江戸屋敷での準備 <C2128>
甲三郎様との約束を果たすため、江戸の屋敷へ出かけます。
■安永7年(1778年)4月1日(太陽暦4月27日) 江戸・愛宕山下 椿井家屋敷
お殿様と甲三郎様に供する膳の準備が出来上がると、千次郎さんと加登屋さんを連れた義兵衛は椿井家へ向う。
膳の支度もあるため、まだ昼には早い時分だが屋敷を尋ねる。
拝領している屋敷は狭い敷地ながら500石取りに相応しく門構えもしっかりしている。
門横の詰所へ声をかけ、名乗りと用向きを告げると脇門の潜戸が開き中に招き入れらる。
「確か今日の昼に出向くべし、との言付けであったはずだが、いかが致した」
「細山村で甲三郎様から江戸で広める料理を披露して貰いたい、との下知がありましたので、今回の御用向きはそれと察して準備をしてきております。料理人と江戸でご厄介になっております木炭問屋・萬屋主人もご挨拶させて頂きたく同行しております。差し上げる御膳を出す準備をしたく、台所をお借りしたいのですがよろしゅうございましょうか。
それから、誠に申し訳ございませんが、お昼に出す御膳の数をお教え下されたくよろしくお願い申し上げます」
「昨日より甲三郎様がこちらに見えておるので、事の仔細を確認して参る。しばしここで待たれよ」
義兵衛等3人は潜戸を入った所で待たされている間に、屋敷の様子を観察する。
いかにも貧乏旗本らしく、古びた屋敷だが、手入れだけはきちんとしているようだ。
この屋敷で30人ほどが暮らしているはずだが、閑散として人気がない。
敷地内の右壁に沿って長屋の作りになっており、ここにはお殿様の徒士を務める6家族ほどが暮らしているはずなのだが、どうも4軒は空き家のようだ。
左側には蔵につながって厩があるが、馬を飼っている気配もなく随分長く空っぽのようだ。
細山村のお館のほうが、よほど活気がある感じだ。
「今、甲三郎様に確認してきた。お前の言う通りであった。これから台所まで案内いたす。『御膳については全部で8膳用意せよ』との仰せである。お殿様・甲三郎様と不肖拙者、その方等3名、奥方様とお世継ぎ様の分である。『甲三郎様から期待しておるぞ』とのお言葉があった。どのような話が里で行われたのかはよくは知らぬが、くれぐれも無礼のないように願いたい。
申し遅れたが、拙者は細江紳一郎と申し、この椿井家の勘定周りなど江戸屋敷の諸々を取り仕切っておる。里におるお館の爺は拙者の父じゃ。代々椿井家に仕えておるが、拙者には子がおらぬ故、拙者が細江家最後のご奉公人となるやも知れぬ。甲三郎様が色々とお家の立て直しに奔走してくださっておるのに、肝心の家臣団がこれでは情けないことだ。
つい余計なことを申したが、いつもの愚痴じゃ。忘れてくれ。さあ、台所はこちらじゃ」
玄関脇の土間右横の扉から屋敷の奥へ向かう。
奥に向かうにつれ生活臭が感じられ、また奉公人の声も聞こえるようになってきた。
「お殿様の方針で、ここでは5歳~10歳までの子供のいる家臣の家族は、里の館に行き、そこで暮らすのを普通としている。
だが、大方の家臣は江戸の屋敷に住まうより、里の暮らしの方が楽と言うて子供が出来たら皆直ぐに里へ帰ってしまう。
里では、武家ではあるが畑仕事して食べるものを作るなど、そこいらの農民と大して差のない暮らしぶりじゃ。
まあそんな訳で、江戸の屋敷は、もぬけの殻同然になっておる。
馬も普段は里で飼育しており、何事かある場合は江戸屋敷に移す手はずにしている。
先代より、このように江戸住まいを質素にすることで、ここでの出費を抑える工夫をしている。
おかげで、ここに居らねばならん者は、いつも仕事を掛け持ちして大忙しなのだ」
紳一郎さんは、こういった話を開けっ広げによく話す。
武士の貧乏暮らしも、こうも明るく話されては笑い話にしか聞こえない。
「昼餉のご飯と汁物はこちらじゃ。それ以外はそこにおる奉公人に聞いてなんとか致せ」
紳一郎さんが退出した後、加登屋さんは昼膳の準備を始めた。
手が空いた義兵衛は千次郎さんに尋ねる。
「お旗本の家というのは、どこもこのようなものなのでしょうか」
「知る限り、椿井家はまだマシなほうだ。家臣が少ないとは言え、きちんとしている。確かに500石の知行地を持つお殿様としては、ちと寂しい屋敷だが、里を主体としてお家を維持されているのであれば、このようなものかも知れない。お上からの扶持米だけで暮らしている旗本でそれなりのお役にありついていない家は、それ以外に大きな収入の術がなく困窮しているのが大方だと思う」
確かに、椿井家は知行地があり、そこでの農地開拓や産業殖産が上手くいけば見かけより多くの実益を上げることができる。
だからこそ、甲三郎様は開墾に熱心に取り組んでいるのだ。
そして、今回木炭加工で芽があると見るや、関心を持って応援する姿勢を見せてくれている。
「ところで、椿井家がどれくらいの借財をしているのか、千次郎さんはご存知ですか」
「全体は良く判っていないが、椿井様の知行地から卸される木炭の買掛金はだいたい年80両ほどになるが、おおよそ全額がそのまま米問屋に回っている。この数字は、さっきの細江様に都度報告しているので、確認するのがよかろう。
椿井家は借財を全て出入りの米問屋から行っているので、米問屋との遣り取りを仔細に調べれば大凡のところは判るはずだ。
まだ、米問屋以外の出入り商人からの借財を行っていないところが椿井家の良い所なのだが、此度の小炭団の買掛金があまりにも大きいので、この扱いが結構難しい。萬屋としても、この件では手形を出す必要があるやも知れぬ」
ここで手形というのは、ある意味で金銭の借用書である。
実際に料亭からお金が入るのは、会計の締め日=年末であり、その日までは売掛金として料亭が萬屋に借金している格好なのだ。
どうしてもという場合は、料亭は手形を切って借金を実体化させ、これを萬屋に差し出す。
なので、萬屋は料亭からの手形ばかりがある状態となって、現金は手にしていない。
萬屋は現金のない状態で、卓上焜炉や皿を製造させている状態なのだ。
そして、この焜炉や皿を製造しているところに支払えるほどの所持金はなく、買掛金は求めに応じて支払うことができない。
では、どうするかと言うと、料亭と同じように、萬屋の会計の締め日=年末に支払うという条件の借用書を書いて先方に渡すのだ。
受け取ったほうは、これを必要に応じてさらに横流しするか、もしくは裏書をしてくれているところへ金額を割り引いてもらって現金化するのである。
基本的に商人間の取引は、年末が締め日となっていて、この日で決済するのが風習となっている。
萬屋の場合、裏書は椿井家御出入りの米問屋になっていて、今回の場合、まだとても単純な状態と言える。
椿井家の借財については、まだ素人でも読み解ける初期状態といえよう。
細江様が全体像をつかんでいるに違いない。
千次郎さんから、この時代の商取引の様子を聞いて、平成の知識と照らしながら解釈するうちに時間が経ってしまった。
そして、細江さんが台所にやってきた。
「もう後少しで、お殿様と甲三郎様の用意が整いますぞ。準備はできましたかな。ささ、広間で昼餉の支度をなされよ」
手形の話しが出ますが、筆者の想像が多分に入っています。
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