったことを見届けると、あらかたの人は帰っていったが、それでも十人位の人は残っており、練炭が燃え尽きるのを見届けていた。
火が消えると、火鉢の中空部分に落ちた灰をひっくり返して綺麗にし、炭屋の小僧に渡す。
小僧は、大事な火鉢を抱えて店へ戻っていった。
さて、すっかり夜になってしまったので、鉄瓶を拝借した家・加登屋さんの所にお世話になることになった。
実はこの加登屋さんは、津久井往還道と府中街道の交差する場所に小料理屋を開いている。
ここを宿として遅い晩飯を取り、ずっと見学していた主と囲炉裏を囲んで笑談をする。
「全部で銀15匁(=1500文=4万円弱相当)の支払いとはなったが、これは良いものを手にいれた。
練炭は6個もあるので、早速今から火を入れてみましょう。
いやあ、朝まで火が残っていなかったら、どうなされますかな。
あっはっはっはっはぁ~」
この質問には、義兵衛さんが答えた。
「これから火を入れると、間違いなく朝まで暖が取れますよ。
ただ、上に立ち昇る熱い熱が完全には篭らないように気をつけてください」
今回、沢山お買い上げ頂いた加登屋さんとはすっかり仲良くなってしまっている。
義兵衛は火鉢を借りて火をつけると、火鉢の扱い方を加登屋さんへ解説する。
「火鉢の横にあるこの空気穴が重要な意味を持っています。
ここを閉めると、火力は少し弱くなりますが、長く持たせることができます。
また、開けると火力は強くなりますが、火の持ちは閉めている時より短くなります。
強い火力を得たい場合は、この穴へ団扇で風を送り込むと良いです。
ただ、風を送り込むと、灰が舞うことになりますので、あまり強く扇ぐのはお勧めしません。
また、その分練炭は早く燃えます」
「昼間の口上では、そのようなことを一言も言っておらんかったが、なぜじゃ」
「それは、今回は練炭を売るということで、火鉢は本当におまけだったからです。
練炭専用に火鉢ではなく七輪という正式な入れ物があるのですが、今回それが間に合わず、仮に作った火鉢を持ってきたのです。
次回来るときは、多分七輪も間に合うと思うので、ご期待ください」
炭屋を介さないお得意様になって頂けそうな加登屋さんには、今は秘密としている七輪の機能を先行して暴露したのだ。
なにせ、加登屋さんを味方につけると、この小料理屋を利用する旅人にうまく伝わるに違いないからだ。
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